勅使河原左之助

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うさ @usa_kororin

左之助は爺さんがつけてくれた名前だ。気に入っている。 俺はじいちゃん子だからいつも爺さんの後ろをついて回っていたし、爺さんもそれを喜んでいたように思う。 ただ、礼儀作法には厳しい人だった。勅使河原家は源氏の武士の家系だのなんだのと聞いて育ったような気がするがよく覚えていない。

2017-04-14 23:07:13
うさ @usa_kororin

家系がどうのこうの、そういう話にはとんと興味もなかったが爺さんから教わる剣道は楽しくて好きだった。 2つ下の弟はこれがあまり得意ではなくあまり好きではなかったようだったが。 俺が十になったころ、とてもきれいなものを見た。 人が道端でうずくまり、腕から血を流していたのだ。

2017-04-14 23:13:55
うさ @usa_kororin

同じ年のころの女の子だった。 さらさらと流れる赤に見とれていたが、怪我をしているのだから手当てをしてやらないといけないと思い近付いて声をかけた。 「大丈夫か?」 俺の声に反応して女の子が顔をあげた。その目には涙があふれていたので袖口で乱暴に拭ってやる。

2017-04-14 23:17:25
うさ @usa_kororin

「いたい…。」 涙声混じりの消え入りそうな声が聞こえて目元をこする動きをやめたが、今の言葉が腕の怪我の事を言っているのだということにすぐ気が付いた。 無傷な方の腕を引き立たせてから、そのまま川のある方へ連れていく。 持っていた手拭いを川の水に浸して固く絞る。

2017-04-14 23:21:46
うさ @usa_kororin

「痛いだろうが我慢しろよ」 濡らした手拭いを広げて傷口にあててそっと拭う。 俺の言葉通り、ぎゅっと眉を寄せて我慢する女の子がおかしくて少し笑ってしまうと、怪訝そうな顔で見られた。 「ほら、終わったぞ」 ぽんぽんと頭を撫でてやると、小さくありがとう。と聞こえた。

2017-04-14 23:27:28
うさ @usa_kororin

血で濡れた手拭いを川の水で洗い流し、そのまま手に持つ。 「俺、左之助。お前は?」 「信芽(のぶめ)…」 「家まで送る。…行くぞ、案内してくれ」 そう言って手を差し出せば信芽はおずおずとそれに手を重ねた。 その日以来俺は、さらさらと流れるきれいな赤のとりこになった。

2017-04-14 23:32:55
うさ @usa_kororin

この信芽とは、弟もまじえてよく遊ぶようになった。 しおらしかったのは最初の数日だけで今となってはもう男勝りで活発な女の子だった。 「左之助!こっち!」 「またすっころんで怪我しても知らねぇぞ…」 「そんなドジしないわよ!」 成長して、綺麗になっていく信芽に俺も弟も恋をした。

2017-04-14 23:37:03
うさ @usa_kororin

兄弟恨みっこ無し。2人で告白して、信芽が選んだのは俺だった。 早々に祝言をあげて俺と信芽は夫婦となった。 その年、俺は徴兵されたがその間に子も生まれ、兵役を終えれば幸せな家庭で暮らせるはずだった。 休暇を与えられ、妻と子の待つ家へと向かうと、あの日のようにうずくまる信芽がいた。

2017-04-14 23:44:02
うさ @usa_kororin

「おい!大丈夫か…っ!」 土間に滴る赤。これには見覚えがある。ごくりと生唾を飲み下す。 「大丈夫…ドジっちゃったわ。あの日みたいね…左之助?」 名前を呼ばれた事にも気が付かず腕から流れるそれをじぃ、と見つめた。 うまそうだ。そう思った瞬間信芽の腕を掴み傷口に口を付けた。

2017-04-14 23:48:23
うさ @usa_kororin

じゅるじゅると夢中で赤を腹に流し込んでいく俺をまるで化け物を見るかのような目で見る信芽。 「左之助!何をするの?!やめて!!!」 必死に俺を振り払おうとするも毎日しごかれ鍛えている男との力の差は歴然だった。 そこに響く子の、渚の泣き声。 それにはっとして口を離す。

2017-04-14 23:52:13
うさ @usa_kororin

さっと距離を取り渚の方へ駆け寄っていく信芽を見て、やっと理解した。 何をしているのだ俺は。 「の、信芽…ちがうんだ。これは、その…」 「…あなたを選んだ私がばかだった!もうこの子にも私にも近づかないでちょうだい!」 涙を流しながらも子を守る母の目をした信芽に何も言えず家を出た。

2017-04-14 23:55:54
うさ @usa_kororin

今まで目を背け続けた自分の異常性をまざまざと認識させられた。 「俺はおかしいんだ。」 やり場のない怒りのような感情を抑えきれず近くに転がっていた誰の家の物ともしれない桶を力いっぱい蹴飛ばした。 それでも気分が晴れない。走り出す。子供のころ3人でよく遊んだ広場へたどり着く。

2017-04-15 00:00:29
うさ @usa_kororin

崩れ落ち、うずくまると久しぶりに涙が出た。 もうあの幸せには戻れない。俺が壊した。 ひとしきり泣き終えのそりと立ち上がり実家のある方へ足を向けた。 道行く人々が泣きはらした俺の顔を見てぎょっとするが誰も話しかけてはこなかった。 家に着き、戸を開けると鬼の形相をした弟が立っていた。

2017-04-15 00:05:24
うさ @usa_kororin

「信芽に何をした!言え!」 「…兄貴に向かってなんだその口の利き方は」 「信芽を泣かせておいて何を偉そうに言うんだ!」 そう言い終わるか終わらないかで殴りかかってきた弟の拳を左の頬で受け止める。少しよろけたが、上官殿の理不尽な暴力に比べればまだ軽い方だった。

2017-04-15 00:09:28
うさ @usa_kororin

弟の中の俺も、もう以前の俺ではないのだろうと感じて、また涙が込み上げてきたがぐっとこらえる。 「信芽を、渚を…頼んだ」 そう言い残して俺は逃げるように兵舎へ駆け込んだ。 同僚からは不審がられたが適当に理由をつけてなんとかかわす。 部屋に閉じこもりまた泣いた。

2017-04-15 00:13:42
うさ @usa_kororin

帰る場所を失ってしまった。 この地を離れよう。どこか遠くへ…遥か北の国へ行こう。 兵役を終え、家に帰ることを選ばず北海道への異動を希望した。 その希望は難なく通り、俺は北へと配属された。 そこでの生活は俺にとって苦しいものだった。

2017-04-15 00:19:13
うさ @usa_kororin

人の血を見れば、ひどい喉の渇きに襲われた。 そして、もう一つ自分の異常さに気付かされた。 歯が、好きなのだ。特に抜歯をされている人間を見るのが好きなのだ。 たまたま付き添った歯の治療を見ているとどくどくと心臓が脈打った。 まるで血を見た時のような高揚感に苛まれる。

2017-04-15 00:22:45
うさ @usa_kororin

なるべくそれらを避けるようにして生活を送った。 階級が上等兵にあがり、部下を持つようになったり後輩もできたころになてやっと自分の異常性との折り合いの付け方を身に着けた。 常に気を張っていることはつらかったが、どうしようもない。

2017-04-15 00:28:28
うさ @usa_kororin

先の戦争は、本当に地獄だった。 四六時中血の匂いから離れられなくて気が狂いそうだったのを覚えている。 戦争を何とか生き残った俺はまたあの味を思い出して、それを求めてしまっていた。 ほしい、あの赤がほしい。 そこで気が付いた。生きている人間を襲うからバレてしまうのだ。殺せばいい。

2017-04-15 00:41:31
うさ @usa_kororin

街に出て、適当に目についた男の背後に回り込み、布で口を押えて路地裏に引きずり込む。 心臓を包丁で一突き、引き抜く。勢いよく噴出する赤が美しくて見入ってしまう。 やがて勢いをなくしていくそれを見届け、手首を切る。 その切り口から血をすする。久方ぶりの味に心が躍った。

2017-04-15 00:47:44
うさ @usa_kororin

口周りを袖で拭い立ち上がる。男はすでに絶命していた。 次いで抜歯用のペンチを取り出し犬歯を挟み力任せに引っこ抜く。 樂しい。今まで抑えてきた自分の欲求が初めて満たされた瞬間だった。 しばらくその余韻に浸っていると少し冷静さが戻ってくる。血に濡れた服を見てどうしようかと頭を抱えた。

2017-04-15 05:51:57
うさ @usa_kororin

そんな事を何度か繰り返していると次第に不審に思う者も居たようで動き辛くなったが、我慢できずに見知らぬ兵士を殺した。 それがきっかけとなってこれまで俺が犯してきた罪が露呈することとなった。 実家にもこの事が知らされることとなったようで、すぐさま爺さんから手紙が届いた。

2017-04-15 05:57:15
うさ @usa_kororin

爺さんがまだ生きていた事に驚きつつも手紙を読む。 要約すると「自分の罪は自分で裁け。腹切って死ね。」だった。 大好きな爺さんに死ねと言われて悲しかったが、死ねと言った爺さんも辛かったろうなと思い、小刀を用意した。 上着とシャツを脱ぎ、正座をして息を整える。

2017-04-15 06:02:29
うさ @usa_kororin

腹に小刀の刃先を添えて突き立て、横に引く。 痛みの次に来たのは恐怖。 腹を見るとどばどばと赤が流れ出ていた。それを見るだけで少し恐怖が薄れた。 そこで意識が途絶えた。

2017-04-15 06:06:08
うさ @usa_kororin

目を覚ましてみるとよく知った天井が目に入った。 どうやら死に損なったらしい。 そばにいた兵士が「勅使河原元上等兵。あなたは網走監獄への収監が決まりました。」と俺に告げた。 この腹の傷が癒えたころがここを去る合図か。 誰が見舞いに来るわけでもなく退屈な日々を過ごした。

2017-04-15 06:12:17