このまとめの後半は、日本のフェミニズム批判になっているが、気になったことがある。60年代、加藤シヅエがピル認可に反対していたとの記述ののち、→ 緊急避妊薬の市販薬化見送りについて - Togetterまとめ togetter.com/li/1135052#c40…
2017-08-01 21:36:00いきなり現在にまで話が飛び、「日本には避妊へのアクセス障壁に反対する勢力がなかった」と述べている。しかし、70年代から現在までの間に、ピル認可などを求める運動は本当になかったのだろうか。
2017-08-01 21:38:21私が生まれる前の話なので、ネットや書籍で調べるしか道がないのが残念だが、それでも調べてみると、「中ピ連」と呼ばれる団体の存在にすぐ気がついた。中ピ連という単語については、TLでも何度か目にしていたが、これまでよく調べることがなかったので、これを機会に調べることにする。
2017-08-01 21:40:24中ピ連とは、「中絶禁止法に反対し、ピル解禁を要求する女性解放連合」の略称。当時加藤シヅエが会長を務めていた日本家族計画連盟主催の検討会に出向き、ピル解禁を求めるなど、過激な活動をすることで話題になり、メディアにもよく取り上げられていたようだ。
2017-08-01 21:46:10中ピ連については、フェミニストたちから何故か冷たい反応をされることが多いが、ウーマンリブの勢力としてかなり有名なものだったことには間違いないと思うのだが。
2017-08-01 21:55:59そして、調べてみると、加藤シヅエの活動のメインが、産児制限運動だったようだ。しかし彼女の産児制限の動機は女性の権利・避妊の権利というより、優生思想であり、議員時代には優生保護法の成立にも寄与している。彼女を「フェミニスト」と評するに値するような活動は見た限り無かった。
2017-08-01 21:58:47訂正。加藤シヅエが1948年に優生保護法の法案提出をしたのは事実だが、その時は廃案になっていて、後に谷口弥三郎議員の尽力で成立したようなので「優生保護法の成立に寄与した」は正確ではないかもしれない。
2017-08-01 22:10:31「加藤シヅエはペッサリー推進派だった」との話について。直接そのような記述はまだ見つけていないが、産児制限運動を代表するひとり、マーガレット・サンガー氏は、自身の運営する避妊クリニックで、ペッサリーを用いた避妊指導をしていたという。(山本起世子「生殖をめぐる政治と家族変動」より)
2017-08-01 22:27:50ただしサンガーが活躍していたのは1920年代で、その頃アメリカ留学していた加藤シヅエが影響を受けたという。彼女とサンガーとでは、活躍の時期が違うので、もし同じ避妊方法を推奨していたとしても評価は分かれるところだろう。ペッサリーは20年代、女性が主体的に避妊できると注目されていた。
2017-08-01 22:34:42以下から始まるNINAさんの連ツイで出されているご疑問点について簡単に述べてみたいと思います。→ twitter.com/NINA32674927/s…
2017-11-10 21:35:36→日本で経口避妊薬の認可申請は60年代と80年代の二度ありました。 どちらも製薬会社数社による一斉申請でした。 厚生省の意向を受けての申請と考えられます。
2017-11-10 21:36:44→60年代の申請は加藤氏の活躍で潰されます。ピルの承認に反対する加藤氏の国会質問の議事録も残っています。審議の最終段階で承認阻止のための強硬手段が取られたことについても関係者の証言が残っています。
2017-11-10 21:37:22→加藤氏は婦人民主クラブの創立メンバーで、代議士で、家族計画連盟会長です。リブ以前のフェミニズムに絶大な影響力を持つ人物でした。
2017-11-10 21:37:54→加藤がピルの認可に猛反対する背景には、国策家族計画運動があります。この運動を実質的に担ったのは、地域の助産婦でした。助産婦はペッサリーの販売で利益を得ていました。
2017-11-10 21:38:27→60年代には家庭出産から病院出産への移行が急速に進んでいました。ピルの認可は助産婦業界の苦境に追い打ちとなる、そのような認識があったといわれています。
2017-11-10 21:38:55→中ピ連の登場する時期は60年代のピル認可申請がつぶされた後の時期で、認可再申請などの動きは全くない時期でした。中ピ連は上述の事情を当然に知っていました。加藤氏が障害との認識を持っていたでしょう。
2017-11-10 21:39:49→中ピ連はリブの中でセクトの背景を持たない特異なグループでした。リブ主流の主たる関心はセクトの政治課題(反戦など)でした。ピル解禁を唱える中ピ連は彼らの関心外のことを言い始めた奇妙な人たちであり、「リブでない」との認識も生まれていました。
2017-11-10 21:40:30→リブ主流の中にピル認可に消極的な言説はたくさんありますが、肯定的な言説を見つけることはほぼできません。リブ主流を継承するふぇみにずむ主流の中にピル認可に前向きな言説が現れるのは、90年代半ばになってからです。
2017-11-10 21:42:00→80年代には二度目のピル認可申請がなされます。ふぇみにずむ界は総じて無関心でしたが、フェミニスト雑誌『あごら』は加藤を登場させて、ペッサリーの避妊効果は極めて高いなどと述べさせています。
2017-11-10 21:42:31→北京会議はピルに前向きなフェミニストが出てくるきっかけになりました。しかし、ピルへのアレルギーが消えることはありませんでした。ピル認可反対のロビー活動を最も熱心に行ったのは、フェミニストグループでした。
2017-11-10 21:43:15→ピル解禁が既定路線になっていた99年になって、バイアグラとピルの言説が流布します。これを機にフェミ界は雪崩を打ってピル解禁賛成に流れていきます。
2017-11-10 21:44:07→99年のピル解禁はいわば外圧でなされた解禁で、名ばかり解禁と言えるようなものでした。避妊の権利を保障する実質的解禁を私は求めましたが、ふぇみにすとは無関心でした。
2017-11-10 21:44:39→無関心だけでなく、ピルの半解禁政策に積極的に加担しました。イギリスで1シート百円強のピルを保険適用にし約7000円の薬価を設定しました。無茶苦茶なのです。この暴虐を積極的に支持したのは、某国会議員です。彼女は国会質問で安くない薬価の設定を求めたのです。
2017-11-10 21:45:21→ピルが半解禁であったのとまさに同様なのが、ノルレボの認可です。アクセスを極めて困難にし、避妊へアクセスする権利を制約しています。私たちはこの状態の是正を求めました。ふぇみにすとちの反応はご存じのとおりです。
2017-11-10 21:45:58