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【エンデ『モモ』】「時間どろぼうは何故時間を盗むことができたのか」覚書

覚書的ツイートを自分のブログで引用するためにまとめ。
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日下春生(zsphere) @faketaoist

ミヒャエル・エンデ『モモ』読了。 さすがによく練られた、すごい話だった。やはり児童文学作家というのは物事の本質をすごくよく見てるもんだなぁと感心した。 ……のだけど、こう書いても私が何に感嘆したのか多分見えないと思うので、以下「時間泥棒はなぜ時間を盗めたのか」について連ツイする。

2018-08-24 23:15:36
日下春生(zsphere) @faketaoist

話の序盤、時間泥棒が出てくるあたりに、意味深な記述があるんですよ。

2018-08-24 23:17:16
日下春生(zsphere) @faketaoist

「時間をはかるにはカレンダーや時計がありますが、はかってみたところであまり意味はありません。というのは、だれでも知っているとおり、その時間にどんなことがあったかによって、わずか一時間でも永遠の長さに感じられることもあれば、ほんの一瞬と思えることもあるからです」

2018-08-24 23:17:24
日下春生(zsphere) @faketaoist

で、これに続いて、「このことをだれよりよく知っていたのは、灰色の男たちでした」、つまり時間泥棒たちはこのことをよく理解していた、と書かれてるんですね。この数行が、時間を泥棒するカラクリを読み解く重要な部分なのだろうなと読みました。

2018-08-24 23:19:22
日下春生(zsphere) @faketaoist

時間貯蓄銀行、というフレーズからも分かる通り、彼らは時間をお金に見立てています。そこで、私が連想したちょっと関係ない話を間に挟みます。『新約聖書』「マルコによる福音書」にこんな逸話があります。

2018-08-24 23:21:36
日下春生(zsphere) @faketaoist

人々が賽銭箱にお金を入れていくのを見ていたイエスは、裕福な人たちに混じって一人の貧乏人が銅貨を投げ入れたのを見て、「彼こそがこの中で最も多くお金を入れたのだ、なぜなら裕福な人たちは有り余る金の中から賽銭を出したが、貧乏人は生活を削って捻出したからだ」と言ったと。

2018-08-24 23:23:08
日下春生(zsphere) @faketaoist

これはつまり、たとえば同じ1万円でも、裕福な人にとってと、貧乏な人にとってはその意味が違う、という話をしているわけです。しかし、お金というものは、本来人それぞれにとって価値が違うはずのものを、「同じ金額」にしてしまう。そういう性質がある。

2018-08-24 23:24:42
日下春生(zsphere) @faketaoist

貧乏人が出した1万円だろうと、大富豪が出した1万円だろうと、一度お金の金額にしてしまえば同じもので、どこにも違いがなくなってしまう。 で。エンデは『モモ』の中で、「時計によって計られた時間」もこの「お金」と同じ性質のものだ、と言っているんだと思うわけです。

2018-08-24 23:26:13
日下春生(zsphere) @faketaoist

寿命80年の人間にとっての1時間と、寿命数年のネズミにとっての1時間の価値は本来違うのに、時計では「同じ1時間」でしかない。 それどころか同じ人間にとっても時々によって時間の価値は違うわけですよ。お前が夜更かししている1時間は明日の朝起きる時のお前が死ぬほど欲しがった1時間だ!w

2018-08-24 23:28:32
日下春生(zsphere) @faketaoist

もしこの世に時計が無かったら、ある人は今ものすごくのんびりと時間を過ごしていて、別な人は急いでいて時間を短く感じている、この両者はそれぞれ全然別々の流れの時間に身を置いていて、それぞれが自分の時間の流れだけに付き合っていても良いはず。時間の流れは人の数だけあるハズなんですね

2018-08-24 23:30:50
日下春生(zsphere) @faketaoist

ところが、時計という共通の尺度でこの世に生きるすべてのモノの時間を計って定量化してしまうから、この流れの違う二つの時間が「同じ」になってしまう。 そして、貨幣と同じように、「同じ時間」どうしは交換可能になるわけですよ。

2018-08-24 23:32:27
日下春生(zsphere) @faketaoist

そして、多分、交換可能な、定量化された時間だからこそ、時間泥棒たちはこれを盗む事が出来る、という事なんだと思うわけです。 彼らは、時計で計られる前、個々人にそれぞれ自然な形で流れている全然別の「時間」は盗めない。交換可能な定量化された時間という形だからこそ、盗む事ができる。

2018-08-24 23:34:34
日下春生(zsphere) @faketaoist

作中、人間個人個人の時間の原風景は、時間泥棒たちが足を踏み入れられないとある場所にあるものと描かれています。彼らはだから、そこから直接盗む事はできない。 しかし、貨幣となった定量化された時間を盗む事はできて、そしてこれは貨幣なので、同じ価値のものと交換できる=時間の花が入手できる

2018-08-24 23:37:50
日下春生(zsphere) @faketaoist

多分そういうカラクリなんじゃないかな、と思ったのでした。 だからこれは、本来個人個人にとって価値が全然バラバラなハズのものを、統一の単位で定量化してしまうという、お金とか時間にまつわる現代の呪いの物語ですよ。

2018-08-24 23:39:25
日下春生(zsphere) @faketaoist

私は京極夏彦信者なので京極を引用しますけどw 物に値段をつけるというのは一つの呪術なわけです。値段をつける事によって、本来全然違うものであるはずの本1冊とラーメン1杯が「同じ値段=同じ価値」になる。 時間泥棒たちは、多分、この呪術をハッキングしてきた連中だ、という事だろうなと。

2018-08-24 23:41:18
日下春生(zsphere) @faketaoist

以上のように読んだので、こうした「時間」にまつわる洞察を、難しい言葉や概念を使わずにここまでの物語に仕上げたんだとしたら、こりゃとんでもない話だ、と感嘆したわけなのでした。 児童文学って、こういうレベルの鋭い洞察を含んでたりするから油断ならないよなぁ、と。

2018-08-24 23:43:09
日下春生(zsphere) @faketaoist

あ、モンテスキュー『法の精神』にちょうどいい一節を見つけた。 「貨幣が全く存在しない国では、盗賊が奪うのは物だけである。そして物はたがいに似ていない。貨幣のある国では、盗賊は価値標識を奪うのである。そして、これらの標識はたがいに相似ている。(続)

2018-08-25 04:15:51
日下春生(zsphere) @faketaoist

貨幣のない国々では、盗賊はなにも隠すことができない。なぜなら彼は常に彼の有罪を確信させる証拠を携帯しているのであるから。他方、貨幣のある国々では事情は同じではない。」 以上引用終了。

2018-08-25 04:17:02
日下春生(zsphere) @faketaoist

そっかそっか。貨幣の存在しない国では、たとえば靴を盗んでも靴にしか使いようがない。靴を必要としていない人が靴を盗んでも、彼には何の得も無い。ところが貨幣が存在する国なら、換金する事が出来るから靴に用の無い盗人が靴を盗む事もあり得る。つまり、抽象的な価値を盗む事が可能なんだ。

2018-08-25 04:25:39
日下春生(zsphere) @faketaoist

『モモ』の中で、時間泥棒たちは人々の時間そのものである花を盗み出す事はできるが、花はそのままでは他人の時間でしかなくて、時間泥棒たち自身のために利用する事は出来ない事になっていた。貨幣のような、抽象的な価値に変換できなければ人の時間はその人にとってしか意味が無いんである。

2018-08-25 04:30:34
日下春生(zsphere) @faketaoist

結局彼らは、そういう「他人の時間」という花を焼尽することで、つまり単純に「消費」する事でしか自分のために使う事が出来なかった。モモが最後に行ったように、時間の花を花そのままの姿で使用するなんて事は思いもよらなかったのだ。

2018-08-25 04:35:44
日下春生(zsphere) @faketaoist

だとすると、時間泥棒というのは、「他人の時間をその人本来の人生の文脈から奪い取って、単なる抽象的な価値として消費してしまうモノ」という事になるわけか。 ……あいつら、結局何者なんだろうな?

2018-08-25 04:45:40