吉田健一、「東京の昔」 読書メモ

「東京の昔」で気に入った箇所をてけとーに写経(抜き書き)していくメモ。ハッシュタグついてないものは関連した自分の感想とか連想とかそういうの
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m_um_u @m_um_u

この軒燈が夕闇に浮かび上がってそこでいつものように商売をしていることを知らせる感じはこの頃の営業中と書いた札を出しているのと話が違った #tokyo_memories

2010-05-22 23:50:18
m_um_u @m_um_u

これは蕎麦屋、鮨屋その他食べに入る所に多くてそうでない店は今と同様に店中を通りに対して明るくしているのが既に珍しくなかったが、 #tokyo_memories

2010-05-22 23:50:11
m_um_u @m_um_u

そういう軒燈を見て寄って行く気を起こすのでもそれを幾つも見て晩飯の事を思いながら家に帰るのでもそれが東京の夕方だった。 #tokyo_memories

2010-05-22 23:51:19
m_um_u @m_um_u

そして豆腐屋の喇叭の音も聞えて来る。そうすると電車が通る音も昼間程は響かないようで凡てこうして眠りに誘うのに似た条件が実はそれからなにをする気を起すのにも適していた。 #tokyo_memories

2010-05-22 23:52:36
m_um_u @m_um_u

「そう、だから特許を取って広めるのはいい。併し工場なんて持って御覧よ。又そこで作った自転車が売れるようになったらどうするんだ。」 #tokyo_memories

2010-05-22 23:56:27
m_um_u @m_um_u

「それから人を使うのも構わない。そのうちに自転車の商売がダメに成って自動車の修理工にでもなったらそこの工場を自分でやっていきたいと思うかもしれない。併しそれはその時の話だよ。」 #tokyo_memories

2010-05-22 23:57:29
m_um_u @m_um_u

「今は自転車で結構やって行けるんだからね。そしてこっちはこの町に生まれて育ってそのもとの場所に今でも住んでいるんだ。そこへ自転車の工場でも持って金持ちになってさ、下手をすると、」と勘さんは何かそれが恐ろしいことのように言った #tokyo_memories

2010-05-22 23:59:15
m_um_u @m_um_u

「自動車なんか乗り廻す身分になったらどうするんだ。それで今の家や店を持っていても仕方がなくなって他所に越すなんていやなこった。」 #tokyo_memories

2010-05-23 00:00:07
m_um_u @m_um_u

勘さんが戦争が起るだろうかと言ったのは戦争が起こっても自転車が売れなくなっても今はこれで充分だということだった。又いつの時代にもこれ以上の覚悟、或は同じことながら生きていることの楽み方というものは考えられない。 #tokyo_memories

2010-05-23 00:05:08
m_um_u @m_um_u

それだからその頃は今よりも時間が遅くたって行ったような気がする。今の時間が空白であることからそれを埋めるのにやたらに他所に考えを走らせる必要がなかった為である。 #tokyo_memories

2010-05-23 00:06:31
m_um_u @m_um_u

それで路次を銭湯帰りの人間が歩いているのにであっても自分の家に風呂があればそれだけ時間が思う代りに銭湯の壁に書いてある富士山の絵が頭に浮かんだ。 #tokyo_memories

2010-05-23 00:07:35
m_um_u @m_um_u

併しここで外国ということを幾度も出して来たが、その頃の東京というものを思うとこれも外国の感じがしないでもないのが不思議である。 #tokyo_memories

2010-06-10 13:42:42
m_um_u @m_um_u

我々にとって外国が外国であるのは一つにはそこでは何から何まで勝手が違うことをいや応なしに知らされることによってであると言える。 #tokyo_memories

2010-06-10 13:46:08
m_um_u @m_um_u

併しその何から何までの我々には解らない何かがそこに確かにあるのを感じることも外国の印象の一部をなしていてそれがそこの生活様式であり、そこの人達の間で行われている世界観、人生観その他であって #tokyo_memories

2010-06-10 13:47:11
m_um_u @m_um_u

昔の東京が外国のようであるのは実に簡単にその時代にはその生活様式も人生観もあったのに対して今はそういうものが認め難くなっていることから来ている。 #tokyo_memories

2010-06-10 13:48:34
m_um_u @m_um_u

例えば勘さんが会社の社長になって車を乗り廻したりするのはいやなことだと言えばその理由の説明をするよりも先に誰もがそれがそうであることを納得した。 #tokyo_memories

2010-06-10 13:49:46
m_um_u @m_um_u

或は甚兵衛が甚兵衛というおでん屋であってそこにいる間は他所に行くことを考えないでいられたのはその店ならばその店でそこの生活があったからで同じ事情から資生堂にいればそこの高い天井の下で時間がたつのが気にならなかった。 #tokyo_memories

2010-06-10 13:51:17
m_um_u @m_um_u

そういうものがあるのとないことの違いは微妙であってもそれが動かしがたいものであることはどうにもなるのもでなくて仮にここで資生堂も甚兵衛も人が行くところでなくなり、ただ団体でバスに乗って運ばれるそうした店に変わったと想像するならば #tokyo_memories

2010-06-10 13:52:32
m_um_u @m_um_u

或はこの辺のことが少しは呑み込み易くなるのではないかとも思われる。 #tokyo_memories

2010-06-10 13:53:07
m_um_u @m_um_u

その木や水が夕立を呼んで今になって夏休み前でも温度が三十度を越えると小学校が休校になったことを思い出した。又それでもう一つ思い出したのはそれだけの水があって東京の中心部に蚊がいなかったことである。 #tokyo_memories

2010-06-11 22:43:49
m_um_u @m_um_u

これはその水が流れていた為かも知れない。それで蚊取り線香の匂いが懐かしくて古い池があったりする家では今では民芸品とかいうことになっている豚の格好をした素焼きの蚊取り線香を焚いたものである。 #tokyo_memories

2010-06-11 22:45:42
m_um_u @m_um_u

そして夏にも音があった。 #tokyo_memories

2010-06-11 22:46:05
m_um_u @m_um_u

それが今日聞けなくなったのはこれは何故なのか見当も付かないが夏の日が暮れると涼しさに夜気が漂うという具合に虫が鳴くのを越えてそれは或は沈黙だったかも知れないものが聞えて来た。 #tokyo_memories

2010-06-11 22:47:17
m_um_u @m_um_u

それがその辺一面を満して空に向って登っていくようでその原因が今でも解らないままに結局のところは夏の夜に音があったと考える他ない。 #tokyo_memories

2010-06-11 22:49:20
m_um_u @m_um_u

或はそれは現在も聞えてくる筈でただ日が暮れると涼しくなるどころではない熱気が今はその音から我々の注意を逸らせているということもあり得る。 #tokyo_memories

2010-06-11 22:50:17