早めに会場入り。隣の会議室で、京都検定のセミナー的なものをやっていますが、間違えずに(そして浮気せずに)お越しください。 #関西文脈33
2017-07-30 13:03:54今日は若林正博氏による「昭和伏見の古書研究者~『書物航游』に見る酒仙・若林正治~」。古書店史、古書コレクター史など様々な切り口がありそう。 toshokanshi-w.blogspot.jp/2017/07/33.html #関西文脈33
2017-07-30 13:53:25発表始まり。伏見の郷土史を研究する会に入っている。郷土史研究という立場と、若林正治の身内(お孫さん)という立場の両方から話す。正治の読みはマサハル。 #関西文脈33
2017-07-30 14:05:53始まりました。なお、しょうじ、など色々な読みをされるそうですが、正治の読みは「まさはる」とのこと。 #関西文脈33
2017-07-30 14:06:34初代が書店若山屋を始めたタイミングは天保の改革ごろ。天保の改革中ということは、出版にとっては割と締めつけが厳しくてやりにくかった時代か。 #関西文脈33
2017-07-30 14:10:01二代目は16歳で相続。ちょうど禁門の変の頃。禁門の変では富小路あたりも焼けてるので、それに巻き込まれて初代が亡くなったという想像もできるが確証はない。いずれにせよ混乱期。 #関西文脈33
2017-07-30 14:12:13二代目、若林茂助について。1863、4年頃に16歳で先代が亡くなり相続しているが、禁門の変と関係あり? #関西文脈33
2017-07-30 14:13:35明治16年に二代目若林茂助は隠居。まだ50にもなっていない年齢だが、徴兵との関係か。明治24年に寺町二条へ移転。なお寺町二条は市電や市役所が近いが、移転したのは市電や市役所より前。 #関西文脈33
2017-07-30 14:15:19京都電気鉄道 - Wikipedia ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC… これの、木屋町線と中立売線の話。 #関西文脈33
2017-07-30 14:24:40若林政吉は二代目茂助の弟、当初は喜助と名乗っていたのが名を改めたように思われる。大正11年没。後継者がなかったため、佐々木竹苞楼の世話で三日かけて本を売り立て。したがって政吉の時に集めた蔵書と、のちの若林政吉の集めた蔵書には繋がりがない。 #関西文脈33
2017-07-30 14:25:12初代の二男、政吉(喜助)は、古書籍商。明治7年には営業。徳富蘇峰に正平版論語の版木、羅振玉に漢籍を納めた。大正11年廃業。売り立てに3日を要したとのこと。 #関西文脈33
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