- Tanaka9230
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心というのをどう定義するかによるが、心と近代にはつながりがあるとは思う。カントの超越論的なものは、我々において質的認識を可能にする条件だが、ざっくり言ってそれは心だとしよう。心と、その外部の物自体。という近代的なペア。それを脱しようとする現代の実在論。
2018-06-26 01:30:27『マトリックス』は、現象界=心と、その外部の物自体=現実界という対比だった。落合のような、全部が計数的だという汎情報論は、物自体をなしにする。メイヤスー的。内部と外部の対立がなくなる。それが、心がなくなるということ。内面がない。すべてが表に現れた行動だけになる。
2018-06-26 01:35:24これは、浅田のクラインの壺モデルの消去とも言い換えられる。浅田の場合、それがポストモダンであり、リゾームの解放だった。今日の観点で言えば、リゾーム的状況とは、物自体がない実在論の世界であり、内外の仕切りがない全面的行動主義の世界だということになる。
2018-06-26 01:37:19ポスト心、ポスト精神。ああ、それはメイヤスー的に言えば、思考の世界である第三の世界の後ということなのか。(オカルトみたいですいません。)
2018-06-26 11:33:50「心以後」にどうするか、というのはおそらく、たしかに、今後深刻な問題になると思う。その移行期において。
2018-06-26 11:35:06今年出す論集本の書き下ろしテクストは、思考から身体へというのがテーマなんだけど、これはポスト心、ポスト精神の問題を考えていたのかもしれない。うーむ。
2018-06-26 11:37:48現状、欲望する存在としての人間においては、現象と物自体という区別が働いていると僕は思うのだが、もしその区別がまったくなくなったら、知覚と思考のあり方がまったく変わり、人間は、従来的な意味の欲望をもはやしなくなる。
2018-06-26 11:41:37今日のいろんな社会問題は、「心自体がなくなっていくのだとしたら」ということとの関連で捉えようとすると、新たな見方ができるのかもしれない。
2018-06-26 11:54:31もちろん、そこに矛盾はないか?というジョークです。 twitter.com/rashita2/statu…
2018-06-26 16:22:02仮に心がなければ、そこにハラスメントは発生しうるのか、ということを少し考えた。 twitter.com/masayachiba/st…
2018-06-26 16:21:03@schizoophrenie ほんと面白かったです!いろいろ、先に進むためのヒントがありました。また企画しましょう〜
2018-06-26 22:39:26宇宙のナゾにワクワクする、という心性はまだ世の中にあるのだろうか。昔ほどないのではないか、と思う。宇宙は実は沢山あると聞かされても、そうかもなで終わりな気がする。
2018-06-27 00:30:06ものすごい未知との遭遇、という感覚がどんどんなくなっていく。UFOとかも流行らなくなった。決定的に新しい音楽、ファッション、アートはもうない。素材はデータベースにあり、それを組み合わせるだけ。データベース化による、謎の消滅。それは、物自体=現実界の消滅なのかもしれない。
2018-06-27 00:33:48すべてが「出尽くした」ような世界。その「先」があるとすれば、それは世界の反復ということではないのか。メイヤスーは、この世界の次に起こることとしては、全人類の復活あるいは再存在しか考えられないとする。
2018-06-27 00:37:09落合氏が言うような、自然と人工のどちらもを計数的な情報としてとらえる見方は、生きている者と、データ的に再存在させられる死者を、外面的には=ふるまいにおいては識別不可能にする。
2018-06-27 00:42:41これは雑な話なのはわかってるんだが、データベース化の進展とAIの発達は、メイヤスー的な来たるべき神の問題と関係していると考えると、いろいろ思うところがある。
2018-06-27 00:52:59VRメガネをつけて横になりながらハワイに行った疑似体験をするというようなことと、ハムレットの現代的な読み方はどう可能かとあれこれ解釈を闘わせることと、どちらが豊かな文化かと言えば、なんだかんだで文系インテリは後者に手を挙げるだろう。
2018-06-27 13:02:43サブカル批評を、ざっくりと、プロレタリア文化論として捉えること。東さんのオタク論も、観光論も、労働者階級の側から考える視点だと言える。もちろん炭鉱労働とか蟹工船とかじゃない。情報・サービスに従事する現代的な労働者だ。(東さんにはヤンキー論がなかったけれども。)
2018-06-27 13:13:32VRメガネで行ったことがない場所を仮想体験というのは、オタク的でもヤンキー的でもある、下層階級の楽しみである。ブルジョワ・インテリ・大学人はしばらくそのように見下そうとし続けるだろう。これから下層階級は、「仮想」階級としてみずからを再定義することになる。
2018-06-27 13:24:49