釜山市の日本統治時代の交通路線

とりあえず、まとめてみました。
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せき のりかず @kotonoha_s

釜山市内の交通図、とりあえず作ってみた。 現在のマップに旧市電(最盛期)と現在の鉄道線を追記。 (地下鉄はベースマップのまま) pic.twitter.com/bqtiKhrXwG

2017-08-05 10:15:58
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せき のりかず @kotonoha_s

へぇ、釜山駅付近の歴史、面白いね。 どうやら今の中央洞付近に旧釜山駅があって、今の釜山駅は草梁駅だったのね。それが1953年の釜山大火で両駅とも駅が全焼し、その後どうやら再建策を練ってたけど結論が出なかったのか1965年には両駅の機能を停止し釜山鎮駅が仮終点となってたのね。

2017-08-05 10:42:13
そうた @strtrvlr

@kotonoha_s 旧釜山駅(中央洞)の位置は旧国際フェリーターミナルに直結して日韓航路の貨物を取り扱うことも目的だったみたいですね。 名残として今も線路の南端は旧国際フェリーターミナルの近くまで延びています。

2017-08-05 14:27:05
せき のりかず @kotonoha_s

@strtrnfng そうみたいですね。釜山駅とは別に「桟橋駅」があった時代もあるようで、日韓連絡航路の発着位置によって駅の機能があっちこっちに移り変わっている感じですね。

2017-08-05 14:30:40
せき のりかず @kotonoha_s

釜山駅周辺の大火復興計画、どうやら1965・6年で確定したようで、鉄道については旧草梁駅を釜山駅として整備し、旧釜山駅は廃止するということになったのか。で、1965年に草梁駅は廃止扱いとなり1969年に現位置で釜山駅再開業、と。

2017-08-05 10:47:47
せき のりかず @kotonoha_s

釜山鎮駅も、現位置へ移転したのは1920年で、それ以前はもっと北の、現在の凡一洞にあったらしい。 ということで、1909年末時点での路線の様子をば(駅位置の詳細は不明なので大凡の位置です)。郊外鉄道である釜山軌道が開業した年ですね。610mm・蒸気動力での営業でした。 pic.twitter.com/4j47Qdaiu2

2017-08-05 11:11:49
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せき のりかず @kotonoha_s

釜山の市内電車は1915年開業みたいね。 郊外路線の釜山軌道と日本人街を結ぶ区間を先行して開業。軌間は762mmのナローゲージで全線単線、これに合わせて郊外線も1912年に改軌、15年には電化された様子。 1912年に釜山鎮市場も開設され、釜山鎮地区への需要が伸びたのでしょうね。 pic.twitter.com/iOTAa9oV6y

2017-08-05 11:47:11
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せき のりかず @kotonoha_s

釜山の市電、1920年の段階ではこんな感じ。 1916~19年の間に南部市街で小さな環状線が誕生、当時の市街がこれでカバーされた様子。1918年には釜山鎮~釜山駅前間が複線化され、市内電車としての機能が高まりつつある状況でしょうか。 pic.twitter.com/djaoZcYKnN

2017-08-05 12:13:05
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せき のりかず @kotonoha_s

1928年までに順次延長され、釜山市電の路線網は完成に至ったようです。 但しこの時点ではまだナローゲージで単線主体の貧弱な路線網で、市街地内では小型車ばかりの運用だったようです(比較的大型の車両は釜山鎮以北の郊外軌道線のみで使用)。 pic.twitter.com/SG9Xsn75eP

2017-08-05 13:25:04
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せき のりかず @kotonoha_s

釜山の市電、1931年から1067mmへの改軌と市街地内の複線化が実施され、また34年には市街南側の軌道を新道に移設のうえ環状線の西側を土城経由とし環状線を拡大、さらに南港町(影島)への支線を敷設し最盛期の路線網が完成。37年には三中井百貨店も開業、近代都市に成長しています。 pic.twitter.com/mN5wGFc5Eq

2017-08-05 14:14:17
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