@gatabutsu さん、ちょっと調べてみました。「寺泊が日本の歴史の上に初めて登場するのは、弘仁13(822)年、国分寺の尼法光が旅人の難儀を救うために伊神の渡戸浜(わたべはま)(寺泊)に布施屋(無料宿泊所)を設け、(続く
2011-04-04 20:30:06@gatabutsu (続き)渡船2隻を置いたという『袖中抄』(しゅうちゅうしょう)の記録であります。寺泊の地名もここに由来すると言われています。」平成3年、寺泊町商工観光課発行『詩情豊かな寺泊の史跡』より。
2011-04-04 20:30:51@gatabutsuこんなサイト http://www.oh-media.com/06hp/htm/arekore.htm を見つけて、さきほどコピペしました。^^
2011-04-04 20:47:59@yu_hori @gatabutsu 同じ記述のある「海都 寺泊浜ある記」という本持ってます。同じく平成3年に出版。寺泊観光協会から数冊もらいましたwあと寺泊の「トマリ」はアイヌ語の「港」の意味という説を聞いたことがあります。でもネットで調べたら反対派の意見が多かった。。
2011-04-04 20:49:19@yu_hori さらっと流し見しましたが、かなりおもしろいっす。先日、三条のお寺にいったときに重文の仏像があったのですが、元々その寺にあったわけではなくって、どこかの国分寺から持ってきたと言われているようなのですよー。おもしろいわー!
2011-04-04 20:51:46@icoro @gatabutsu トマリについては、それも否定できないと思います。地名は、漢字があて字の場合と、意味を表わす場合があるので、深い考察が必要とされますね。
2011-04-04 20:53:44@yu_hori あ。因みにガタさんとの寺泊のやりとり見ていたのですが、泊、とは港、あるいは湾の意。アイヌ族がもともと何々トマリとつけていた港の名をどうせ船を留めるのだからとついそのままの名をつけたものらしいです。そしてその頃栄えた国上寺の港津だとしたのが隠当らしいとのことです。
2011-04-04 20:57:35@gatabutsu おもしろいですね^^お寺って何百年もその土地にあるし、経済文化の中心地って感じですねいろんなものを牛耳る力もあったろうし、人々も集まってきたのだろうし^^
2011-04-04 21:01:16