福嶋亮大「文壇の末期的状況を批判する」に対する反響

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仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

この記事の文体や参照する固有名自体がある時期の「文壇」的批評家のイメージ、つまり批評空間派に代表される権威主義的批評家のイメージを帯びたものというのは事実だと思います。が、そこから福嶋さん自身がマッチョイストという判断は導けない。テクストと著者の関係はそんなに単純じゃないはず。

2018-08-20 15:31:39
仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

総じて言えば、福嶋さんのこの記事は日本文学の現状を嘆く一人の文芸批評家による「歴史を踏まえたうえでの良識的/常識的判断の擁護」型の言説であり、それ以上でもそれ以下でもないと思います。だからこそこの記事への批判の過剰さと取り上げる部分の偏り方には違和感をもったということです。以上。

2018-08-20 15:41:52
土屋誠一 @seiichitsuchiya

文系大学教員だけど、大学教員はジャーナリストではないのだが、「美しい顔」読まなきゃならないの? 単に読んでないから言及していないだけという単なる事実に気づかないあたりが、若手言論人の末期的徴候なのではなかろうか、と、いくらでもメタ言及は可能でしょうに。。。 twitter.com/sensualempire/…

2018-08-20 16:21:45
仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

メタ感想。この文章の後半は「美しい顔」批判に当てられているのに、ツイッターでは誰もそれに言及せず前半の「Me Too」関連の発言だけを取り上げ叩いている(それも主に文系大学教員が)ことに、文壇を超えて、それを条件づけている日本の知的言説環境全般の「末期的状況」が現れていると思いました。 twitter.com/REALKYOTO_RK/s…

2018-08-20 14:31:06
仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

文系というか文学研究系ですね。文字数の制限があるため省略しただけという単なる事実に気づかないあたりが(以下略)。それはともかく、読んでいないならいないで「この記事全体での著者の主張の評価は差し控えるが」などの留保を付けて当該発言を批判することもできたはずだと思います。 twitter.com/seiichitsuchiy…

2018-08-20 16:31:22
土屋誠一 @seiichitsuchiya

と、「文系大学教員」とざっくりまとめて批判するから、該当する私なんかも反応するわけで、批判するなら名指しですればいい。(のがリスキーな要求であることは承知しつつ) twitter.com/sensualempire/…

2018-08-20 16:27:25
仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

党派的結束を強めるためとしか見えない動き方でこの記事での福嶋さんの発言を部分的に、時には歪めて取り出し、批判しているひとたちには強い違和感を覚えます。ざっと見たなかでは近本洋一氏の発言のみが福嶋さんの文学的立場と感情を理解したうえでそれへの本質的批判を試みているように見えました。

2018-08-20 15:11:13
仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

と、意趣返しツイートを仕掛けてみましたが先回りで以下のようなご指導が来たので、なるほどと思いつつ、肝に銘じておこうと思います。(ただやはり発言のあらゆる事情を考慮に入れることは「若手/中堅」などの年齢的/経験値的要因とは別に原理的に困難では、と思いました。) twitter.com/seiichitsuchiy…

2018-08-20 16:35:48
土屋誠一 @seiichitsuchiya

了解です。いささか過剰反応しすぎたようで、大変失礼いたしました。 twitter.com/sensualempire/…

2018-08-20 16:40:14
仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

いえ、こちらこそ。オチがありそうな気配を感じつつ即時応答を優先させたため、間の悪いかたちになってしまいました。失礼いたしました。 twitter.com/seiichitsuchiy…

2018-08-20 16:47:24
岡和田晃_Akira OKAWADA @orionaveugle

「党派的結束」って、具体的に誰と誰とが、どのような「党派」を為し「結束」を強めていると、おっしゃっているのですか? twitter.com/sensualempire/…

2018-08-20 19:31:04
仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

答える義務はないので答えません(批判対象の名を伏せて批判を行う権利は常にあります)。しかしこうして直接聞かれているということは、あなたはその「党派」に所属した可能性およびその「結束」を強めると見えたと僕が述べた行為に自身が加担した可能性があると感じられたということなのでしょうね。 twitter.com/orionaveugle/s…

2018-08-20 19:52:50
仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

それにしても党派的という言葉にこんなに反応されるとは驚いた。僕自身、アイロニーだが、僕は党派的人間だと常々公言しているので。が、いずれにせよ、吊るし上げじみた批判方法は感情的対立を激化させる(かつ被害者の「痛み」からも遊離していく)だけなのでやめるべきだろうと思うのみです。

2018-08-20 20:32:26
oniku @c_h_g_s

日本の文芸には興味ないまま過ごしてるけど、この文章はとても興味深かった。>文壇の末期的状況を批判する realkyoto.jp/article/fukush…

2018-08-20 20:19:21
たかべ @abetakabehiroab

福嶋亮大「文壇の末期的状況を批判する」を読んだが、大正時代の文芸批評的なアツさがあるな。つまりこれ、竹内仁の「阿部次郎氏の人格主義を難ず」を思い出させるアツさだ。

2018-08-20 21:02:10
猫飛ニャン助 @suga94491396

福嶋良太「文壇の末期的症状を批判する」、私は「震災文学」など、安里ミゲルが書くものならともかく、基本的にクソでしかありえないとかねがね言ってきたので、後半部の北条某の作品とそれへの「テクスト論」的礼賛への批判には賛同した。

2018-08-20 22:19:58
猫飛ニャン助 @suga94491396

福嶋亮太→福嶋亮大 「文壇の末期症状を批判する」→「文壇の末期的状況を批判する」 いやはや。

2018-08-20 23:16:14
野村崇明 @mihailnomrish

絶賛炎上中の福嶋亮大によるRealTokyoでの時評、(石原千秋と渡部直己はまた別問題として)北条裕子・佐々木敦・藤井光への批判は、現代批評における対立点が明確に示されていて興味深い。これは『神話が考える』と『ターミナルから荒地へ』の間にある、グローバリズムへの意識の対立が齎したものだ。

2018-08-21 05:33:11
野村崇明 @mihailnomrish

グローバリズムを所与の条件としながら、それをハッキングして都度新たなゲームを立ち上げていく(過剰流動性の中で特異性の領域を立ち上げるの)か、それともローカル/グローバルの対立が中性化された「飛行機」を故郷とし、共感可能性の拡張を行うのかという対立は、「私」を巡る対立でもある。

2018-08-21 05:38:19
野村崇明 @mihailnomrish

あるいは『ゲーム的リアリズムの誕生』と『21世紀のアニメーションがわかる本』における、一回性の扱い方の対立とも相似形であり、後者の著者の博論審査会において、フェミニズムの視点から批判が行われた事実ともよく似ている。いずれにせよ、ポスコロが批判したものを所与の条件としつつ、

2018-08-21 05:46:39
野村崇明 @mihailnomrish

そこにハイブリッドな「私」性を立ち上げる動きというのは、いわゆる「パースペクティズム」の問題でもあり、私でもありあなたでもあるような「新しい『私』」の問題でもある。その意味において、福嶋亮大が佐々木敦の(おそらくなんでも褒めているように見えるところを)問題としたのは、不当に見える

2018-08-21 05:58:18
野村崇明 @mihailnomrish

(『例外小説論』や『新しい小説のために』において、既存の基準では評価しきれないが佐々木が褒めた作家たちについて、氏は読解の基準を立ち上げている、という意味で)。特異性か、自己であり他者でもある「私」の利用かという対立は、だがグローバリズムという傷への、防御の二つの型でもある。

2018-08-21 06:08:00
野村崇明 @mihailnomrish

出来事を表象することの暴力性に抗するために、例えばイリーナ・パペルノのように、個人が出来事によって毀損された痕跡によって出来事を捉える「歴史の私化」のような、傷に傷を差し出すパターンの思考がある。『サウルの息子』や『ムーンライト』が、社会的な問題と私的な問題を短絡させるのがそれだ

2018-08-21 06:15:36
野村崇明 @mihailnomrish

『ムーンライト』も『サウルの息子』も、あるいは『ジニのパズル』も『美しい顔』も、「歴史の私化」という(アンチ?)表象の形態において共通するが故に、出来事と特異性の記述というポスコロ以降のディシプリンとは異なった場所にいる。それを『神話が考える』の著者が批判するのは、それも正しい。

2018-08-21 06:21:47
野村崇明 @mihailnomrish

そこにおける「私」というのは、どこか人形じみて不気味なもの(まさに自己であり他者でもあるような)ものとなる。その匿名性がレイヤーの違う意味を同時に共存させ、一つの意味ではなく複数の意味を着脱可能にする。だがそれは出来事の厄介さを、私的な欲望の解決によって忘却させる装置にもなる。

2018-08-21 06:19:34
野村崇明 @mihailnomrish

『神話が考える』における「声のマスキング」が、日本文学における明晰な散文性の不在(リリカルな叙情性の専制)批判に繋がっているとして、私と公、あるいは私と他者を短絡させる上記の作品たちは、明晰に記述すべきものをリリカルさでずるずると覆い隠しているように見えるだろう。

2018-08-21 06:31:14
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