グダポン(@bonchacchanga)について考えた その2 -絶対的権力の象徴としての「畳土足」-
前論で、「畳に土足」のプロモーション・ビデオには、反体制とか、反権力などといった、政治的メッセージがほぼ存在しないことを述べた。じゃあ、ここから本論として、どうしてただの表現の一形態である「畳に土足」にグダポン君は異常な執着をしめすのかということを考察したい。
2017-09-24 15:50:49BBCのドラマ「SHARLOCK」のシーズン3に登場したメディア王・マグヌッセン。彼はベイカー街221Bのホームズの自宅に現れた際、ある行動をする。それは暖炉に向かっての放尿である。
2017-09-24 15:51:50マグヌッセンはなぜそんなことしたのか。一つは大きな無礼を二人の目前で行って怒りや動揺を誘い、交渉のイニシアティブをとるため。もう一つの理由は、他人の家を堂々と汚すという究極の常識外れ、無礼の極みを犯すことで、自分のもつ権力の大きさを誇示して見せたのである。
2017-09-24 15:52:53つまりマグヌッセンは「自分は他人の家のリビングでわざと放尿してみせようが、一切の社会的制裁を受けることはない。それほど私の持つ政治的パワーは兄弟である。おふくろの葬儀で煙草を吸うことすらとがめられる木っ端な貴様らとは住む世界が違うのだ」と、その行動で主張しているのである。
2017-09-24 15:54:56似たようなマウンティングは、同ドラマシーズン2のアイリーン・アドラーも行っている。アドラーの屋敷に入り込んだホームズとワトソンの前に、彼女は一糸まとわぬ姿で現れる。このことで、ホームズはその観察眼を活かせず、探偵・観察者・分析者という、「見るもの」としての地位をはく奪される。
2017-09-24 15:55:37そしてそれと同時に、全裸という究極のドレスコード違反を犯すことで、アドラーは自分と二人が「主と客」という対等な関係足りえないことをしめし、ひいては自分の背景にある政治的パワーの強大さをほのめかしてあるのである。
2017-09-24 15:56:10この2例でお分かりになっただろう。グダポン君がどうして「畳に土足」に固執するのか。彼は「畳に土足」や「食べ物を踏みつけ」という、一般的に白眼視される行為、あらゆる社会の規範を超越した、絶対的な権力の姿を見出し、そこに「理想化された自己」を重ね合わせているのである。
2017-09-24 15:57:27DSM-5 自己愛性人格障害判断基準に照合すれば、以下の症状が適合する。 ②限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。 ⑤特権意識(つまり、特別有利な取り計らい、または自分が期待すれば相手が自動的に従うことを理由もなく期待する)
2017-09-24 15:57:44また、グダポンは他者への共感が欠如しており、この世はグダポンの属する「支配者」とそれに平身低頭して従う「従属者」の単純明快な構造しか存在しないと思っている。だから、「礼儀」「親切」「思いやり」「同情」という考え方は、まるで理解不能であり、彼は強烈な不安感を催すのである。
2017-09-24 15:58:51それは一般人がサイコパスやソシオパスの考える理屈が理解できず、恐怖を覚えるのとほぼ同じなのだが、その不安感は彼の全能感を揺るがし、傷つけ、不当に脅かすものであり、それを脱価値化させようという防衛機制が働く。
2017-09-24 15:59:13その脱価値化の象徴が「畳精神」という妖怪的な造語であり、そのカテゴリに入れられた茶道や、剣道・柔道に対する的外れな批判の原因となっているのである。
2017-09-24 15:59:31このNAVERまとめでグダポンはこう語る。「和風旅館や茶道における、畳に招いた客人を自分たちの作法に従わせた上で「おもてなし」を押し売りするスタイルからわかるように、これも畳精神で培養される厄介な特徴だ」
2017-09-24 16:00:27当然だが、茶道のは一方通行なおもてなしの押し売りをする儀式ではない。客と主人が、身分制度を超えて対等に話し、交渉を行うためにつくった承認の空間であり、双方に思いやりと歩み寄りが求められているだけである。グダポンは企業の営業が行う接待と、おもてなしの区別がついていない。
2017-09-24 16:00:52茶道が完成したのは安土桃山時代。この時代は戦国大名や旧来の守護大名、さらには京の貴族といった、出自の異なる権力者がおり、商業の発達に伴いそんな権力者と取引を行う商人も大勢現れた。そんな身分や格式の異なる立場の人たちが、円滑に交渉や企てを行う空間として、茶道は求められた。
2017-09-24 16:01:36(ここのところは商業が発展したルネサンス期のイタリアでさまざまな料理法やテーブルマナーが考案され、それがのちのフランス料理にも活用されるようになった過程と似ている。余談だけど)
2017-09-24 16:01:59現代と違って身分や家柄が絶対視される時代である。そんな時代だから、茶道の場では現代ではやや過剰なくらい、「客」と「主人」間の相互承認が行われる。
2017-09-24 16:02:22例えば、客は床の間の意匠や生け花を誉め、主人はそのことについて礼を述べる。客は茶道具や茶椀を誉め、主人もそれに応えて道具の出自を語る。料理や菓子が出ればその季節感をたたえ、話題にする。季節の話は、身分制度が割り込みにくいからである。
2017-09-24 16:02:45このような絶え間ない話題の提示と承認を繰り返し、共通の礼儀作法を用いることで「客」と「主人」の等しい関係はかろうじて純粋な形で維持される。ここまでして二人の人間の対等性を維持する努力が行われたということは、それほどその時代の身分制度が苛烈で窮屈だったということの裏返しでもある。
2017-09-24 16:03:08また、剣道で礼節を重んじるのも、剣術から剣道、殺人剣から活人剣へと昇華される際に、茶道と同じく、身分の垣根を超えることが求められ、それによって、茶道と同じ、相互承認の空間が求められたと推測される。
2017-09-24 16:03:40柔道の場合も、もちろん鍛錬のためには身分の垣根を超える必要があり、削王後承認の装置として礼節を重んじたのだろうと思うが、肉弾戦なので、礼節をわきまえないで二人の人間がぶつかり合うと、命にかかわるからでもある。だから現代では、体重ごとの階級制度が設けられている。
2017-09-24 16:04:34プロレスがしばし「八百長だ」と揶揄されるほど様式にこだわるのも、本当にガチンコで戦ったら選手の命を守れないからと聞く。以上、例えが長くなったが、礼儀作法の順守には身分制度の障壁を超えたり、競技者の命を守るという重要な効果があることがわかっていただけたと思う。
2017-09-24 16:04:50しかしグダポンにはそれがわからない。「交渉? 強くて正しいほうが弱くて間違っているほうからすべて奪い取ればいいじゃないか」「命の危険?弱くて間違っているほうが問答無用で死ねばいいだけだろう。それが嫌ならそもそも柔道なんかするな」という風に。
2017-09-24 16:06:48