『可能世界・人工知能・物語論』p.150まで

urza358さんの読書メモ
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うるざさんごーはち @urza358

『可能世界・人工知能・物語論』p.150まで *Tw*

2010-04-05 00:40:14
うるざさんごーはち @urza358

p.124 語り手不在論は、文は語り手の意図なしには意味をもたないから、「即座に棄却できる」という部分にはまったく同意しかねる。文を使用しているのは読者「だけ」なのだから、文がどのような意味をもつかは読者が決めることであって、語り手の意図は必須条件ではないのでは? *Tw*

2010-04-05 00:42:18
うるざさんごーはち @urza358

可能性世界論について今日はもう1点疑問が湧いた。たとえば『三つの棺』のように、作中の登場人物が、自分が虚構の存在であることを認めてしまうような場合には、その読者は自分をどのように位置づけるのだろうか。 *Tw*

2010-04-05 00:46:59
うるざさんごーはち @urza358

可能世界論のモデルでは、読者はTAWの構成員の一員としてその世界を観察しているかのように擬態しているのだが、TAWに属する作中のある人物が、自分が虚構の存在であることを認めた場合、その世界の住人はその世界が虚構であることを認められるような、 *Tw*

2010-04-05 00:48:57
うるざさんごーはち @urza358

そういった世界であることが判明する。すると、その世界の構成員としてのTAW内読者は、読者自身も虚構の存在であるかのように擬態しているはずである。しかしながら、「自分があるTAWの住人である」擬態と、 *Tw*

2010-04-05 00:52:22
うるざさんごーはち @urza358

「「自分がTAWの住人であり」かつ「TAWは虚構であることを知っている」」擬態との区別がつくだろうか。つくはずがない。「TAWは虚構であることを知っている」は読者にとっては自明なことだからだ。 *Tw*

2010-04-05 00:53:32
うるざさんごーはち @urza358

ということは、すべてのフィクション中のキャラクターは、自分が虚構の人物であると認めようが、認めまいが、読者としてとるべき態度には一切変化がないということになる。読者としてとるべき態度に変化がないならば、 *Tw*

2010-04-05 00:55:02
うるざさんごーはち @urza358

そもそも読者は「キャラクタが自分を虚構世界のものだと認めるか否か」によって、想像するTAWをどのように訂正していっているのか、見かけ上、読者自身すら判別できないのではないか。だとしたら、なぜそのような概念装置が必要なのだろうか。 *Tw*

2010-04-05 00:56:16
うるざさんごーはち @urza358

あるいは、「キャラクタが自分を虚構世界の住人だと認めない」かぎりにおいては、読者はいちいち、その作品を読んでいる間は、「自分はその作品が投射するところのTAW構成員であり、したがってこの世界が虚構であることを知らない風に装わなくてはならない」と *Tw*

2010-04-05 00:59:54
うるざさんごーはち @urza358

無意識に考えながら読書行為を行っているのだろうか。正確には「知らない振り」というのは、「そういった知識をもたない、もっているはずがない別人の振り」という意味だが、別人の振りをしなければ読書できないというのは本当に合理的なモデルなのだろうか。 *Tw*

2010-04-05 01:04:19
うるざさんごーはち @urza358

もう一点、その世界が虚構世界であることを知らない振りをしながら、読書行為は本当に可能なのか。例えば、植物と植物が、植物にしかわからない未知の言語で通信している様を、日本語に訳した、という想定のフィクション文があったとして *Tw*

2010-04-05 01:09:05
うるざさんごーはち @urza358

読者は、「この植物は未知の言語でやりとりしている」というその「TAWにおける事実」を既知の言語によって理解しているが、それ未知の言語であり、読者がその世界で「未知の言語しか知らない」振りをしているならば、なぜ日本語の文を読めるかのうな読書行為を遂行できるのか? *Tw*

2010-04-05 01:11:21
うるざさんごーはち @urza358

日本語でその意味を解釈したあとに、TAWはよりTRWに基づいて加筆修正され、その後読者は再度「擬態」をはじめるのだろうか。すると、文を読んで理解する時間と、理解した後想像する時間で、私たちはAW構成員である自分とTAW構成員である自分を行き来しているのか *Tw*

2010-04-05 01:14:49
うるざさんごーはち @urza358

実際には我々は読書行為中には常にAW構成員であると同時にTAW構成員でもある、という解釈に落ち着くだろうが、そうすると、前者としての私はある事実を知っているし、後者としての私は知らない振りをしている、ということになる。 *Tw*

2010-04-05 01:17:54
うるざさんごーはち @urza358

自分が知らない振りを内的にしているということを、確認することは不可能ではないかと思う。少なくとも、知っていることを証明するよりも、知らないことを証明したり、知らない振りをしているのかどうかを判定したりすることは難しい *Tw*

2010-04-05 01:25:13
うるざさんごーはち @urza358

もう1点疑問がわいた。あるフィクション中に「あなたは今この本を読んでいる。しかしあなたは可能世界論を信じない」という文があったとしよう。すると読者である私は、TRWが指し示すところのTAW構成員であるかのように擬態するわけだが、 *Tw*

2010-04-05 02:07:45
うるざさんごーはち @urza358

TAW内で現実の私扮する「あなた」なる人物は、可能世界説を信じていないのだから、自分がTAW構成員であるなどということも信じないのである。すると、現実の読者である私は、そのTAW構成員である振りをすると同時に、いかなるTAW構成員でない振りも同時に行う。 *Tw*

2010-04-05 02:10:10
うるざさんごーはち @urza358

これは論理として破綻していないだろうか。 *Tw*

2010-04-05 02:10:30