超準解析において無限小量はいかなる意味で「存在する」のか

超準解析が,(微積分の黎明期には不合理な架空の量とされた)無限小量についての実在性(存在すること)の主張を含んでいると言われることがあります.ただし,ここで「存在する」ということの具体的な内容には幾つかのバリエーションがあるように思われます.ここでは三つの立場を取り上げてみました.
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dif_engine @dif_engine

「超準解析ってどういうアレなんですか? 無限小ってのはどういうアレなんですか?」みたいな質問にうまく答えられるようになりたいものだ.

2018-04-28 21:16:13
dif_engine @dif_engine

結局どこかでメタな視点は入ってくるが,数学におけるメタな視点というのはやや難しい.難しさは,メタな視点そのものにあるというよりは,メタな視点を含んだ議論を整然と行うことにあるのだという気もしてる.

2018-04-28 21:18:08
dif_engine @dif_engine

もちろん,メタな議論の中には一度自然数論を経由して...のように技術的に高度なものもある.でも超準解析に関して必要なメタ視点というのはモデル理論のごくごく最初の方に書いてあるようなことで充分.

2018-04-28 21:19:56
dif_engine @dif_engine

「超準解析における無限小とは何か」という質問を深掘りすると,「”普通の議論”では矛盾を含む存在だとして忌避されてきた無限小がどうやって復活できたのか」ということになる.

2018-04-28 21:21:24
dif_engine @dif_engine

超準解析の創始者A・ロビンソンは,1966年の「non-standard analysis」の後書きで「(これらの量は)新しい推論過程なのである」などと言っており,実在性を否定している.

2018-04-28 21:25:55
dif_engine @dif_engine

超準解析における無限小とは何か,について答えようとすると「存在するとはどのようなことか」という哲学の話題に巻き込まれてしまうことになる.ロビンソンは件の後書きで,論理実証主義者への注意として推論過程としての説明をしていたことに注意しよう.

2018-04-28 21:28:40
dif_engine @dif_engine

「論理実証主義者」としてロビンソンが念頭に置いていたのが具体的に誰かは(私には)わからないが,どうもあの時代(1966年前後ということ)には「存在論などくだらない」みたいな風潮があったらしい.(というより存在論の復権ということ自体が最近の出来事らしい.)

2018-04-28 21:30:58
dif_engine @dif_engine

2000年に亡くなったクワインが晩年(1990年)に出した『真理を追って』(pursuit of truth)には「存在論などどうでもよい」という節がある.書いてあることはよくわからないが,スコーレム関数で消せるじゃんみたいなことを言ってるらしい.

2018-04-28 21:36:14
dif_engine @dif_engine

「世界=一階述語論理で記述されるもの」という謎の前提が(読者の了承を得ずに)置かれてる気がするけど,存在論をこのように気軽に,「つまり一階の述語論理の∃で記述されるもの」と定式化することが許されるのならば,超準解析において無限小は確かに存在すると言って良さそうではある.

2018-04-28 21:38:48
dif_engine @dif_engine

ただし,「世界=一階述語論理で記述されるもの」という暗黙の前提があるので,話は(クワイン流の単純な存在論を採用しても)そんなに簡単ではない.なぜなら,無限小の量は「我々の宇宙とそっくり同じだがより密度の高い宇宙」での「存在」だから.

2018-04-28 21:42:10
dif_engine @dif_engine

クワイン流の単純な存在論は,「一階述語論理で記述されるもの全体」が何らかの形で一意に定まることを前提としなければ成立しない.レーヴェンハイム=スコーレムの定理によってある程度この立場は危うくされているはずであり,実際クワインも例の箇所でこの定理に言及している.

2018-04-28 21:46:42
dif_engine @dif_engine

「そんなラディカルに考えたらあかんよキミたち!」みたいなエエカゲンなことを書いてこの節は締めくくられてる.いいんですかクワイン先生そんなことで.

2018-04-28 21:47:59
dif_engine @dif_engine

とにかく宇宙---ここでは数学的思考の対象すべてが包含された領域---が一意ではなく,しかも強く絡み合ったような宇宙のペアが存在することさえ飲み込めれば,超準解析はそんなに難しくない.難しいのは,「宇宙が複数存在することを信じること」や「宇宙を移動しながら議論すること」

2018-04-28 21:53:49
dif_engine @dif_engine

こう書くと,まるで超準解析がそんな壮大な見取り図の上でないと成立しないかのように思えるかもしれないが,1977年にネルソンが提案した internal set theory では,ZFCに「set formation に使えないarity 1の述語」を一つ加えるだけで超準解析を実現している.

2018-04-28 22:05:32
dif_engine @dif_engine

ロビンソン=ザーコンによる上部構造の議論では,宇宙を二つ,(U,Wとしよう)を用意する.(これらの宇宙は「原子」からなる部分集合を含んでいるのだがその話は今は忘れることにしよう)これらをつなぐ単射 j : U -> W がさらに存在し,移行原理が成り立つ.

2018-04-28 22:07:57
dif_engine @dif_engine

移行原理の説明も今はしないでおく.とりあえずjが単射であることに注意すると,jによってUをWの部分集合だと「思う」ことができるのだった.こうして,二つの宇宙は入れ子状態に重なっている.この状況をネルソンのISTではarity 1 の述語 st() で表現する.

2018-04-28 22:09:53
dif_engine @dif_engine

つまり,S = {x | st(x) } というクラス(実は真クラスであることがわかる)とするとき,SはZFCのset formation について閉じていることがわかる.こうして,先程のU,Wを使って標語的に不正確な言い方をすれば U : W = S : V という状況が実現する.

2018-04-28 22:12:30
dif_engine @dif_engine

「じゃあ大体同じですね」というとそうはならない.ネルソン流ではZFCの公理と三つの公理(公理図式)からすべてが説明されるので一見単純だが,Wに相当する部分がV={x|x = x} なので,「Wの任意の部分集合」に該当する便利な言い回しが存在しない.

2018-04-28 22:15:34
dif_engine @dif_engine

Wは(まあ大体は)ZFCのモデルになっている一方で,ZFCの言語で記述できないWの部分集合も(「親」のZFCモデルの中で)記述できるのが利点でもある.この利点を積極的に利用する例がLoeb測度と超準包の理論

2018-04-28 22:18:15
dif_engine @dif_engine

話を戻すと,超準解析における無限小量の「存在」はクワイン風の単純な存在論を採用する限り問題ない.とはいえ,ロビンソンは「新しい演繹プロセス」みたいなことを言ってるのは先述の通り.実際にはこのロビンソンの立場は晩年のライプニッツの立場に近いかも知れない.

2018-04-28 22:46:29
dif_engine @dif_engine

ライプニッツが晩年の手紙で「無限小の実在性を否定するような迷惑なことを言ってくれるなとロピタルに言われたwwwwうぜえwww」的なことを書いてるらしい.(ロビンソン1966での引用によると)

2018-04-28 22:48:43
dif_engine @dif_engine

「新しい演繹として」という立場は,無限小の存在そのものを問うのではなく,「無限小を含んだ議論が一貫性を持って行える」ことだけ見れば充分という立場だとも言える.

2018-04-28 22:50:41
dif_engine @dif_engine

以上で,(1)クワイン風の説明;つまり存在論を形式化することにより「存在」の価値を下げた上で無限小の「存在」を認める.(2)「存在」を問うのではなく無限小をめぐる一貫した数学ゲームが成立することだけに注意を払う. という二つの立場を説明した.

2018-04-28 22:54:19
dif_engine @dif_engine

ちなみにネルソンは「超準解析は要するに一種の証明圧縮法では」みたいなことを言っている.上の(2)に近い立場に分類していいと思う.

2018-04-28 22:56:53
dif_engine @dif_engine

2014年に亡くなったネルソンの宿命のライバル(ただし片思い)でまだご存命のフルバチェックは,(1)とも(2)とも違う考えを持っているように思われる.フルバチェックが強力に推進しているのは「相対的超準集合論」である.

2018-04-28 23:00:28