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ノガミ(上野)に集う不良少年たち
戦後すぐの上野にいた浮浪児たちは戦災孤児として地下道に住み着き、闇市などに紛れて生き延びる者が大半だったが、翌1946年には両親がいながら家出をして流れ着く不良少年が姿を見せ始める。著者はこの原因はメディアの報道にあると言う。
2017-07-18 11:18:31「当時のメディアは…(上野の)闇市にはヤクザが跋扈し、 地下道は愚連隊に占拠され、路上では浮浪児たちが彼らとつるんで違法なことをしているというニュースをあちらこちらで流した」 「これによって地方に暮らす不良少年たちはニュースを通して、「暗黒街・上野」に憧憬を抱くようになった」
2017-07-18 11:22:51「彼らは「ノガミへ行って一旗揚げよう」と故郷を離れて続々と上野にやってきたのである」 もともといた浮浪児は大きな空襲があった大都市出身が多く、言葉の訛りは少なかった。後から来たのは明らかに訛りが強く、「ごっつい東北弁や九州弁を話す子ばかり」だったという。
2017-07-18 11:27:00都市出身の孤児はもともとは普通の家庭だった子もいて、そういう子は新聞売りなど比較的まともな仕事で生きていこうとする。しかし親からの暴力や田舎暮らしの退屈に嫌気がさして家出してきた子は、好き放題に暴れる。なのでまともな子は、訛りを聞くと何されるかわからないと距離をおいたという。
2017-07-18 11:31:13不良少年からするとヤクザや愚連隊は憧れの存在であって、すぐに取り込まれていく。憧れるから真似るのであって、「おひけえなすって」で始まるいわゆるヤクザの仁義切りは、戦後には廃れていたが、不良少年たちが真似をしているうちに伝統が復活したのである。
2017-07-18 11:35:47(廃れた伝統を、過去への憧憬から真似ているうちにまた新しく伝統として盛り上がるというのは他にも、現代にもありそうな気がする)
2017-07-18 11:37:14パンパン(街娼)
戦後すぐに「進駐軍の兵士が日本人女性を片っ端からレイプする!」という噂を真に受けて内務省によって作られた慰安所RAAであるが、ルーズベルト前大統領の妻が反対したり、検査したら大半が性病に感染していたことが発覚したりで間もなく解散を命じられる。
2017-07-18 13:27:15※「噂を真に受けて」という表現をしてしまいましたが、実際にそのような事例はあったらしく、ある程度は根拠もあったようです。ただし慰安施設を設けたからといって市中での性交渉トラブルが無くなるわけではなく、有効性には議論もありますが本題ではないのでここでは割愛します。RAAについて詳しくは次の本のどちらかで読んだ気がするのですが失念してしまいました。
だが解散と言われてハイそうですかと故郷に帰れるわけでもなく、そのまま繁華街に散らばり街娼、通称パンパンになり、一部が上野になだれ込んできたため急激に増加した。いきなりの解雇に反発する女性からは「女性器をもとのサイズにして返せ!」という苦情もあったという。
2017-07-18 13:35:25上野は東北、北陸への玄関口であり、これらの地方の貧しい少女がたどり着くとすぐに「いい仕事がある」と誘われた。14、5才でスマタの技術を自慢するような少女もいたらしく、低年齢からの売春も、社会的な常識の欠落も甚だしかった。
2017-07-18 13:40:32パンパンたちは町ごとに性格が異なり、上野のパンパンは有楽町のそれを「米兵相手の、アソコの広がりきった売春婦」と軽蔑し、有楽町は上野を「家出少女の田舎モン」と嫌っていた。
2017-07-18 13:43:20@ele_cat_namy プロの売春婦だけでなく、「看護士」「女給」などの名目でだまして連れてこられたアマチュア女性もいたそうで、えらい騒ぎだったといいますね。そのへん、千田夏光先生の著作に出ていました。amazon.co.jp/%E3%83%8B%E3%8…
2017-07-18 13:48:18@sinkurou 本当の仕事内容を知らせずに騙すような方法でつれてくるというのは、おそらく戦時中の「従軍慰安婦」に起きたこととほぼ一緒なのだろうなあと想像します。
2017-07-18 13:59:35@ele_cat_namy しかも「お国のためだ」「給料はちゃんと払うから」と説き伏せられて仕方なく覚悟を決めて仕事をはじめたら、数ヵ月で会社都合で解散させられてしまうという。
2017-07-18 14:01:37@sinkurou twitter.com/sinkurou/statu… それでいて解雇後には「あいつは穢れ仕事の女だ」みたいなレッテルを貼られるわけですから本当に踏んだり蹴ったりです。
2017-07-18 14:04:01上野に集う「オカマ」
上野の山の一角には和服姿の女装をした「オカマ」たちが住み着いていた。江戸時代から男色売春が行われてきた名残だ。湯島天神下には男娼専門の売春宿もあった。歌舞伎の女形が修行もかねて僧侶など男性客と交わっていた。売春宿で働けなくなった男娼が不忍池辺りに立つこともあり、男色の名所だった。
2017-07-18 13:50:40上野に集まるオカマは戦時中に軍隊で男色を覚えた者、金に困った者、今でいう性同一性障害の者など多様であったが、その客は彼らを男とはわからなかった。夜の商売ということもあるが、話し方も挙動も女性になりきっている。指で性器の形を作って挿入感を与える等の芸当があり、事後も気付かなかった。
2017-07-18 13:55:01