「煩悩の整理学」を読んで

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旅にゃんころファイザード(にゃんにゃん旅行道の修行中) @goldencat222

今月、たくさんのものを食べ、たくさんのものを飲み、下旬まで来たのだけど、その瞬間の楽しみ喜びで十分ではありながら、何を食べたか、飲んだかほとんど思い出すこともできない。

2017-05-23 00:10:08
旅にゃんころファイザード(にゃんにゃん旅行道の修行中) @goldencat222

僕が生後、読んできた大量のもの、行ってみた多くの場所、得てきたたくさんの物、行ってきたいろいろなこと。もし僕が近々死ぬとしたら「結局ほとんど何にもならなかったような…」と思いそうだ。

2017-05-23 00:15:55
旅にゃんころファイザード(にゃんにゃん旅行道の修行中) @goldencat222

せめて僕自身を、ひとりだけでも満足させられないものか。

2017-05-23 00:17:21
旅にゃんころファイザード(にゃんにゃん旅行道の修行中) @goldencat222

僕の調査によると、この世界を「楽しみ」として見ると、以下の3段階になる。「この世界には苦しみが果てしないので、いま現在に激烈な身体的・精神的苦痛を負っていない、ということで喜び感謝した方が良い」「日常的に人を楽しませるものは探せばたくさんある」→

2017-05-23 07:38:01
旅にゃんころファイザード(にゃんにゃん旅行道の修行中) @goldencat222

→「ただし、この世界を楽しみ切ろうと思えば、常人離れした才能とエネルギーとやる気が必要らしい」

2017-05-23 07:39:03
旅にゃんころファイザード(にゃんにゃん旅行道の修行中) @goldencat222

僕が近年、頭と心の作業として徐々に進めていたのは、このうち一段階目と二段階目の理解を深めて地盤を固め、できうれば三段階目に進んでみたい(ただし過大な苦労は負いたくない、というか負えない)ということだ。

2017-05-23 07:47:18
旅にゃんころファイザード(にゃんにゃん旅行道の修行中) @goldencat222

近年、「普通の日常を喜び感謝する」「日常の中で最大限楽しみを見つける」までを、徐々に進めてきた。ただ「この世界の楽しみを楽しみ切れないで終わるのは残念だ」という気持ちもまだくすぶらせる。

2017-05-23 07:51:44
旅にゃんころファイザード(にゃんにゃん旅行道の修行中) @goldencat222

やはりこの世界では「不意の偶然」が時々起こる。今朝、落とし物を拾って警察に届けたんだけど、どうも後日、謝礼がもらえるらしい。僕は落とし物をよく拾い、よく届ける方で、これまで何十回も届けているけど、謝礼をもらえるのは初めてなのでワクワクするなo(^o^)o(笑)

2017-05-24 08:22:54
旅にゃんころファイザード(にゃんにゃん旅行道の修行中) @goldencat222

ただ平穏無事なだけでなく、こういう不意の偶然がよく起こる人生が楽しい人生だろうとは思うが、悪い方向の不意の偶然、たとえば車にはねられるとか、高いところから落ちて半身不随になるとかも、同じくらいとは言わないまでも、高額宝くじが当たる確率ぐらいには有るのが、この世界の怖いところだ。

2017-05-24 08:29:39
旅にゃんころファイザード(にゃんにゃん旅行道の修行中) @goldencat222

それを強く思い起こすときには「いま現在に激烈な身体的・精神的苦痛を負っていない、というだけで喜び感謝した方が良い」という気にもなる。

2017-05-24 08:31:03
旅にゃんころファイザード(にゃんにゃん旅行道の修行中) @goldencat222

図書館で何気なく借りた本が、今年一番の名著だった。中野東禅というお坊さんの「煩悩の整理学」は、僕の停滞気味だった思考を一歩先に進めてくれた。

2017-05-25 07:59:51
旅にゃんころファイザード(にゃんにゃん旅行道の修行中) @goldencat222

特に響いたのは「五受」の話で、人の受ける苦楽を分類すると、精神的な苦しみ、身体的な苦しみ、精神的な楽しさ、身体的な楽しさ、別に苦でも楽でもないもの、の5つになるという。さて、人がなんとなく、いっそ死にたいような、でも死にたくないような、と思うときの気分はどれだろうか…

2017-05-25 08:12:48
旅にゃんころファイザード(にゃんにゃん旅行道の修行中) @goldencat222

たとえば、テレビでちらっとある芸能人を見て、ファンならばとても喜び(精神的な楽しさ)、そうでないなら特に喜ばない(苦でも楽でもない)だろう。少し休憩するとき、まだまだ元気ならば時間の無駄に感じて、精神的な苦しみと受け取るが、疲れ切っていれば非常な身体的楽しみになるだろう。

2017-05-25 08:23:56
旅にゃんころファイザード(にゃんにゃん旅行道の修行中) @goldencat222

色受想行識のうち「受」を5つに分類する「五受」では、精神的な苦しみは「憂受」、身体的な苦しみは「苦受」、精神的な楽しみは「喜受」、身体的な楽しみは「楽受」、特に苦楽のどっちでもないものを「捨受」とする→

2017-05-25 09:28:25
旅にゃんころファイザード(にゃんにゃん旅行道の修行中) @goldencat222

身体的な楽しみと精神的な楽しみ、または身体的な苦しみと精神的な苦しみとはけっこう連動しており、たとえば酒を飲むのは始めは「楽受」だとしても、そのあとホロ酔い気分を楽しんでいるのは「喜受」になるのではなかろうか。そのあとさらに、吐くほど苦しめば苦受→

2017-05-25 09:32:35
旅にゃんころファイザード(にゃんにゃん旅行道の修行中) @goldencat222

→二日酔いに苦しんだり、そのために何か失敗すれば憂受ということにもなるのだろう(笑)僕としては、酒は「ホロ酔い気分を楽しむもの」と認識しているが。

2017-05-25 09:33:53
旅にゃんころファイザード(にゃんにゃん旅行道の修行中) @goldencat222

どこかに出かける場合、体が疲れていて気も進まなければ、家を出るのが苦受であり憂受だが、同じ場所に行くのでも、それまで寝すぎ、休みすぎていてむしろ体を動かしたい気分なら、楽受や喜受になる。

2017-05-25 12:17:03
旅にゃんころファイザード(にゃんにゃん旅行道の修行中) @goldencat222

疲れているときに近所を一時間散歩「しなければならない」というなら地獄のようだが、そろそろどこかに出かけないと体がなまってしまって気持ち悪いな、と思っての散歩であれば、天国のようである。

2017-05-25 12:19:45
旅にゃんころファイザード(にゃんにゃん旅行道の修行中) @goldencat222

雨が降るのも、こちらの事情によって、憂受に思えるときと、喜受に思えるときと、特に何も思わないときがある。さて、今日出かけること、人に会うこと、行うことは、憂受になるだろうか、喜受になるだろうか…

2017-05-25 12:23:15
旅にゃんころファイザード(にゃんにゃん旅行道の修行中) @goldencat222

ミシュラン級の料理も、満腹の時に食べなくてならないなら苦受であり憂受であるが、ほどほどの空腹のときに食べれば喜受であり楽受であって(ただし味の分からない大半の庶民にはほとんど喜受である)、死ぬほど空腹であれば、たいていのものは極めて喜受で楽受なので、人は自分を空けておくことだ。

2017-05-25 12:38:00
旅にゃんころファイザード(にゃんにゃん旅行道の修行中) @goldencat222

心頭滅却すれば…ということなのだろうとは思うが、いま現在苦しいときにクジュとかユージュとか言ってもあんまり役に立たない(笑)例えば今から五時間、作業をするとする。たった五時間か、と思う場合もあれば、五時間も!でも頑張るか、と思える場合もあれば、とても無理だと判断する場合もある→

2017-05-25 15:58:46
旅にゃんころファイザード(にゃんにゃん旅行道の修行中) @goldencat222

五時間の作業を、苦受、憂受から始めるとして、二時間くらい経てば、ああ、あと三時間だヽ(*´▽)ノ♪と思って気持ちが楽になり(喜受)、作業が終われば、身体的にも楽になるだろう(楽受)

2017-05-25 16:02:09
旅にゃんころファイザード(にゃんにゃん旅行道の修行中) @goldencat222

「面倒なのでしたいとも思えないが、できるのならばできた方が良いこと」がある。例えば医者やボランティア団体代表などがそうだ。こういうとき「そもそもしたいとも思えない自分」を責める気持ちがちょっと起こって…すぐに忘れる(笑)

2017-05-25 19:37:24
旅にゃんころファイザード(にゃんにゃん旅行道の修行中) @goldencat222

そういう、医療、福祉、社会貢献的な職業に意欲の湧く人が、一番得をすると思う…

2017-05-25 19:39:28
motocchi_bot @motocchi_bot

世界はいつもそこにあるだけで、心の色を映してくれる。空みたい。何色にでも変わるよ。だから、結局は、自分がどうありたいか、なんじゃないかな? pic.twitter.com/UL9y6uatRm

2017-05-21 20:28:22
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