片渕須直監督「この世界の片隅に」感想

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流刑囚 @kyotoanda

取り敢えず「この世界の片隅に」だけを観てきました。事前の予想を覆して傑作でした。所謂「反戦映画」でないのはもちろんのこと、「戦災ユートピア映画」でもなく、「この世界」が根本的に制御不能であるということを示した作品だと思いました。以下感想を書いていきます。 #この世界の片隅に

2017-02-09 17:07:25
流刑囚 @kyotoanda

#この世界の片隅に この作品には封建制の名残であり総動員体制下で強化された「固着化した社会」と現代と同じ(連なる)「流動化した社会」が描かれます。特に前者に関しては物語の序盤、主人公すずさんの「発達障害あるある」的なエピソードを描くことでその社会の「幸福と不幸」とを強調している

2017-02-09 17:10:38
流刑囚 @kyotoanda

#この世界の片隅に 主人公すずさんは現代であれば発達障害の診断が下ってもおかしくはないような人。それ故に往々にして周囲の人達から「そういう扱い」を受けるのであるが、劇中の時代が「固着化した社会」であるがゆえに自動的に彼女なりの「居場所」が与えられる。

2017-02-09 17:16:06
流刑囚 @kyotoanda

#この世界の片隅に 「居場所」と言うのは予め与えられた「機能」であり、そこでは単純な機能を果たすことで存在が保証される反面さまざまな不条理も存在する。その一方で「流動化した社会」である現代では個人の特性に合わせて昔に比べれば様々なサービスが存在するが一方で「居場所」が存在しない。

2017-02-09 17:21:46
流刑囚 @kyotoanda

#この世界の片隅に 主人公は明確な「才能」「創造性」があるにも関わらずそれを伸ばすこともできず本人の同意なく嫁に行かされ、雑用に明け暮れた挙句「才能」も退化してしまう。それが「固着化した社会」における「不幸」。一方で「流動化した社会」における不幸は今まさに世界中で顕在化しつつある

2017-02-09 17:25:56
流刑囚 @kyotoanda

#この世界の片隅に その「流動化した社会」における不幸を背負うことで出現したのが「ドナルド・トランプ」だったりする。

2017-02-09 17:26:51
流刑囚 @kyotoanda

#この世界の片隅に しかしその「固着化した社会」も戦況の悪化と共に破壊されていき、その末に「流動化した社会」がやって来る。終盤で主人公夫婦は原爆孤児を迎え入れ、周囲の人間たちもあっさりとそれを了承するが、その「孤児」の存在こそが「流動性」を指し示している。

2017-02-09 17:30:12
流刑囚 @kyotoanda

#この世界の片隅に 主人公のすずさん自身はそうした「固着化した社会」に身を置きつつもその創造性によって「超流動(あるいは超現実)的な”世界”」にも方足を踏み入れて”いた”。しかしその「世界」との繋がりは嫁入りやその後の生活、そして右手を失うことで決定的に断ち切られてしまう。

2017-02-09 17:34:09
流刑囚 @kyotoanda

#この世界の片隅に 主人公にとっての「右手」というのは「社会」と「世界」とを接続するためのツールだった。それは単に絵を描く(アウトプット)のための道具ではなく、劇中の遠近法の描写でも分かるように視覚を補助するインプットの機能も同時に担っていた。

2017-02-09 17:37:20
流刑囚 @kyotoanda

#この世界の片隅に 主人公が玉音放送を聴いて「まだ左手も両足もあるのに何故戦わないのか」と激高するシーンがあるが、これは主人公がさまざまなもの(特に右手)を失ったことで「世界」に繋がることができなくなってしまったということ。

2017-02-09 17:40:25
流刑囚 @kyotoanda

#この世界の片隅に 「世界」に繋がることができなくなってしまった異常この「固着化した社会」に文字通り固着して「機能」を果たす以外の道はない(と考えた)。そしてそこで考えられた機能こそ「徹底して抗戦すること」だった。

2017-02-09 17:42:39
流刑囚 @kyotoanda

#この世界の片隅に 主人公はその激高シーンの後原爆投下後の広島へ向かう。そしてそこで過去の幻影を見る。過ぎ去った過去には最早戻れないのだと示される。そしてそこで「新しい時代」を象徴する「孤児」に出会い彼女を連れて帰る。

2017-02-09 17:45:41
流刑囚 @kyotoanda

#この世界の片隅に エンドロール後に映し出される「右手」もまた非常に重要である。この作品を観た多くの人々には「右手」が備わっている。つまり主人公すずさんに失われた「超流動・超現実」と繋がる力を持っている。

2017-02-09 17:53:13
流刑囚 @kyotoanda

#この世界の片隅に 「この社会」のあり方は根本的に制御不能であり、どのような状況においても「幸福と不幸」とが混在する。もしその「不幸」が顕在化した状況でも「右手」を用いて「自己」を生きていくしかないのだ。

2017-02-09 17:57:26
流刑囚 @kyotoanda

#この世界の片隅に この作品では「過去への不可逆性」に関する描写が多数登場するのだけれど、これもまた作品に込められた「メッセージ」としては非常に重要。

2017-02-09 18:08:36
流刑囚 @kyotoanda

もう一度観たい作品ではありますね。

2017-02-09 17:59:25

補足

流刑囚 @kyotoanda

#この世界の片隅に 「この世界の片隅に」について補足すると、この映画は「個人に選択権が持てずず居場所が保証される社会」と「個人に選択権があり居場所が保証されない社会」のどちらがよりマシなのか?という問いを突きつけているわけです。

2017-02-10 18:58:41
流刑囚 @kyotoanda

この内前者を選択する場合ネトウヨやトランプ、あるいはゲーテッドコミュニティを肯定することになる。私個人としては後者の「厳しさ」を受け入れた上でこちらの方を選択したいと思っている。しかしその選択は決して「絶対的な正解」ではない。

2017-02-10 19:01:04
流刑囚 @kyotoanda

#この世界の片隅に 個人の意志や選択が世界を変えることはあり得ない。しかし「この世界」の構造を把握し、その「流れ」とそこに内在する「問題点」を可視化することで次の時代への突破口を探すことができる。それが映像表現の力でもある。もちろんその「次の時代」もバラ色ではないのだが。

2017-02-10 19:21:17
流刑囚 @kyotoanda

あと「固着化と流動化」という観点からすると「軍艦に詳しく海軍軍人志望」の姪っ子の存在も重要。幼い世代において「流動化した社会」への流れが既に始まっている。 #この世界の片隅に

2017-02-09 20:59:27