熊野街道をゆく~尾鷲ふしぎ発見!~
秘境ガイドブック「魅せます!尾鷲」より 尾鷲湾空襲の戦没者は尾鷲の山奥で荼毘に付されたので、駒橋の慰霊碑は白石墓地(古戸町)の熊野灘部隊慰霊碑とは別に、新坂下隧道を抜けた先の祖父木屋(じやこや)林道にあります。新坂下隧道は中学の時、遠足でクチスボダムに行ったときに通りました。 pic.twitter.com/Mhi76ZEjAI
2018-06-24 23:30:215/4 16:50 尾鷲市瀬木山町 尾鷲港 天狗倉山です。右に見える防波堤は、赤い灯台が第一防波堤(1931年/昭和6)で、白い灯台が第二防波堤(1957/昭和32)です。この防波堤があるので港町の埠頭からは水平線が見えません。第二防波堤の向こうに婆ちゃんの入っていた眺めの良い特養老人ホームが見えます。 pic.twitter.com/L9ZlUodtdz
2018-06-24 23:35:04①伊能図 1805年(文化2) ②尾鷲都市計画土地区劃整理決定ノ件(1937/昭和12) ③④三重の港湾(同上) 「...港湾設備トシテ何等見ルベキモノナク、僅カニ港内北隅二小漁船ノ一部ヲ収容スル狭小ナル船溜(天満浦のこと)ヲ有シタルノミニシテ、一般船舶ハ碇繋二常二難渋ヲ極メ...」 まあそうでしょうな。 pic.twitter.com/lIUSCMpJ8R
2018-06-24 23:40:445/4 16:51 尾鷲市瀬木山町 尾鷲港 佐波留(さばる)島です。名前から防波堤としての役割は大きかったのでしょう。元禄の頃、この島の領有を尾鷲浦と須賀利浦が争いましたが、奥熊野代官所は尾鷲浦の領有と裁定しました。最近は「ムーミン」が寝ているように見えるので「ムーミン島」と呼ばれているとか。 pic.twitter.com/oVFxU225O1
2018-06-24 23:42:395/4 16:51 尾鷲市瀬木山町 尾鷲港 左に見える猪ノ鼻と割亀島。1879年(明治12)11月22日、英外交官アーネスト・サトウは、紀伊長島から船で尾鷲に来ましたが(日本旅行日記)、あそこを回ってきたのでしょう。サトウはすぐ八鬼山を越えたので、上陸したのは向井浦でしょうか。 pic.twitter.com/yTbGz1v5Id
2018-06-24 23:48:235/4 16:51 尾鷲市瀬木山町 尾鷲港 生野浦(ゆくのうら)方面。宮島は見えますが、桃頭島(とがしま)は見えません。手前にあるのが発電所と同じく1964年(昭和39)に完成した東邦石油の揚油桟橋で、揚油設備(ドルフィン)も含めたその長さは約925mもあります。 pic.twitter.com/WOcisDYCwP
2018-06-24 23:51:22翌日(5/5)、大曽根浦から見た揚油桟橋 列車から撮影。手前の島は弁財島。 pic.twitter.com/gcUY1r9XQZ
2018-06-24 23:53:005/4 16:51 尾鷲市瀬木山町 尾鷲港 そして尾鷲三田火力発電所。国市浜を埋立てて新しく出来た国市松泉町です。「松泉」の由来がちょっとわかりません。発電所内には池のある小さな公園があり、小学生の頃に家族で遊びに行きました。発電所の向こう側は向井浦で、県立熊野古道センターがあります。 pic.twitter.com/rlmOrlzn0q
2018-06-24 23:55:15紀州(1935/昭和10)より 向井氏のこと この本では、徳川幕府の水軍を統括していた旗本の向井氏のルーツは尾鷲の向井浦と紹介していますが諸説あります。まあ尾鷲だということにして、九鬼と向井の二大海賊(水軍)発祥の地とアピールするのもよいのではないですか。 pic.twitter.com/nK3T2xjcqZ
2018-06-24 23:56:585/4 16:51 尾鷲市瀬木山町 尾鷲港 尾鷲三田火力発電所は2018年4月1日に発電を休止、廃止に向けて協議中です。全国で2番目に高いあの煙突(230m)ですが、もったいないので、とりあえず鯉のぼりとか海賊の旗でも吊るしておきましょう。ちなみにシンゴジラの体高は118.5mなのであれの半分ぐらいです。 pic.twitter.com/oL5WcJnYW8
2018-06-24 23:57:51紀伊国名所図会 八鬼山 国市浜のある矢浜は古くから林産物の集積地になっていましたが、船溜まりが作れないので、天満浦に停泊する廻船をこちらに回して積み込み作業を行うという面倒なことをやっていました。名所図会の中央に「矢ノ濱」とあり、矢ノ川が描かれていますが、護岸工事がされています。 pic.twitter.com/a9ZFgf5Axz
2018-06-24 23:59:14国市浜の昔の写真 ①明治 ②大正末 ③昭和初期 国市浜には土井家の国市濱挽材工場があり、明治・大正期の尾鷲の経済を支えました。②では桜並木の後ろに木材が積んであるのが分かります。砂浜なので夏は海水浴客でにぎわいました。 pic.twitter.com/YXBIQuEsoH
2018-06-25 00:00:27国市浜の昔の写真 その2(追加) ①尾鷲中の水泳訓練(昭和5年) ②国市濱挽材工場(昭和11年) pic.twitter.com/yVGhgUyUHW
2019-04-05 00:20:375/4 16:54 尾鷲市林町 尾鷲港 さて尾鷲駅からスタートした尾鷲ふしぎ発見の街歩きはここで終わりです。もともと人が住んでいなかったとされる尾鷲の町がいかにして郡一の繁栄を築いたかを調べてきましたが、次の一文で語られていました。... pic.twitter.com/UlpFuBjVFT
2018-06-25 00:04:45尾鷲見聞闕疑集「元和寛永のころより諸材木を仕出し江戸へ運送し、且炭薪類諸品諸廻船数帆を催し、売買の利潤を得、浦辺海鯨鰹鰯を初め其外諸魚を漁り、是亦諸方へ積送り、山海の業年々に増長せり。依て他国他所より入込人不知数、人おのづから土地をひらき、今に至り亦諸の渡世を致す事。」 おわり。 pic.twitter.com/G2nRudvNFo
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