#創作荘 東京オフ会小説 絡めた指、唐草模様 11 そう質問する声がして、二階から、一人の女性が降りてきた。オフ会会場にあった肖像画の人になんとなく似ている。彼女の歩幅に合わせるようにして、一人の若い男性が両隣につきながら階段を降りていた。 「合計で三百隻にございます」
2017-09-14 22:08:47「明日までに五百隻構えなさい」 女性が指示を出すと、男性は恭しくお辞儀した。 「かしこまりました」 女性が軽くうなずき、男性は小走りに階段を先に降りて玄関を出た。それを目で追っていた女性は、必然的に私と目が合った。 「見慣れないお顔ね。どなた?」 「こ、今日は。占い師の……」
2017-09-14 22:10:09「ああ、この前ちらっと聞いたことがある」 余計な説明は省く性格らしい。 私をほんの二秒ほど眺めて、さっきと同じように軽くうなずいた。 「要件なら察しがつく。二階へどうぞ」 この台詞で即ちフェリシアさんだと最終的に理解できた。 「ありがとうございます」 フェリシアさんについて
2017-09-14 22:11:06二階に上がり、幾つかある部屋の一つに通された。私とフェリシアさんの二人だけ。勧められて椅子に座ると、フェリシアさんもテーブルを挟んで真向かいに座った。 「ベレニケ様は、隣の部屋にいらっしゃる」 前置きを全て省いて、フェリシアさんは言った。
2017-09-14 22:11:57「散々苦労を積まれたので、誰にでも分け隔てなく接されるが、刺激の強い言葉は控えて欲しい。準備はいいか?」 「えーと、その、もし失敗したら……」 「その時は、お前も占い師も悪い魔女として処刑し、呪いから逃れるために避難しようと私がベレニケ様を説得する」 とてもやる気が燃え盛る。
2017-09-14 22:12:38「じゃ、じゃあ行き……」 「待て」 フェリシアさんは、自分の後ろにある戸棚から大きな酒瓶とコップを一つずつ出してテーブルに置いた。酒瓶の栓を開け、中身をコップに注いで、私の目の前に押しやった。薄赤い液体だった。 「飲め」 「お酒はちょっと……」 謙遜ではなくほとんど飲めない。
2017-09-14 22:13:27「心配するな。水と蜂蜜で割ってある」 説明し終えたフェリシアさんが、じっと私を観察したので、小さく礼を言ってからコップを持った。用心しいしい一口含むと、苦甘いぶどう蜂蜜汁といった感じで、まずくはないもののずば抜けて飲みたいのでもなかった。とにかく全部飲んだ。
2017-09-14 22:14:07「良し、行け」 「行ってきます」 我ながら間抜けな返事をして、私は部屋を出た。隣のドアをノックすると、小さな声で返事があった。苦労続きというだけあって、若々しさのない声音だった。 「失礼します」 まず目に入ったのは、ベッドの上で膝を抱えて座り込んでいる中年の女性だった。
2017-09-14 22:14:50髪は丁寧にまとめていて、服も上等な仕立てだけに、余計に悲哀を感じた。 「どなた……?」 顔を壁に向けながら、その人、ベレニケさんは呟いた。 「そ、その、占い師の使いで……」 「ポンペイが滅ぶ話ならもう聞いたわ」 いきなりとりつく島もない。 「え、えー、あと二百隻の船が……」
2017-09-14 22:15:48聞きかじった話をしても無意味だと、喋りながら思った。相手は壁から目を離さない。 「私は藍斗っていいます」 びくびくしていても始まらないから、改めて名乗った。 「そう」 「あー……お家なら、他所で建て直しても……」 「そのような問題ではありません」 ベレニケさんは、
2017-09-14 22:16:54ここでようやく私に顔を向けた。そうしてやっと、皺の浮いた、浮腫んだ顔や、乾いた唇が分かった。王女、と聞いて美少女を思い浮かべるほど、私は軽薄ではないつもりだ。ベレニケさんは、それを差し引いても老けて見えた。 「藍斗とやら、わらわがここにいるのも公然の秘密になりかけています」
2017-09-14 22:18:03それは私にも想像がついていた。 「まして、避難先で新しい屋敷でも構えられようものなら、帝国市民の被災者より外国からきた自分の愛人を贔屓するのか、等と言われかねません。だから、わらわは残らねばならぬのです」 「それは……皇帝の邪魔をしたくないからですか?」 続く
2017-09-14 22:19:25#創作荘 東京オフ会小説 絡めた指、唐草模様 12 そう確かめると、ベレニケさんは最初驚き、ついで小さく笑い出した。 「わらわのような立場の人間と話す時、陛下に陛下とつけぬとは、仮にローマ市民としても中々に大胆な。それほど陛下が気に入りませんか」 「い、いえ、そんな……」
2017-09-15 19:23:37赤面しながら、私はどう話を組み直すか必死に考えた。 「そう恥ずかしがらずとも良いでしょう。確かに、陛下は無体をなさいました」 「こ、これは、ワインを飲んだせいです。蜂蜜と水で割ってありましたけど」 思わず少しむきになった。 「あはははははは。あははははは」
2017-09-15 19:24:56遂にベレニケさんは横倒しになって転がり始めた。 「な、なにがおかしいんですか」 「わらわに対して感情を剥き出しにする人間が、近頃はとんといないのです」 そう言って、宝石つきの指輪をはめた右手で涙をぬぐった。 「その指輪、贈り物ですか?」 「はい。陛下がまだ将軍だった頃に」
2017-09-15 19:26:08笑い終えたベレニケさんは、にわかに懐かしそうな目元になって、小さく唇を綻ばせた。 「わらわの最初の夫はローマの役人でした。嫁いですぐに亡くなりました。その次に、自分の叔父と結婚して、これも何年かで亡くなりました。三番目の相手はとある国の王でした」 玉の輿とはいえなさそう。
2017-09-15 19:28:15「そこでは王の何人もいる愛人の中にさえ入られなかったのです。だから離婚しました。陛下が最後の相手になるはずでした。いや、現にそうなりつつあります」 自分の説明に込められた皮肉に気づいて、ベレニケさんは少し顔をしかめた。 「或いは、わらわなりのあてつけやも知れません」 「え?」
2017-09-15 19:29:13「邪魔なわらわがいなくなって、まつりごとがさぞやり易いでしょう、と」 「そんな……」 聞けば聞くほどやりにくい。 「そなたならどうするのです? わらわのような立場になったら、逃げますか?」 「とりあえず、逃げます」 「そのあとは?」 「うーん、そのあとは……。物語でも書きます」
2017-09-15 19:30:20「物語?」 「はい。恥ずかしいから誰にも見せませんけど」 この時代よりずっと以前から、色んな文学作品がある。だから、大して的外れではないと思った。 「それは面白い。わらわも……」 聞き終える前に足元が揺れた。ワインに酔ってしまったのかなと思った。ベレニケさんも、
2017-09-15 19:31:16けげんな顔をして床を眺めている。 「地震……」 そうベレニケさんが言いかけた時、窓や壁がびりびり震えるほど大きな爆発音がした。テレビや映画で耳にしたようなレベルじゃない。一気に頭から血が引いてしまう、足がすくんで小指一本動かない恐ろしさ。生き物なら、アメーバだろうと人間だろうと
2017-09-15 19:32:25死や滅びを直感する衝撃だった。室内が急に暗くなり、何かを石で滅多打ちにするような音が始まった。 「うわっ!」 窓から何かが飛び込んできて、ベレニケさんのベッドの縁にめり込んだ。石というか、岩の欠片だった。煙を吐いている。火事にはならなさそうだった。確か火山弾とかいう物だ。 続く
2017-09-15 19:33:43