私の文章修行~「手紙」は逃げも隠れもできない、スパルタな文章能力向上の手段である
- barbara_asuka
- 6629
- 11
- 0
- 0
目的が「好意の告白」であれば、「あなたが好きです」の一文で済む。しかしそんなものは最初のラブレターで当然済んでおり、後は「あなたへの好意」にいかに「文(あや)」をつけるかである。
2017-09-22 21:09:28そうなると「相手への思い」を書くことはまずなく、外見上は「ラブレター」からどんどん離れていくことになる。今思い起こせば興味深い現象である。
2017-09-22 21:09:41日々あったこと、読んだおもしろい本、興味深いことへの考察など、その「ラブレター」はもはや、その人だけのメディアであり、ミニコミであったと思う。たぶんおもしろかったのだろう、「手紙、トランペットのケースに入れてあるよ」と彼は言った。
2017-09-22 21:10:11内容は親御さんに見られても問題なくとも、さすがに大量の手紙はそのへんに積んどくわけにもいかなかったのだろう。捨ててないあたりを見ると、やはりあのラブレター群は「メディア」だったのだろうな、と思う。
2017-09-22 21:10:28それで、高校三年間と、大学に入って少しの間、私はラブレターを書き続けた。もれ聞いた彼の話からすると、たぶん200通は書いたと思う。200通の間に、私は彼と二度つきあって、二度別れた。二度目に彼と別れてから、たぶん、ラブレターというものは一通も書いていない。
2017-09-22 21:10:55「これからきみに1000通のラブレターを書く。それできみの気持ちを変えてみせる」と言ったのは若き日の立花隆氏ということだが、彼は結局、1000通は書かなかったそうだ。
2017-09-22 21:11:231000通に近くなってきたところで、1000通書いても、彼女の気持ちは変わらず、自分の文章は無力だという事実を受け入れたくなかった、ということである(今、記憶で書いているので、間違っていたらすみません)。
2017-09-22 21:11:34氏の気持ちはわかる。そして、1000通書いた気持ちもよくわかる。締切もギャラもなしに、膨大な文章を綴るなんて、よほどの好意でもない限り絶対にできないことだ。
2017-09-22 21:11:51そんなわけで、私にとって、この「手紙」というのは、強烈な「文章修行」であった、と今しみじみと思う。そこにあるのはただひたすらに「現実」と「需要」であって、何が必要で何が不要であるのか、常に目の前に突きつけられていた。
2017-09-22 21:12:22「読者がたったひとり」であるということは、そのニーズに「絶対に」合わせる必要がある。なにしろその「ひとりの読者」が拒否すれば、「メディア」自体が消滅する。こんなシビアな仕事はこれまでに経験はない。
2017-09-22 21:12:45相手が何を好み、何を嫌い、何を要求しているのか、「絶対に」把握して、それを文章化するということの繰り返しは、大変ではあったが、楽しい作業でもあった。
2017-09-22 21:12:59その「荒行」の成果あってか、高校在学中勉強をろくすっぽしなかった私でも論文入試でそこそこの大学に入り、やっぱり勉強せずに大学院も落ちた私は「作文」を送って出版社に入って、現在に至る。ラブレターという「芸」が身を助けたわけだ。
2017-09-22 21:14:17これで、私の「文章修行」の話は終わりである。その他、文体の形成についてはさだまさしの歌詞をひたすら書き写したとか、日記の功罪とか、なぜ小説でなく評論のほうに行ったのかとかいろいろな話があるのだが、それはまた、別の機会にお話ししたいと思う。
2017-09-22 21:14:39余談だが、その「彼」から先日LINEが入った。連絡をすることはもうないが、連絡先だけは知っている。「こんにちは」と送られてきて私は飛びあがった。期待もした。しかし次の言葉は「今、時間ありますか? お願いしてもいいですか?」であった……。ぐんにょり。
2017-09-22 21:15:02