録音された演奏の存在論

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*死に舞/shinimai @shinimai

@taninen そうですね、先程からの議論はフィクションや物語の存在論ですね。それと演奏と録音の話はちょっと違うと思います。とはいうもの、どちらも興味深い問題であるし、多少関わるように思います。

2011-03-23 17:57:58
taniguchifumikazu @taninen

@shinimai 確認だけど、仮に録音は音の出来事を忠実に記録するメディアであると考えるなら、録音物から聞こえる演奏も「実在した個別の出来事であるところの演奏」と考えて良いの?

2011-03-23 18:02:18
*死に舞/shinimai @shinimai

@taninen 意見が分かれます。ウォルトンの写真における透明性テーゼの録音物のバージョンを受け入れた場合、そのように考えて良いです。Kaniaはそういう立場ですが、それを否定する人々もいるようです。

2011-03-23 18:05:34
taniguchifumikazu @taninen

@shinimai では、様々な編集を経て制作されたレコードの演奏から聞こえるのは「出来事としてあったかのように聞こえる演奏」である、と考えるわけにはいかないだろうか。

2011-03-23 18:12:13
*死に舞/shinimai @shinimai

@taninen 「出来事としてあったかのように聞こえる演奏」は厳密には「出来事である演奏」と異なるんでしょうか?

2011-03-23 18:20:32
taniguchifumikazu @taninen

@shinimai 「出来事である演奏の記録」は、実在した出来事を「聞こえるものが出来事であること」の根拠にしているけど、「出来事であったかのように聞こえる演奏」にはそれがない。

2011-03-23 18:26:39
*死に舞/shinimai @shinimai

@taninen 根拠というか因果的な依存性と言った方が良いように感じます。その点に関してはやはりKaniaがクラシックのスタジオ録音を演奏とみなせるかどうかについて議論してますね。そしてその結論は多分、谷口さんの意見と同じです。

2011-03-23 18:31:19
taniguchifumikazu @taninen

@shinimai ちょっと話変わるけど、あんこが煮える音を録音して溶岩が沸き上がる音の演出に使った時、「溶岩が沸き上がるという出来事が聞こえる」と言えるのかしらん。

2011-03-23 18:36:37
taniguchifumikazu @taninen

@shinimai というのも、僕がフィクションという線から映画のことを考える時、それは多分「原作を持つ物語の映像による描写」とは別のことなんだよね。あくまで、映画を観る人にとって何が見えているのかという問題。これはやはり存在論から離れてしまうのだろうか。

2011-03-23 18:38:55
*死に舞/shinimai @shinimai

@taninen 「ハムレットが復讐を果たした」という出来事と同じレベルで、「溶岩が湧き上がる」という出来事が起こったと言えるでしょうが、「俳優がおじぎをした」という出来事と同じレベルでは言えないでしょう。前者について出来事という言葉を使うのは違和感ありますが。

2011-03-23 18:44:51
*死に舞/shinimai @shinimai

@taninen その問い自体は存在論と関わると思いますよ。くだけた言い方をすると、映画内での出来事と、現実の出来事の違いは、存在論的にも違うように思えますし。

2011-03-23 18:46:09
*死に舞/shinimai @shinimai

@taninen 「溶岩が沸き上がるという出来事」。これは実際の出来事の映像である場合と、CGや特撮による物語内の出来事である可能性ありますよね。後者は、普通の意味では出来事ではないですよね。

2011-03-23 18:47:45
taniguchifumikazu @taninen

@shinimai 話を戻すと、録音物の演奏もまた、ここで言うところの「普通の意味では出来事ではない」と考えようというのが、現時点での今井君の立場なのだろうか。

2011-03-23 18:50:24
*死に舞/shinimai @shinimai

@taninen その問題はまだ問い詰めてないので、あまりはっきりした立場を表明できませんね。Kaniaの議論に即すれば、録音物の録音の仕方によっては、通常の意味での演奏という出来事を聞いたと言えるでしょうが、編集の度合いによっては「演奏」とはみなせないでしょう。

2011-03-23 18:53:51
taniguchifumikazu @taninen

@shinimai 「ハムレットの復讐」というところまで行かなくても、「登場人物がおじぎをした」と「俳優がおじぎをした」は、重なり合っているけど存在論的には分けて考えられるよね? 観る者は見ようによって、そのどちらも見ることができる。

2011-03-23 18:55:20
*死に舞/shinimai @shinimai

@taninen KaniaはAron Edidinの三つの録音物の種類分けをひいています。を

2011-03-23 18:55:31
*死に舞/shinimai @shinimai

@taninen recordings of performancesとrecordings of compositionと recording artifacts

2011-03-23 18:56:16
*死に舞/shinimai @shinimai

@taninen そうですね。行為者の意図などによって、それら二つの行為は個別化されるように思えます。

2011-03-23 18:57:18
*死に舞/shinimai @shinimai

@taninen なので、非常に一般的にいって、我々が演劇や映画を見るとき、実際には二つのものを見ているのでしょう。物語に属するなにかと、演技に属する何か。

2011-03-23 18:58:18
taniguchifumikazu @taninen

@shinimai これやね。探してみる>Aron Edidin 1999 "Three Kinds of Recording and the Metaphysics of Music" British Journal of Aesthetics 39/1: pp.24-39.

2011-03-23 19:00:20
*死に舞/shinimai @shinimai

@taninen 谷口さんが映画との比較にこだわる理由は、やはり表現論の問題を扱いたいからでしょうかね。

2011-03-23 19:01:01
*死に舞/shinimai @shinimai

@taninen なんかまあ素朴な分類だと思いますよ。いちおう、使えるってKaniaは言っているだけで。細かく分けるといくらでも分類できそうですよね、録音物は。

2011-03-23 19:01:46
taniguchifumikazu @taninen

@shinimai であれば、「レコードの演奏」もまた、その二つの存在を同時に含んでいるのではないかしらん。個々の演奏者の身体に因果的に依存する演奏と、編集を通じて、そうであったかのように作られた演奏、という風に。

2011-03-23 19:04:53
taniguchifumikazu @taninen

@shinimai 表現論的関心も勿論あるけど、それと同時に、今問題になっている存在論が「表現された存在」を扱っているように思えるからかもしれない。

2011-03-23 19:06:40