何年目かの浮気

しらすソーダ(符牒)。
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里村邦彦 @SaTMRa

さんねんめのー、うわきぐらいー、おおめにみろよー。(意図的に平坦な麻子さんの声でお願いします)

2017-12-28 20:59:35
里村邦彦 @SaTMRa

いいから。気にしないでいいから、っていうか、そのままでいいから。だから。私が。私がそこにいないときに、麻子から目を離さないでいてほしいんだ。武部沙織がそう切り出したとき、カトラスは不思議な既視感を覚えていた。多分彼女は、麻子に自分と同じものを見ているのだ。

2017-12-28 21:02:31
里村邦彦 @SaTMRa

冷泉麻子はカトラスがあの船舶科の、船底の、「どん底」の、過ごした最後の一年の、かなり厚みのある思い出だった。別に難しいところはない。ほとんど行為だけの関係だった。今でも思うし、あのころだってそうだった。ただ少し、相手が変わりものだったというだけで。

2017-12-29 05:21:57
里村邦彦 @SaTMRa

麻子はいわゆる天才の類で、朝起きてくること以外は、何をやらせてもそつなくこなした。朝に弱いということも、わざとやっていると疑ったほどだ。一年と少しの付き合いでも、彼女の才気は嫌でも知れた。あの風紀の様子を見れば、むしろ付き合いが短かくて、住んでいる場所も遠かったからかもしれない。

2017-12-29 05:26:03
里村邦彦 @SaTMRa

二度目の冬の、最後の冬の、船底でさえ底冷えする晩に、このまま船で暮らすと聞いたときには、だからたいそう驚いたものだった。大学へは行かない。就職先も見つけた。おバアをほってはおけないからな。寝物語にもあまりに低く、小さくすぎる呟きは、誰にも聞かせたくないようで。躰は酷く冷えていた。

2017-12-29 05:32:46
里村邦彦 @SaTMRa

遠い。深い。聞こえない。つまり冷泉麻子にとって、カトラスはそんな相手だった。カトラスも、勤めてそのように振舞っていた。半年は自然に。半年はかなり苦労して。何ヶ月かは歯をくいしばって。

2017-12-29 05:35:51
里村邦彦 @SaTMRa

冷泉麻子が消えたと知ったのは、カトラスと呼ばれなくなってから五年も経ったあとのことだった。喪主を粛々と勤めたあと、そのまま行方が知れないという。電話口、昔のチームメイトは、涙で嗄れた声をしていた。ただ、取り乱してはいないようだった。

2017-12-29 05:39:20
里村邦彦 @SaTMRa

それから、さらに一年ばかり。冬の西海岸、夜明け前。港町はミルクのように濃い霧へ沈んでいた。短い休暇、会社の手配した陸のホテルはあまり上等ではなかったが、そのぶん人の出入りには寛容だった。つまり、ベッドのシーツはいま、何年ぶりかに会った相手に独占されている。

2017-12-29 05:44:03
里村邦彦 @SaTMRa

時間が経ったのは知らないと言わんばかりの様子だった。お互いあまり背も変わらないから、おかしな既視感に襲われた。いつもの? いつもの。というやりとりもそのままだ。ステアで何杯か用意して、今はだいぶ酒精も効かせた。相変わらず、麻子の躰は酷く冷たいままだった。

2017-12-29 05:46:38
里村邦彦 @SaTMRa

微かな寝息を遠くに聴いて、写真を一枚。SNSで送りつけた。向こうは宵の口だ。あまり待たずに反応があった。逃さないで! わかってるって。声には出さない。肩をすくめる。結局、武部の方が承知していた。麻子はどうにも人の機微に疎いところがある。

2017-12-29 05:50:45
里村邦彦 @SaTMRa

馬鹿だな。あんた、私が心配しないとでも思ってたのか。炭酸水をグラスに注ぎながら、昔、武部と約束したことを思い出した。馬鹿な女に乾杯。お互い、ろくでもない相手にひっかかった。まあ、ここから色々返してもらうとしようじゃないか。

2017-12-29 05:53:24