@kurok_yuu 春信あたりの絵は人物が小さいから画像を通してだと判りにくい。このしぐさを江戸後期の浮世絵で見るとこう。 pic.twitter.com/OFoAbGdJEq
2017-01-16 19:03:00@kurok_yuu ちなみに引用元の二枚の画像のうち、左は「春信」とあるが、これは春重こと司馬江漢の作なのでお間違いなく。
2017-01-16 19:13:41昨年帝展出品の『聽雨』は向つて右の女が、浅草の市丸で、左の女がよし町のさだ子であります。ふとしたことで知り合ひ、市丸は版畫にもしました。一昨年も市丸をかいて帝展に出したのであります。さだ子も何となく浮世繪的な氣分のする女です。昨年は、外にかきたいものがあつたのですが、 twitter.com/MenschOhneMusi…
2017-01-17 21:26:32Kobayakawa Kiyoshi (1899-1948) 小早川清 , Chouu, Diva of Shouwa 聴雨・昭和の歌姫、1934 pic.twitter.com/AA4biqKtVA
2017-01-17 20:56:37@kurok_yuu 病氣をしてしまったので、前からあつたデッサンによつて書きました。「聽雨」といふのは、夏の日など、三味線を彈き、歌を唄ってゐるのが、一寸やめて、三味線をおいた瞬間に、外に驟雨が通り、「雨だな」と思ふ静かな氣持、きゝ入る感情を言つたわけであります。
2017-01-17 21:27:17@kurok_yuu …「聽雨」は一月位でかきあげました。藝者らしく、さらつとかいた積りであります。…ポーズはそうせろといつて、あるポーズをとらせてかくことは致しません。何だか不自然なものになりますから、いやです。
2017-01-17 21:28:08@kurok_yuu 時々に出るなりふりしぐさの面白いところを書きとめておくやうにしてゐます。「聽雨」ももしそういふ場面があつたとしたら、市丸とさだ子が、こうもあらうかと、考へてポーズをとつたのであります。(小早川清「不知火」より)
2017-01-17 21:28:37獅子の絵とかけて もも引きととく 心ハ すそにぼたん(牡丹/ボタン)もみえる。 #北斎 #謎かけ pic.twitter.com/Al5CXSWqIG
2017-01-18 20:36:42広重筆 団扇絵「大雪降しきる図」 降りしきる雪をまるでシャッタースピードの遅いカメラで撮影したかのような表現が新鮮だ。 中央で通い徳利をぶら下げて歩くのは酒の使いに出た小僧さん。そのそばを歩む棒手振りは豆腐屋だろうか。左から来る蓑笠姿の人物は右手に河豚をぶら下げている。 pic.twitter.com/o8nqJJKoOK
2017-01-20 22:20:01@kurok_yuu ココに注目‼☝ 小僧が手にぶら提げた徳利に描かれているのは「小判印」と呼ばれる満願寺屋酒造の商標。実はこれ、この団扇絵の出版元である伊場仙の商標「丸に三つ引」とそっくりなのだ。広重が満願寺屋酒造の商標めかして、版元のマークを描いたと考えることもできる。 pic.twitter.com/MBZAXX6BXY
2017-01-20 22:27:12三畠上龍「官女熨斗持之図(かんじょのしもちのず)」絹本着色(部分) #黒究浮世絵コレクション pic.twitter.com/JdIuMdUJH3
2017-01-23 21:27:43国貞筆「源氏香の圖 朝㒵(あさがお)」 『源氏物語』五十四帖のうち第二十帖の巻名は「朝顔」ですが、季節は冬で童女たちが雪こかしをして遊ぶシーンがあります。炭櫃に当たりながらその様子を眺めるのは源氏と紫の上。 見しをりの 露わすられぬ あさがほの 花のさかりハ すぎやしぬらん pic.twitter.com/MwkIf9w0qU
2017-01-25 21:37:30@kurok_yuu 『源氏物語』はなかなか手が出しにくいという人も、女三宮が登場する「若菜 上」をはじめ、「夕顔」「紅葉賀」「花宴」「野分」「浮舟」など、浮世絵の画題や意匠によく取り上げられる場面をピンポイントで覚えておけば、いざというとき作品鑑賞の役に立つ。 pic.twitter.com/kl5GbQRQUE
2017-01-28 18:23:58広重筆「東都名所 亀戸天満宮境内雪」 画面中央の建物の腰板部分、二重襷になっている線と線との境目に「浚残し」がみられる。通常、墨の輪郭線を小刀で切り出した後、線以外の細かい部分は透鑿(すきのみ)と呼ばれる鑿で削り取るが、これは本来削り去るべき部分が残った状態。いわばミスプリント。 pic.twitter.com/anaYg4ZV0O
2017-01-27 18:59:33@kurok_yuu この図について松井英男は、中央部の建物の連子窓左半分に浚い残しがあり、この「浚い残し」は後に修正されたため、極初摺にしか見られないとしているが、この記述に該当する部分は見当たらない。ちなみに二重襷部分の「浚い残し」は後摺でも修正されずに残っている。 pic.twitter.com/yWTIqpHZhS
2017-01-28 20:27:44@kurok_yuu 「浚い残し」のある広重の版画で有名なものといえば「東海道五十三次 蒲原 夜之雪」。初摺は膝の部分に浚い残しがあるが、これは後摺を摺る段階で削り去られているため、この部分を見れば初摺かそうでないかが判る。こうしたミスプリントを鑑賞するのも版画ならではの醍醐味。 pic.twitter.com/8ztN5fe77M
2017-01-29 17:53:50なんぼ豆を蒔いても、心の鬼を追い出さない限り、福は来ません。 勝川春朗(葛飾北斎)筆 「壬生狂言 節分」 花咲千重麿 みの笠の まとうち出す 豆まきに ぬれかゝりたる 鬼も十七 #豆まき #鬼 pic.twitter.com/It1zPUkAhw
2017-02-02 20:05:01以前にも紹介しましたが、鬢は小さく、髱を長めに引き出して、髷はつぶし島田に結う。これが文政期から天保期にかけての深川スタイル。 #辰巳ガール #国貞 #髪型 pic.twitter.com/3rCooSe3a5
2017-02-02 21:43:49足三里のツボに灸を据えさせる坂田金時。 金時とかけて 地酒ととく 心ハ 鬼ころし #灸 #鬼 #北斎 #鬼ころし pic.twitter.com/g5d66JQSDF
2017-02-03 19:55:30渡邊綱とかけて 勝負に負けるととく 心は、一本取られた。 芳年筆 「新形三十六怪撰 老婆鬼腕を持去る図」 #芳年 #渡辺綱 #鬼 #羅生門 pic.twitter.com/itSSW4duey
2017-02-03 20:46:18「新形三十六怪撰」は三遊亭圓朝の「真景累ヶ淵」同様、当時の流行語であった「神経」という言葉をもじったものであろう。芳年のこの図は、師国芳とも交流のあった柴田是真が天保11年に王子稲荷へ奉納した「茨木図」がもとになっており、風にはためく裾の描写など一致している。 pic.twitter.com/MT6larK5V8
2017-02-13 07:30:28@kurok_yuu 新「累ヶ淵」の頭に「真景」とつけたのは、圓朝の隣人で親交のあった漢学者 信夫恕軒の提案によるものであったという。「真景累ヶ淵」が単行本化されたのが明治21年。芳年の「新形三十六怪撰」シリーズが刊行開始されたのはその翌年である。これは果たして偶然か。 #芳年
2017-02-13 18:57:46かゐるの聲とかけて うわばみの反対ととく こころは 下戸。下戸。 北斎画『近世怪談 霜夜星』挿絵 pic.twitter.com/VYUFflDqJJ
2017-02-03 20:58:00北斎の高弟 魚屋北渓によるひょうきんな朝比奈の豆まき。豆は金摺り。 いざ春の 品さだめせん 雨よりも 豆の降ぬる 節分の夜は 呑亭笹廼雄閑 好ましき 豆や祝はん しづかなる よには色ある 鬼をとらへて 全亭 #摺物 #豆まき #朝比奈三郎 #北渓 pic.twitter.com/erxl7Unpel
2017-02-03 21:07:50