1988年6月24日(金)の旅日記(90日目・シベリア鉄道ウランウデ→クラスノヤルスク手前)

シベリア鉄道本線に合流。白夜、一日一時間増える時差、北京時間の乗務員、モスクワ時間の時刻表、動かぬ腹時計。
2
桃岩荘人 @namihei1224

澳門から広州にナイトフェリーで入り、珠江のほとりのホワイトスワンという大きなできたてのホテルの、クーラーの効いたロビーやレストランにサンダル短パンで出入りしていた。橋をわたって、市街地に入るとすぐに市場があって、さまざまな野生動物が売られていた。

2017-06-24 22:53:58
桃岩荘人 @namihei1224

プレイボーイ香港版を隠して本土に持ち込み、貴陽で立派な中山服と物々交換。ヤミ両替の見つからない街で手元にRMBがなく仕方がなかった。かさばるが、ここまで結構役立っている。夏直前のモスクワまでは重宝するだろう。

2017-06-24 22:58:25
桃岩荘人 @namihei1224

広州からは、観光客の集中していた桂林をスキップして、貴陽へ行った。2年前の時と同じく片言中国語で硬座を買ったが、多様な民族が住み方言も多様だからできたこと。貴州は菜の花畑がきれいだった。

2017-06-24 22:59:16
桃岩荘人 @namihei1224

雲南少数民族を訪ねる小旅行は、香港人たちとグループで。ビルマに密入国もして、記念写真も撮った。これも中国人のふりをして、香港人といっしょだったからできたと思う。バスは崖を走り、ずいぶんひやひやした。

2017-06-24 23:00:26
桃岩荘人 @namihei1224

大理ではずいぶん年上の日本人たちにあった。市場の屋台で撮った写真がある。麗江では玉龍雪山という見事な秀峰が見え、あの連なりにチベットがあると感慨深かった。昆明はまだ大きな建物はそれほど多くなく、発展途上の街だった。街のシンボルだったのは、大きな池。すでに緑色に汚れていた。

2017-06-24 23:03:57
桃岩荘人 @namihei1224

昆明名物の米線はハノイのPhoとはずいぶん印象が違う。成都もそうだが、西南中国のからみはラーよりマー、つまり山椒の風味と辛さが特徴で、毎日食べるには刺激が強すぎた。衛生面でも問題があったようで、激しくおなかをこわした。

2017-06-24 23:04:34
桃岩荘人 @namihei1224

お守り代わりの正露丸が効かず、村で評判の漢方医にかかった。旅もひと月を超え、最初の疲れが出てきたころだった。しかし今考えても、たった一人、あの広大な中国を片言の言葉でよく3か月も回ったもんだ。

2017-06-24 23:04:47
桃岩荘人 @namihei1224

成都は毛沢東の大きな石像が記憶に残る巨大な街。2年前にも訪れた武候祠に孔明を訪ね、きり絵のお土産を買った。陳麻婆豆腐も食べた。重慶から三峡下りの船は、まだ三峡ダムできる前で、乗船するとき、川面に浮かぶ船までずいぶん歩いて下った。きっと今はダムの底か。

2017-06-24 23:06:44
桃岩荘人 @namihei1224

船旅では複数の外人老若男女の友人ができた。

2017-06-24 23:07:14
桃岩荘人 @namihei1224

旅順に忍び込んだのは、武漢で船を下り、鉄路で鄭州→青島、船で天津に向かう途中、大連に寄ったから。未開放だったので中国人のふりをしてバスで行ったが、ばれていたのだろうか。北京の駅前で宮原とあきやに会ったのは、いま考えても不思議だ。

2017-06-24 23:09:28
桃岩荘人 @namihei1224

北京のバックパッカーのたまり場、僑園飯店のトイレに入ると、ドアに殴り書きがあった。「You want to go to Europe? Come to dormitory #***, *F!」 そこに行くと西独人のおじさんがにやにや座っている。ウエストポーチにたくさんのチケット。

2017-06-24 23:11:03
桃岩荘人 @namihei1224

話を聞けばブタペストで買ったそうだ。東欧の経済崩壊で、ブラックマーケットで購入した往復切符の片道を捨てて、150$で売っていた。行先はパリ、ベルリン、選び放題。俺はベルリン行を購入。行くつもりはなく、モスクワで気が変わったとしてヘルシンキに行先を変更する予定。

2017-06-24 23:12:57
桃岩荘人 @namihei1224

つまりモスクワ-ベルリン間の切符は捨て、ヘルシンキ行きの切符を購入し、乗り換えの2日間、モスクワに滞在できる算段だ。ソ連はインツーリストから高いバウチャーを買わないと観光ビザが下りない。北京でゲットできるトランジットビザでモスクワだけ観光できる裏ワザだ。

2017-06-24 23:15:29
桃岩荘人 @namihei1224

長春で日本の天守閣のような党の建物をみて、北朝鮮の国境の街からバスに乗り、ソ連国境方面へ行けるところまで行った。NHKの短波放送を聴いている朝鮮族のおじいさんにも会った。今考えると本当に安易に人の好意についていったもんだ。

2017-06-24 23:18:26
桃岩荘人 @namihei1224

こうして3か月の中国旅行を終えシベリア鉄道に乗ったのは、6月22日。ちょうど夏至直前。ウランバートルでトイレに入り、change money?としょんべんしながら声かけられた。2年前の内蒙古でも感動したが、モンゴル語は横に書けないようで、駅の巨大な看板が立っていた。

2017-06-24 23:21:40
桃岩荘人 @namihei1224

国際列車の2等コンパートメントは四人用だ。いま、ビール大好きミュンヘンのおじさん三人組と列車に揺られ寝ている。この時期のシベリア鉄道は時間の感覚を失わせてくれる。まず夜がむちゃくちゃ短い。ほぼ24時間明るい。次に腹時計も動かなくなる。

2017-06-24 23:23:24
桃岩荘人 @namihei1224

ずっと運動しないでビール飲んでるからお腹がすかない。時折停車駅でバレーボールなどをするがせいぜい5分か10分。停車時間は長くて15分程度。北京からモスクワまで旅程は5日間、時差は5時間。だから一日が25時間あることになる。さらに車掌は中国人、律儀に腕時計は北京時間を守ってる。

2017-06-24 23:24:42
桃岩荘人 @namihei1224

なぜって中国には時差がないから。車掌は往復して北京に戻ってくるまで中国時間で食い、寝るのか?俺の手元の時刻表はモスクワ時間、ホームの時計は現地時間。窓の外は明るいまま。これじゃいつ食堂車に行き、いつ寝ればいいのか、皆目見当がつかなくなる。時間を失うわけだ。

2017-06-25 09:12:30