④他人同士が共同生活をしているのが社会である以上、「迷惑」を過度の拡大解釈すれば、究極的には一人の人間が呼吸によって二酸化炭素排出している事(!)からして「迷惑」だといわねばなりません。日本人は往々、周りに「迷惑」をかけることを恐れる余り、人権の行使までも遠慮してしまいます。>⑤
2011-04-11 23:26:50⑤のみならず、人権を主張する者を迷惑者扱いする傾向があります。そんな「世間」の圧力がデモを抑止し、既成秩序への強い異議アピールがしにくくなります。次の選挙までおとなしく待てということになる。既成秩序がどんな不正を日常的に再生産しても、それだけは「迷惑」でないかのように!>⑥
2011-04-11 23:27:06⑥心理学者の渡邊芳之さん( @ynabe39)が、人は自由に生活していれば必ず他人に「迷惑」をかけているのだという前提から、今日のツイートで「デモ迷惑論」を批判ないし揶揄しておられました。その前提はOKなのですが、そこからの飛躍が、想定できる範囲とはいえ、まあスゴイです。>⑦
2011-04-11 23:27:24⑦ @ynabe39さんは、デモは「もともと迷惑かけるのが目的」(注:「迷惑」概念を過度に拡大しないと、平和的デモに対してこんなことは言えないと私は思う)と断じた上で、同質の行為も「少人数でやるとテロ,大人数でやるとデモ,もっと大人数でやると政策です」とツイートされました。>⑧
2011-04-11 23:27:38⑧つまり、テロリズムとデモの間にある差異は「『手段の濃淡』であって『本質的な違い』とまでは言えない」( @ynabe39)と仰るわけです。「迷惑」だけをキーワードにして何もかも相対化なさるから、こんな結論になってしまうのです。いくら何でもこの結論には承服できません。なぜなら、>⑨
2011-04-11 23:27:52⑨こうやってテロとデモ(さらには「政策」)を同質の迷惑行為と見なすと、ある行為がテロか、デモか、政策実行か、を決するのは、それがまさしく「少人数」の仕業か「大人数」の仕業かの違いだけだということになります。全部五十歩百歩というこの種の超絶相対主義の中で何が帰結するでしょうか?>⑩
2011-04-11 23:28:07⑩当然、一方でテロの暴力性が免罪され、その非合法性が相対化されます。他方ではデモが暴力へと変質・堕落するよう誘われ、民主社会におけるその合法性が脅かされます。案の定 @ynabe39さん曰く、「ものすごく迷惑なデモだけが社会を動かす。迷惑かける気のない(…)デモなどやるな」。>⑪
2011-04-11 23:28:25⑪「世界の歴史で『政治的に見て意味があったデモ』ではほとんどの場合巻き添えでも死者が出て」云々( @ynabe39)というご発言にも首をひねりました。そんな悲劇なしに成功したデモは沢山あるし、死者が出た場合も、それは大抵デモによってではなく、デモに対する弾圧によってでしょう。>⑫
2011-04-11 23:28:44⑫テロは、恐怖に陥れる(テロる)、危害を加える等の手段によって他者の自由を奪う犯罪です。それこそ人権侵害であり、究極の「迷惑行為」です。デモは、そんなことは一切しません。デモは、民主主義という名の文明化された政治闘争の一環です。断じて、一般的意味における迷惑行為ではありません。了
2011-04-11 23:29:09「迷惑」も「世間」も興味深い。渡邊さんはたぶん迷惑潔癖症をご批判かと。そこは了解。が、「迷惑」というキーワードだけでは滅茶苦茶なことに…RT @karen_mushi …「迷惑」という日本語は、非常に面白いですね。RT @hori_shigeki 渡邊芳之さん(@ynabe39)
2011-04-12 00:30:32デモ批判派からもデモ擁護派からもdisられるような主張がきちんとできたので満足している。どっちかにつくようなことするわけないだろバーカ。
2011-04-12 03:40:37