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吉田健一、「東京の昔」 読書メモ

「東京の昔」で気に入った箇所をてけとーに写経(抜き書き)していくメモ。ハッシュタグついてないものは関連した自分の感想とか連想とかそういうの
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m_um_u @m_um_u

兎に角夏は夏で東京で暮らすことが出来た。 #tokyo_memories

2010-06-11 22:52:05
m_um_u @m_um_u

それが人口が五百万になったことが取り沙汰される程度の町で又一部がいなくなることから来るいつもよりも更にひっそりした感じが手伝ってでもあって日光が砂利道に照り付けるのが夏の昼の音を聞かせた。 #tokyo_memories

2010-06-11 22:52:29
m_um_u @m_um_u

これに豆腐屋の喇叭の音に加えて金魚売りの呼び声や定斎屋の音まで添えることはない。 #tokyo_memories

2010-06-11 22:53:54
m_um_u @m_um_u

この東京の夏を支配する沈黙とも音とも取れるものがあって金魚売りの呼び声もその夏の響を発したので夏だと思えばそこに自然に夏の生活があった。 #tokyo_memories

2010-06-11 22:54:54
m_um_u @m_um_u

又それがあって通行人が着ている浴衣が夜目に白く見えて下駄の音が冬とは違った一種の騒々しさで聞えて来た。 #tokyo_memories

2010-06-11 22:55:49
m_um_u @m_um_u

どう考えてもそれが東京という町の生活だったのでそれで夏だというので冷やした酒というような剣呑千万なものを飲まずに冬と同じお燗した酒で夏も通せたことが解る。 #tokyo_memories

2010-06-11 22:58:33
m_um_u @m_um_u

そこに自分の生活があってその調子が四季の変化に応じて保たれていればその変化は避けるものでなくてそれを迎えるのも生活であることになり、その上で避暑地まで出掛けるのは夏に旅行していることでしかない。 #tokyo_memories

2010-06-11 23:00:24
m_um_u @m_um_u

本郷の町を歩いていてそれが自分の故郷でもないのに自分が住んでいる町にいる感じがした。 #tokyo_memories

2010-06-11 23:02:49
m_um_u @m_um_u

それは人間は何が目的で生きているのかと言った愚劣な考えを斥けるに足りて夕闇が早く町を包んでその中に付く明りが懐しい色をしているからそれが見える所にいるのだった。 #tokyo_memories

2010-06-11 23:04:14
m_um_u @m_um_u

又そのことが確かだったから季節の変化に応じて浴衣が単衣に変り、単衣がもっと厚い他の単衣になってそのうちに冬が来た。 #tokyo_memories

2010-06-11 23:05:07
m_um_u @m_um_u

もし或る場所がその場所であることで他のどういう所も思わせるならば一つの季節は後の三つでもあって秋で日差しが和いだことに冬に縁側で日向ぼっこをする聯想も誘い出されて又それだけ秋が秋に感じられる。 #tokyo_memories

2010-06-11 23:06:57
m_um_u @m_um_u

そしてそれは電車通りを走る電車の音を聞いていてそれをいつまでも聞いていられる気になるのを妨げなかった。 #tokyo_memories

2010-06-11 23:07:33
m_um_u @m_um_u

そういう現在の連続のうちに我々は一生を終る。 #tokyo_memories

2010-06-11 23:08:46
m_um_u @m_um_u

併し冬の曇った空の下で廻りの高くなった地面に見降ろされて池が水と思う他どうにもならない水を湛えて枯れた葦をその所どころに覗かせているのは無視するには余りにもそのみすぼらしさがそのままそこにあり、 #tokyo_memories

2010-06-11 23:13:16
m_um_u @m_um_u

そうするとそれはみすぼらしいのでなくてものの感じ、ただ或るものがそこにあることになるのだと思える前に、もしそれがただのものであるだけならば初めからみすぼらしくない筈だという考えが浮んだ。 #tokyo_memories

2010-06-11 23:14:24
m_um_u @m_um_u

それはみすぼらしいのでなくて何か訴えているようでもあり、併しもし訴えているのならばもっと生気があるものであるのでなければならなかった。 #tokyo_memories

2010-06-11 23:15:29
m_um_u @m_um_u

それは寂しいのですまないのでなくて何とも寂しい眺めで余りに寂しいので滅入ることもなかった。その冷たさが記憶に残っている。 #tokyo_memories

2010-06-11 23:16:23
m_um_u @m_um_u

或はそれは冷たさだったのだろうか。それが名状し難いものなのでまだ覚えているということもある。 #tokyo_memories

2010-06-11 23:16:59
m_um_u @m_um_u

まだその春になっても気になっていることが一つ残っていてそれは勘さんと遠乗りした時に行った枯れた葦の他は何もない池だった。 #tokyo_memories

2010-06-11 23:20:14
m_um_u @m_um_u

例えば工場が並んでいる町を歩いていてどんな感じがしてもそういう所ならばそれが当たり前だと思いもすれば凡てそれが人為的なものである為にそれと自然の作用の交渉で曇り日の光線がそこに差したりしているのを一種の荒廃した旅情と受け取りもする。 #tokyo_memories

2010-06-11 23:22:26
m_um_u @m_um_u

併し下北沢だかどこだかの先にあった池はただ高くなった地面に囲まれて池が一つあるだけなのにその寂びれ方が余りにも無残だった。 #tokyo_memories

2010-06-11 23:23:07
m_um_u @m_um_u

大体が関東という所が人間が住み着いたのが遅かったということもあって汽車の窓からの眺めにも目を背けたくなるのがこれは今日でも珍しくない。 #tokyo_memories

2010-06-11 23:24:18
m_um_u @m_um_u

併しそれならばそれで一度はじっくり見た緑もあり、どこまで救いのなさが救いがないものであるのかそこまで行って確めて見たかった。 #tokyo_memories

2010-06-11 23:25:21
m_um_u @m_um_u

そこからの眺めは実にただその通りでどうということもないものだった。 #tokyo_memories

2010-06-11 23:26:35
m_um_u @m_um_u

尤も桜が一面に咲いているのを見てこれが別にどうということもないというのは一つの言い方で子供の頃の記憶が懐しいのは過去を薔薇色に霞ませているのではなくて無心に眺めたことがそれだけ克明に記憶に残っているだけのことである。 #tokyo_memories

2010-06-11 23:27:57
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