【井上寿一さん「戦争調査会」読む。】教訓は、憲法による歯止め、シビリアンコントロールといった上部機構よりも、「教育」と「メディア」の成長、その下部の2機構が大事、ということ
井上寿一さん「戦争調査会」読む。 1945年、幣原喜重郎内閣。敗戦の原因を解明すべく設けられた政府機関の試みと挫折を通じ、明らかにしたことの意義。防衛省・モリカケの公文書管理で揺れる中、刊行された意義。
2018-08-12 09:00:00「戦争調査会」。 開戦と終戦の原因と責任は軍部の暴走に求められがちですが、この広範な証言と資料が示すのは、経済や技術を踏まえた政治の不存在であり、これに「デモクラシー」の果たした作用です。
2018-08-12 09:02:01幣原首相は、悪いのは「政治の運用」であり帝国憲法ではない、「戦後日本はデモクラシーと協調外交を展開した立憲主義国に戻ればよかった」と見ていたそうです。 一次大戦後の平和外交を牽引した幣原氏らしい見方。 だけどそうした政治の運用を呼んだものは何なのか。
2018-08-12 09:04:00一次大戦後の平和外交や政党政治は、同じく井上寿一「第一次世界大戦と日本」に詳しい。 経済的な国際協調を基調とし、大衆が消費社会を支えた時代。 これがなぜ開戦へと進んだのか、今もって大事な問題です。 bit.ly/2P06pK6
2018-08-12 09:06:00軍縮会議、満州進出、三国同盟、対米交渉、独ソ開戦、南部仏印進駐。 戦争を回避する軍事・外交の努力も機会もあったのに、開戦に至った。本書はそれを示します。 でも「たられば」で、各々の時点での対応が違っていたら、果たして開戦は回避できたのか?
2018-08-12 09:08:00政党が対立せず開戦回避で一致していたら。軍部の北進も南進も近衛内閣が食い止めていたら。国民政府を対手としていたら。対米交渉での要求を飲んでいたら。 回避できたものですかね? 歴史に再チャンスをもらっても、結果は同じだった気がします。
2018-08-12 09:10:00ミッドウェー、サイパン、沖縄、ドイツ降伏。 やめる機会も多々あったが、原爆投下やソ連参戦で無駄死にを重ねた。 でも「たられば」で、各々の時点での対応が違っていたら、果たして早期に終戦できたのか? 結果は同じだった気がします。
2018-08-12 09:12:00日露戦争後の「デモクラシー」と、それに共鳴する「メディア」。 開戦に突進していった理由は、軍部の暴走と政治の機能不全だけでなく、いやそれ以上に、その基盤をなした「民」の声があったのでしょう。この本からはそれが透けて見えます。
2018-08-12 09:14:00もしそうだとすれば、幣原氏が言うとおりデモクラシーに仕組みを振ったとしても、デモクラシーは同じ結果を招き得る。 軍部や政党が抑制的でも、開戦に進み、敗戦を遅らせ得る。 未完の戦争調査会の帰結はそこにあるのではないか。
2018-08-12 09:16:00もしそうだとすれば、その教訓は、憲法による歯止め、シビリアンコントロールといった上部機構よりも、「教育」と「メディア」の成長、その下部の2機構が大事、ということではないか。
2018-08-12 09:18:00深読みが過ぎるかもしれません。が、軍・政の不始末に責任を負わせる風評に対し、「戦争調査会」が示す広範な戦争観と井上さんの冷静な記述は、もっとこっち側、民衆側に語りかけていると感じた次第です。
2018-08-12 09:20:00