hanagyu0604akkoさんの震災

仙台市で被災されたhanagyu0604akkoさんの被災直後の状況を思い出されてのツイートが印象的だったのでまとめてみました。
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はなぎう @hanagyu0604akko

国外の友人に、そのニュースの真偽を確かめてもらえるようにメールを送ろうとしたが、電波事情がどんどん悪化しており、なかなか送れず悪戦苦闘した。再びアパートの廊下に出て、微弱な電波を捕まえ、何度かのリトライの後、ようやく送れた。

2011-03-25 14:34:41
はなぎう @hanagyu0604akko

その頃、外は交通手段を失い、歩いて帰宅する人々と、自家用車の列で一杯になりつつあった。その中を縫うようにして、緊急車両が何台もサイレンを鳴らして行き交っていた。そんな光景を、私は生まれて初めて目にした。

2011-03-25 14:39:11
はなぎう @hanagyu0604akko

折から薄暗い1日だったが、次第に雪が降り始め、外は一段と暗さを増していった。部屋の片付けをしようにも、視界が確保出来なくて、どうにも動けない。そこへ、妹から1通のメールが。『実家と電話が繋がらない』との旨。

2011-03-25 22:31:14
はなぎう @hanagyu0604akko

妹は完全にパニックを起こしていた。実家はフレッ○光なので、停電が起これば電話が通じないのは当然なのだが、そんなことを妹に逐一説明している暇はとても無かった。しかし、独りでお留守番中の祖母の安否が確認出来ないのは、確かに不安である。

2011-03-25 22:42:26
はなぎう @hanagyu0604akko

仕方無い。『私が行くから、安心して』という短いメールを妹に打ち、私は必要最小限の荷物と共に実家に向かうことにした。この時の私の荷物。仕事用のバッグ(メイン&サブバッグ)、懐中電灯、乾電池、USB用充電ケーブル(ケータイ&iPod)+変換アダプタ。

2011-03-26 10:39:34
はなぎう @hanagyu0604akko

また、この時の私は部屋着(フリース+ジャージ)だったのだが、これらは断水時でも少ない水で洗濯が出来、すぐ乾くので重宝した。しかも軽くて、停電時も暖が取り易かった。靴はレインブーツを履いていった。これも、水回りに気兼ね無くザブザブ入っていけてよかった。

2011-03-26 10:46:41
はなぎう @hanagyu0604akko

アパートから自転車で20分程の所に実家はある。漕ぎ出して直ぐに、私は街の惨状を目の当たりにした。ズラッと倒れたブロック塀の列。歩道に接していない歩道橋。街灯も信号も、何もかもが点いていなくて視界が利かない。ものすごく危ない。

2011-03-26 11:02:00
はなぎう @hanagyu0604akko

忙しげに交通整理を行うお巡りさん達を横目に、ひたすら実家へと自転車を走らせた。いつの間にか雪は止み、見上げると春の星空。まるでプラネタリウムのよう。スピカの眩い煌めきに一瞬息を呑んだ。が、見惚れている場合ではなかった。

2011-03-26 11:08:08
はなぎう @hanagyu0604akko

『おばーちゃん、大丈夫!?』と実家のドアを開け放つと、真っ暗な家の中に、祖母は独りで居た。地震で壊れた食器類を片付けていたらしかった。怪我も特に無く、非常に元気であった。『来てくれてよかったわぁ、電話も通じないし…』と何度も言われる。

2011-03-26 11:12:48
はなぎう @hanagyu0604akko

夕食をどうしようか、祖母が困り果てていたので、カセットコンロとガスボンベを引っ張り出してきて、クッキングヒーターの上に据付けた。また、停電で灯りが取れないので、自転車用のLEDライトを外してきて、コップに突っ込み、天井に向けて照射。暫くこれが、夜間のメイン照明となる。

2011-03-26 11:17:49
はなぎう @hanagyu0604akko

ここで、妹が半泣きで帰宅。『よかったー、家に居たんだー、避難所じゃないかと思って捜したよー』と言う。『お姉ちゃんのケータイも通じないし!!』と言われ、えっ、と思って確認すると、どういうワケか圏外になってしまっていた。

2011-03-26 11:21:45
はなぎう @hanagyu0604akko

近所の基地局が、停電のために使えなくなってしまったのが原因らしく、向きを変えても振っても電波は入らなかった。ケータイを掴んで外へ飛び出すと、実家が高台にあるせいか、遠くの基地局の微かな電波がキャッチ出来た。停電が復旧するまで、高台の頂へメールを取込みに4・5時間おきに行っていた。

2011-03-26 11:28:24
はなぎう @hanagyu0604akko

近所の基地局が、停電のために使えなくなってしまったのが原因らしく、向きを変えても振っても電波は入らなかった。ケータイを掴んで外へ飛び出すと、実家が高台にあるせいか、遠くの基地局の微かな電波がキャッチ出来た。停電が復旧するまで、高台の頂へメールを取込みに4・5時間おきに行っていた。

2011-03-26 11:28:24
はなぎう @hanagyu0604akko

弟は渋滞に巻込まれて、夜遅くに帰ってきた(職場から家まで4時間もかかったらしい)。母は職場待機で帰れなかった。その夜は電気の入っていないこたつの上にラジオを置き、その周りにもこもこ着込んだ皆で集まって眠ることになった。電気の入っていないこたつは逆に寒いことが解った。

2011-03-26 11:38:00
はなぎう @hanagyu0604akko

翌日、電気温水器の中に溜まっていた水が尽き、遂に実家、断水になる。備蓄してあったミネラルウォーターが役立った。私もアパートから、汲置きしておいた水のボトルを持ってきた。直ぐに復旧するかと思いきや、断水は丸9日続いた。2日目・3日目の、電気も水も何も無かった時が最高にしんどかった。

2011-03-26 11:46:45
はなぎう @hanagyu0604akko

3日目の昼過ぎ、急にケータイの電波事情が良くなる。近くの基地局が通電し出したのだろう。『もうすぐ電気、来るんじゃない?』と、家族に伝える。しかし、夕方になり、夜になっても、電気は一向に来ず、がっくり、意気消沈する。

2011-03-26 11:51:17
はなぎう @hanagyu0604akko

しかし、忘れもしない、その日のPM8:40頃、閉じたカーテンの隙間から突然、白い光がこぼれた。えっ、と思い、カーテンを開けると、窓に面した通りの街灯が、煌々と点いているではないか!! 『あぁー!! 電気!! 電気!!!』という私の声に、祖母が隣室から小走りでやってきた。

2011-03-26 11:56:41
はなぎう @hanagyu0604akko

停電時、友人からのアドバイス通り、すべてのプラグを抜いてブレーカーを落としていたので(これをせずに火災が起きた家が、結構あった)、それを上げて、問題が無いことをチェック。そして、ダイニングの電灯をON。その時私は、これまで生きてきた中で、最も温かな灯りを見た。

2011-03-26 12:01:12
はなぎう @hanagyu0604akko

心に火が灯る、って、多分あの瞬間の気持ちを言うのだろう。明るくて温かくて、私は泣いた。こたつに電気を点けると、やっぱりとろけるように温かかった。家族が帰ってきて『あっ、電気点いてるー!?』と目を丸くして喜んでいる顔が嬉しかった。『温かいね、有難いね』と口々に言い合った。

2011-03-26 12:07:30
はなぎう @hanagyu0604akko

深夜になって、家族が寝静まってから、震災以来ずっと考えていたことを行動に移した。Twitterへのアカウント登録。使うつもりは無かったけれど、情報を知らなきゃ、大事な人達を守れない。そう、思った。で、現在に至る、というわけである。長かったー。さて、通常のツイートに戻ります。

2011-03-26 12:12:37
はなぎう @hanagyu0604akko

毎日少しずつ、自宅の片付けをしている。この掛時計、壁の釘ごと高い位置から落下したにも関わらず、奇跡的に無傷。文字盤は、地震発生の時刻を指したまま。電池を入れ直したら、また時を刻み始めた。 http://photozou.jp/photo/show/1495671/73032296

2011-03-27 22:27:27