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LRTでの復活も?別府鉄道跡を歩く

加古川市内の鉄道廃線跡のうち、道路転用ではなく遊歩道として残された別府鉄道野口線跡。加古川駅から別府まで、辿ってみました。
野口線 LRT 地域交通 別府鉄道 高砂線 都市交通
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2012年にも、同じ道路を加古川駅前から市役所へ向けて歩いています。

せき のりかず @kotonoha_s
加古川駅前。なんでこんな高さに歩道橋をかけてるんだろか。 twitpic.com/a7t3eq
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なんだか、ただの歩道橋にしては高さを取っているような…。
下に「なにか」を、通すつもりか…

せき のりかず @kotonoha_s
東へと緩やかな弧を描く都市計画道路。 twitpic.com/a7t4c8
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せき のりかず @kotonoha_s
この幅員が必要なほどの通行量ではありません。 twitpic.com/a7t5y2
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せき のりかず @kotonoha_s
道路の先にある、加古川市役所&市民会館。 twitpic.com/a7t6zu
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この道路は、加古川駅前から加古川市役所・市民会館(&保健所や年金事務所・郵便集配局・ハローワークなどが集まる官庁街)へと延びる街路。拠点間を結ぶ道路ですが通り抜け利用に便利な訳でもないので、クルマの通行量そのものは、さほど多くはありません。

すわLRTを想定?と思わなくもないのですが、広幅員の直接的な理由は…

せき のりかず @kotonoha_s
まあ、広幅員の理由は暗渠化された用水路があるから、なんですがね。 twitpic.com/a7t7pl
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とはいえ、この街路は「緩やかなカーブ」と「市役所・官庁街へ真っ直ぐ伸びる」という道路構成が、ついつい妄想を呼び起こしてしまうんですよね。

せき のりかず @kotonoha_s
市役所の裏は、国鉄・別府鉄道野口駅跡。ここからは、加古川市南部の拠点となった別府、そして江戸時代からの港湾都市高砂の中心市街まで、鉄道があった。今、別府への線路跡は、道路に転用されず、そのまま遊歩道に。 pic.twitter.com/4ex5lb9mmr
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別府鉄道は、化学肥料製造で有名な企業の多木化学(開業当時は多木肥料)が親会社で、同社の製品輸送のために敷設された鉄道。当初は工場がある別府から一番近い「既存鉄道の駅」までの路線として野口線が、その後国鉄の貨物取扱駅へ直接結ぶ目的で土山線が開業、敷設目的である多木肥料の製品輸送は土山線が担い、本来なら役目を失っていた野口線は加古川市街地方面への旅客輸送のための路線として存置されていました。
野口線の旅客輸送はそれなりの実績があったものの時代の変化で少なくなり、土山線の貨物輸送で会社を維持してきましたが、1980年代の国鉄貨物輸送の合理化により土山駅の貨物取扱が廃止となり貨物輸送が出来なくなり、野口線の旅客輸送だけでは到底会社を維持できないことから廃止となりました。

せき のりかず @kotonoha_s
国鉄高砂線と別府鉄道野口線の廃線跡。 高砂線跡は道路に転用され、別府鉄道跡は遊歩道化されたんだけど、改めて見たら、並行区間や駅構内でも別府鉄道跡は遊歩道として整備されてるんだな。 pic.twitter.com/8egD4iUfAf
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別府鉄道は、廃止の際に「軌道跡は市民に有効に利用してもらえるような利活用を望む」との条件を付けたとも言われ、同時期に廃止となった同社土山線や国鉄高砂線の軌道跡がほぼ道路に転用される中、野口線の軌道敷は拡幅や転用などなく「鉄道時代のまま」の形態で、遊歩道化されています。
この取扱の差異や、先述の加古川市街の街路とを合わせると、やはり妄想は膨れ上がってしまうのです…

せき のりかず @kotonoha_s
高砂線跡から離れ、別府鉄道跡の遊歩道を歩く。暫くはマンションが立ち並ぶ中を鉄路跡は進んでゆく。これらのマンションも、鉄道運行当時は少なかったんですがね。 そしてマンションが途切れたら、藤原製作所前駅跡。ここからは、工場の隙間を進んでいました。 pic.twitter.com/VvbFgyJKet
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せき のりかず @kotonoha_s
藤原製作所前駅付近は昔も今も工場街。そこを抜けると田舎らしい光景となり、円長寺駅跡。ここは昔からの集落で、住民の請願と費用負担で出来た駅だったそうな。別府鉄道で使われていた車両が、いまも保存されている。 pic.twitter.com/bkll4sOGKY
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せき のりかず @kotonoha_s
さて円長寺駅跡を出ると、暫し集落付近を通り、田園地帯に出ていました。今は住宅やバイパス道路沿いの店などがありますが、鉄道運行当時は田んぼだけだった記憶。 pic.twitter.com/jm5xITg4Hm
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せき のりかず @kotonoha_s
バイパス道路と交差して先へ進むと、坂井の集落付近。バイパスは、1日に10本もない列車のために立体交差を…。しかし片側車線のみだったので、踏切支障は残っていたはず。たった10本程度の列車のために、バイパスのクルマ全部を一旦停止させてたんだなぁ…。 と思いながら歩いていると、坂井駅跡。 pic.twitter.com/4P30C7Or8p
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鉄道営業当時は道路は立体交差のみで両方向を捌き、地平部の現西行き車線や側道は存在しなかったようです。失礼。

せき のりかず @kotonoha_s
坂井駅跡を過ぎると田園地帯だった頃を匂わせる地を進みます。今は住宅が建て込んできていますが、昔は田んぼばっかりだった。 南北方向の道路と交わると、別府口駅跡。山陽電車との接続駅であり、少し内陸の集落への玄関口でもあった。 pic.twitter.com/aXG0PmImnA
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せき のりかず @kotonoha_s
別府鉄道野口線、いま沿線を辿ってみると鉄道があれば便利だったのに…と思うも、別府エリアの発展は別府鉄道の廃止あってこそ、という一面もある。 別府口駅から南へ進むと別府鉄道の車庫や工場、そして本業だった貨物輸送の拠点があったが、その跡地を商業開発したから、別府は拠点地区になった。 pic.twitter.com/ldEhT4lrqm
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せき のりかず @kotonoha_s
別府鉄道の復活・市街乗り入れは、加古川市南部の拠点地区と、市だけでなく県・国の機関も含めた官公庁街、そして市の中心市街を最短距離で結ぶルートになり、そしてその大半(国鉄高砂線も含めれば全区間)に鉄路があった訳で…。 そしてLRTでの復活を、思わせる道路も市街地内に実際にあり… pic.twitter.com/MbvIIehSGr
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せき のりかず @kotonoha_s
しかし、鉄道の復活となると、元は鉄道の線路だったとはいえ、休廃止から時が経つと「鉄道がない状態」を前提にしたライフスタイルが沿線住民に定着するので、「また列車通しますね~」とホイホイ走らせる訳にもいかない。 「沿線人口が増えた」現在だからこそ、別府鉄道の「復活」は困難なのかも…。 pic.twitter.com/n8UMDg8lIC
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