- Sienaga_bot
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家永三郎「変節」論については下記を参照して下さい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/家永三郎
正直、「変節」論はそもそも「そうも読めるかもしれない」という話でしかなく、直接間接の反証が次々と出てきたので、もうこの際「これからは願望と事実は分けましょう」くらいしか言うことがないんですよね… twitter.com/sienaga_bot/st…
2017-04-17 20:58:17やっぱりあれかなあ、どこかで家永「変節」論については考証の結果を述べておくべきなのかなあ …と言いつつ、結局全部ハズレで、何一つ発展性がないんです、あの議論。
2017-04-17 20:54:58たとえば「変節」論のもっとも詳細な考証に見える佐伯真光「『上代仏教思想史』の象嵌」にしても(ウィキペディア家永項目にも載ってます)、「家永の記述には矛盾がある→変節をごまかそうとしたからだ」と言うのですが、「矛盾」は事実でも他の理由が考えられるのですね。論証になっていないのです。
2017-04-17 21:07:54そして最も決定的証拠扱いされているらしい『上代仏教思想史研究』序文「この意義深き時に当たり学界の一兵卒として学問報国の戦列に参加することの出来た吾人は誠に願っても無き幸せ者」云々も、下記対談と読み比べると「ほんとうに自信がある」からできた偽装戦術の線が非常に濃厚になるのですね。 pic.twitter.com/OlAvWEadzI
2017-04-17 21:26:28要するに、「変節」論者が挙げている「証拠」でさえ上記の次第で「変節」を一義的には確定できず、ほかにも同時代資料を探ると家永の「変節」を否定する物証がわんさか出てきますので、家永「変節」論は、もうどうしても無理であろうと結論する次第なのです。
2017-04-17 21:38:02ここからどういう教訓を引き出すかなのですが、大変不毛なんですが、「他人のことなんて簡単にはわからないのだから勝手な結論をつけないように気をつけよう」とか、「文献読解では期待したものと結論が違うときがあるのでそのときは素直に事実に従おう」とか、そういう基本的な話にしかならないのです
2017-04-17 21:40:08あと、まあ、そういう「批判」をしようとした人たちが持っていた人間観みたいなものも却って浮かび上がってくるんですが、これはやめておきましょう…
2017-04-17 21:42:44