日本史研究会2011年4月例会を受けてのmitsuma3さんの震災資料を巡るツイート

日本史研究会4月例会 2011年4月23日(土) 13:00~17:00 場所:機関紙会館5階大会議室 シンポジウム「大規模自然災害から京都の地域歴史遺産を守る―東日本大震災の歴史資料保全活動から考える―」 での議論を踏まえ、震災に関する資料を残すことと、日常を取り戻すことを巡って。
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KAWAUCHI Atsushi @mitsuma3

昨日の日本史研例会の最後に、吉川君が言っていたガレキや看板の話。アルバムや写真もそうだけど、津波ですべてを流されてしまった人たちの、こうしたものでも残したいという希望は、失われつつある記憶や思い出をなんとしても残したいとのことから。換言すれば、「日常」を取り戻す行為。

2011-04-24 21:32:16
KAWAUCHI Atsushi @mitsuma3

なぜ「日常」を取り戻そうとするのか。それは、そこが未来に向けての《生》の拠点となるが故。これを確認していく作業は、様々なカタチで阪神の際にも見られた。ただし注意すべきは、それはすでに「旧に復す」ことはできないという認識。災害でそれはすでに失われている。まずそれを前提にしなければ。

2011-04-24 21:35:56
KAWAUCHI Atsushi @mitsuma3

「震災資料」や被災資料・文化財をめぐるアーカイヴも同じ。震災「以前」はすでに失われているという前提で考えている。原典至上主義などという批判はあたらない。《生》の拠点たるべき「日常」を、いかに未来に向けて位置付けていくのか。極めて未来志向な発想であると考えます

2011-04-24 21:40:21
KAWAUCHI Atsushi @mitsuma3

ガレキやアルバム、そして過去から受け継がれた資料・文化財などを被災された方々が残そうとするのは、一義的に言えば、個人や家族、地域の記憶や思い出を伝えたい、残したいとの欲求から。そしてそれを社会的に意味を持たせるのは、歴史家のこれからの仕事。今、じゃないけど、必ずその日は来る

2011-04-24 21:43:24
S.Iwata @realismo_1978

@mitsuma3 でも、誰が生き残って、そういった人々が何を拠り所にして、何を再構築していくことになるのか、それをまた記録して跡づけていくのは、おっしゃるとおり是非とも必要なことだと思います。…討論を最後まで聴かずに口を挟んですみません。

2011-04-24 22:08:39
S.Iwata @realismo_1978

@mitsuma3 中世的な発想ですみませんが、国家や貴族(※武士も含む)は民庶の個々の憂いには無関心だと思いますし、したがってそういったことは記録類にも残りにくいですから、近世や近現代の史料やそれを扱う方々から学ぶことは多いと思いました。

2011-04-24 22:15:18
KAWAUCHI Atsushi @mitsuma3

@shioyakisoba111 今回の震災に関しても、為政者の考えの一端を示す「公文書」を残すことは重要だと思います。現に今の我々は、復興にしろ原発にしろ、国に対する不信を持っています。そうした事を、未来の歴史家が描けるように、我々「民庶」の記録も併せて残す事も大事かと思います

2011-04-24 22:21:59
Toshiyasu Oba @tsysoba

@mitsuma3 すみません、残しておきたかったので、勝手にまとめてしまいました。 http://togetter.com/li/127728

2011-04-24 23:32:08
KAWAUCHI Atsushi @mitsuma3

あ、ありがとうございます。取るに足らないつぶやきですが、これも「震災資料」ですよね。昨日はありがとうございました。これに懲りずに今後もお付き合いくださ>< RT @tsysoba: すみません、残しておきたかったので、勝手にまとめて… http://j.mp/giq8LE

2011-04-24 23:35:24
KAWAUCHI Atsushi @mitsuma3

『宮城資料ネット・ニュース100号』http://j.mp/dG5ZlO 津波被害に遭った石巻市。紙は失われたけれど、デジタルという形で残された。宮城資料ネットが行政・市民の方々と震災「前」から保全活動を行ってきた結果。デジタルはお嫌いですか?

2011-04-25 01:43:20
KAWAUCHI Atsushi @mitsuma3

「修復」に対する考え方は色々あるだろうけど、要はそれは「手段」でしかない。未来に向けて、今の私たちが何を残せるのか?修復することで残せるものは残せばいい。デジタルで残せるのならば、それでいい。「残す」という行為は、今、この時点から未来に向けてどう時計の針を進めるか?それに尽きると

2011-04-25 01:47:39
KAWAUCHI Atsushi @mitsuma3

そして、その時点からあらためて歴史を振り返った時、今、の私たちに「歴史」が残されている意味をどのように考えるか。歴史は常に《今》であり、未来もまた《今》の中にある。そこは繰り返し問われるべき。アーカイヴズの思想は《今》の中の未来に属する範疇だと考えます

2011-04-25 01:51:22
KAWAUCHI Atsushi @mitsuma3

もちろん、「未来」には無限の可能性が秘められている。と、同時に「過去」にも拘束されている。常に「過去」と相対する歴史研究者は、そのことに自覚的になる必要があるだろうし、現に自覚しているように思う。それは「過去」に因われたピエロに見えるのかもしれないけど、同時に歴史家の武器でもある

2011-04-25 01:55:11
KAWAUCHI Atsushi @mitsuma3

だけども、そのことを歴史家の特権にしてはならない。そのことの意味を市民とともに考えること、それが阪神・淡路大震災からの16年の軌跡の中で、歴史学が獲得しつつある視座だと思う。独善的に「歴史」に相対せる程、歴史家は強靭ではないし、そんなに軽いものでもない(笑)

2011-04-25 01:58:43
KAWAUCHI Atsushi @mitsuma3

まぁ、「市民とともに考える」なんて、そんなお説教たれてもしょうがない、って思うかもしれないけど、現にその実践を僕は見てきている。すべからくそれを真似ろ!とはとても言えないけど、大切なことだなと。

2011-04-25 02:25:58
KAWAUCHI Atsushi @mitsuma3

少なくとも、想像力が必要。僕らが相対する「過去」を、僕らは体験することはできないけれど、それを想像していくことは必要。この「体験」と「想像」を媒介するのが史料。その意味で、史料と、資料に包含された「過去」は、僕らの武器になる。

2011-04-25 02:29:49
KAWAUCHI Atsushi @mitsuma3

現実に起こっていることに対する想像力も働かせていかなければ。被災地から離れて暮らす僕らには、被災地の方の体験を共有することは不可能。けれども僕らは想像力を働かせて、その体験を共有したいと願う。

2011-04-25 02:34:27
KAWAUCHI Atsushi @mitsuma3

被災地の方からしたら偽善的に映るかもしれないけど、その誹りを受けながらも、やっぱりやっていかなきゃならない。その意味で、《今》、被災地の直接の声に耳を傾けられるtwitterの様なツールがある意味は大きい。もちろん、それは一部の声でしかないのかもしれないけど。

2011-04-25 02:36:17
KAWAUCHI Atsushi @mitsuma3

けれども、僕らが過去の体験を想像することも、実は史料を媒介にした、一部の声でしかないわけで。以前、本を出版した時に、ある歴史研究者からいただいた「歴史的想像力」という言葉。歴史的想像力でもって《今》の僕らは「過去」に相対する。史料を媒介として。

2011-04-25 02:40:31
KAWAUCHI Atsushi @mitsuma3

そして、未来の歴史家が、今僕らが生きている時代を想像しようとする時のために、残す。「未来」が《今》の中にあるとは、そういうこと。未来の歴史家が想像してくれるかどうかは、わからないけれど(笑)

2011-04-25 02:46:00
KAWAUCHI Atsushi @mitsuma3

まぁ、色々な意見があることは承知しているけども、僕自身、自分のことはアーキビストだとは思ってないし、今やっている仕事も、あくまで歴史研究者の責任としてやっているわけです。まぁ歴史家かアーキビストか、そんなことは自己認識の問題で、どっちでもいいんだけど(笑)

2011-04-25 02:52:20
KAWAUCHI Atsushi @mitsuma3

さっき書いたことの補足だけど、被災地の体験の共有は不可能だけど、被災地から離れて暮らす僕らの体験もまた、独自の意味を持っている。そのことを書き残していくこと、それもまた「震災資料」になっていく。この僕のクダラナイつぶやきも、そう。それでいいのか?と思わないこともないけれど(苦笑)

2011-04-25 02:57:57
KAWAUCHI Atsushi @mitsuma3

なんだか勝手にのせられて、長々と書いてしまいました。TL汚しスマソですm(__)m

2011-04-25 02:58:55