残念ながらそっちのが多数派ではあるんだよね。文芸部に所属してますっていったら「野菜とか花とか育ててるの?」「針でチクチク?」のやり取りが何度あったことか
2011-04-02 21:36:53ごめんなさい私も文芸という響きがピンと来なかったクチです。高校の頃「長門って何してたの?」とか素で思ってますた。だって文芸部≒図書委員みたいな感じだったんだよ、うちの高校。
2011-04-02 21:49:37自分も実際に「文芸」という単語に向き合ったのは大学からだけどすぐに具体的なイメージは掴めた。そして中にいる人間がどういう人なのか容易に想像できた。
2011-04-02 22:03:46@NKJ8906 「文」章と「芸」術という一般的には区別されているものを合わせた結果が曖昧でよくわからないものを生み出してるのでしょうか。文字書きにとっては文学も立派な芸術なんですけどね。
2011-04-02 22:24:13@yusa016 大前提となるものが曖昧な分、様々な「文芸部」の活動内容によってイメージが変化する振れ幅が大きいのは感じますね。野球部ならそうそうブレないものが、文芸部では容易にブレる。芸術ならではですけど、絵画部だとその点ブレないのは面白いです
2011-04-02 22:29:41内側にいる人間にとって、小説・詩想・評論をすべてフォローしてしまう「文芸」という熟語はとても美しい言葉に感じるんだけどね。無駄のないフォルム、的な。
2011-04-02 22:26:39@NKJ8906 それは大いに感じます。ひとえに文芸部と言っても様々な類型があるらしいですし。美術部とかも活動が様々ですけど、イメージがブレない理由の一つとして教育課程があるんじゃないかなって。美術の科目はあるけど、「文芸」という科目の時間はない。
2011-04-02 22:37:04美術の時間で絵や彫像をしても、国語は言語情報の処理の時間で、詩や小説を書く時間は少ないよね。特に中学以降。これって文化的に相当危険なことなんじゃないかって思ってる。
2011-04-02 22:42:50@yusa016 国語も作文も文芸じゃないですからね。読書を繰り返しても、自分で創ろうとする人はそんなにいないと思います。だからそういう人から見れば、作品は受動的な享受が当たり前で、能動的な創作はやはりどこかイメージし難い異質なもの、なんでしょう。
2011-04-02 22:46:04@NKJ8906 イメージできない人間はずっと受動的で、文芸が一部の人間だけのものって考えるとなんだか悲しいですね。これだけアクセスの容易な芸術も他にないだろうに、もったいない。
2011-04-02 23:16:23それを伝道していくのが文芸部の仕事なのかな?そういう点でも勧誘の文句が「創作する?」じゃなくて「本読む?」なのは手順としてものすごく妥当性がある。
2011-04-02 23:18:12@yusa016 (差別的ニュアンスは無視して)一般人は言語は言語でしかないと考えるものですから、誰かに伝える簡易な言語であればよくて、思想や主張を婉曲的に伝えるのは煩雑なんでしょう。僕ももったいないと思います。
2011-04-02 23:23:45@NKJ8906 その煩雑な仕事を進んでやるのが物書きと言う人間なんでしょうね。そうか、識字率99%と言っても必ずしも言語と文章は同じものではないんですね。勉強になりました。
2011-04-02 23:41:23@yusa016 こっちも考える機会を貰えたことに感謝です。補足するなら、『ツァラトゥストラ』の冒頭に、「誰でも読めるが誰も理解できない」とありますが、まさに識字と言語の奇妙な関係を暗喩的に表現してると言えます。
2011-04-02 23:56:14