『バウムクーヘンの女』

TLに流れて来た『バウムクーヘンの女』という文から天堂真矢に恋してしまう新人パティシエを想像して、書いてと言われたので即興で書いた話です。
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れんず @kari_renz

「ところで、こちらのバウムクーヘン、いつものものより随分大きい気がするのですが..」 「あっ、その、それは、サ、サービスです!」 「..おっ、お客様はいつもご来店頂いてるお得意様ですので....」 「....そんなに緊張なさらないで下さい、こちらは貴女が作られたのですよね?」 「はっ、はい!」

2018-12-10 20:58:01
れんず @kari_renz

「ありがとうございます、折角のご厚意、有難く頂戴致します。」 「どっ、どうぞ召し上がって下さい」 「それでは、頂きます」 動転した気が正気に戻ることは無く、私は卓から立ち去り損ねる。 立ち尽くす間に、女は私の作ったバウムクーヘンにスッと上品にフォークを入れ、一口大に切り、口へ運ぶ。

2018-12-10 21:02:30
れんず @kari_renz

「美味しいです、とても。」 味わい、飲み込み、口を拭いたあとでこちらを見て、女はそう言った。 「....ッ!!ありがとうございますッ!!」 その光景を息を飲み見守っていた私は謝意を述べる。 「あっ!!すいませんお客様の召し上がる様をジロジロと..!!」 ようやく正気に戻り、厨房へと戻ろうとする。

2018-12-10 21:06:08
れんず @kari_renz

「お待ち下さい」 女に呼び止められる。 「サービスのお礼と言っては何ですが、こちらを受け取って頂けないでしょうか」 虚を突く様な展開に私の足は立ち尽くし、何とか腕を動かし、渡された紙を受け取る。 「『第99回 聖翔祭』....?」

2018-12-10 21:10:51
れんず @kari_renz

聖翔祭の存在は勿論知っている。 この辺では、というか全国的にも有名な数々の舞台女優を排出する聖翔音楽学園、その学園生が劇を行うという年に一度の祭だ。 しかし、何故この目の前の女からその招待状が手渡されているのか、理解出来ない。 目線を正面に戻すと、そこには変わらぬ笑みの女が居た。

2018-12-10 21:31:57
れんず @kari_renz

「あの....?」 立ち尽くす私を不思議に思ったのであろう、女が声を掛けてくる。 「あっ、すいません、えっと、こちらは..」 「私が主役を演じる舞台の招待状です、是非観て頂ければと思うのですが、ご都合が悪かったでしょうか?」 ―二度あることは三度ある、私の思考は停止した。

2018-12-10 21:38:19
れんず @kari_renz

客を前にして思考を停止させる訳にもいかないので、頭をフル回転させる。 自分の作ったバウムクーヘンを美味しいと言って貰えたこと、聖翔祭に招待されたこと、女はその舞台で主役を演じるらしいこと....そして何よりも大きな事実に私は気付く。 「..高校生、だったんです、か?」 「..?えぇ..」

2018-12-10 21:42:19
れんず @kari_renz

な ん て こ っ た 。 何てこった、女は高校生だった。 こちとら27歳の冴えない女..相手は若く見積もっても18歳、一回り近く離れている....女は、少女だったのだ。 「あの、店員さん?」 「すいません、ちょっと、色々とショックが大きくて..」 膝から崩れ落ちそうになるのを耐えるので精一杯なのだ。

2018-12-10 21:48:28
れんず @kari_renz

「大丈夫ですか?」 目の前で倒れる変な女を心配する少女に手を取られ立ち上がる。 少女と目が合う。 吐息も触れそうな距離に思考回路が灼ける音が聴こえる。 「観に来て、頂けますか?」 満身創痍の私の心に染み渡るような少女の声に、私はただ、頷いた。

2018-12-10 23:42:56
れんず @kari_renz

「いやぁ、凄いもん見せられちゃいましたね..」 「やめてください」 「いやほんとなんか凄かったですよ、舞台見てるみたいでしたもんそれこそ」 「やめてくださいって」 「手ェ取られて、『はい....』って」 「ちょ」 「完全にっ..じょ、女優でしたよっ..」 「笑ってんじゃねぇか!いやいっそ笑え!!」

2018-12-11 00:13:36
れんず @kari_renz

「まぁまぁ、良い舞台でしたよほんとに」 「舞台って言うのやめてください」 「周りのお客さんの目線釘付けで..」 「え、このイジりいつまで続くんですか?」 「手ェ取られて、蕩けた顔で『はい..』って..『はい..』って....」 「どんだけそこ好きなんですかやめてくださいって」

2018-12-11 00:27:42
れんず @kari_renz

「まぁ、本題に入りましょうか」 「本題?」 「結局、好きなんですか?バウムさんのこと」 「なっ、いやっ、年齢考えて下さいよ相手女子高生ですよ!!?」 「あんな蕩けた顔しといて?」 「やめろっつの..いやまぁそりゃ好きですけど、どう考えても無理でしょうよ」 「ふーん、そうですか」

2018-12-11 00:31:22
れんず @kari_renz

怒涛の一日を終え、帰路につく。 道すがら、考える。 少女は女子高生な訳で、名門の女子高生な訳で。主役を演じる様な凄い人な訳で。 私はといえば.... 「..やっぱ、釣り合わないよなぁ」 何とも情けない私の独り言は夜の雲間に溶けて行く。 その様を嗤うかの様に満月が見ている、そんな気がした。

2018-12-11 00:40:16
れんず @kari_renz

第99回 聖翔祭 当日― 「「行こう、二人で。あの星を摘みに。」」 そこに居たのは、定期的にバウムクーヘンを食べに来る少女では無かった。 舞台女優、そう表現する他ない。 あの少女だけではなく、他の少女達もレベルが高い。 舞台など見に行く高尚な趣味は持たない私にもそれははっきりと分かった。

2018-12-11 00:54:57
れんず @kari_renz

少女を見に来たことも忘れ、舞台に見入る。 「二人の夢は、叶わないのよ..」 幕が降りる。 いつしか私の目からは涙が滴っていた。 割れんばかりの拍手が幕の降りた舞台を包む。 私も、自分の中で燻っていた何かをかき消すかの様に全力で拍手をした。

2018-12-11 01:05:17
れんず @kari_renz

きっとこれは、私の胸を、心臓を焦がすこの思いは、恋だった。 年齢など関係ない。恋は必ずしも双方向である必要は無い。 しかし、私は知ってしまったのだ。 舞台の上の少女を。その輝きを。 私はフローラの様に、目を灼かれたのだ。 目を灼かれたフローラはどうなるか。 そう。塔から落ちるのだ。

2018-12-11 01:10:07
れんず @kari_renz

私のこの思いは恋だった。 そして、その恋は決して叶うことのないものだった。 きっと、これからも少女は店に来るのだろう、バウムクーヘンを食べに。 ならば私のこの思いは、ここで灼き尽くすべきだと、そう思った。 割れんばかりの拍手で恋心を叩き割り、溢れんばかりの涙でその破片を洗い流した。

2018-12-11 01:15:02
れんず @kari_renz

翌週の金曜日、少女は来た。 もう一度だけと、店長にわがままを言って少女と話す機会を得た。 「舞台、とても良かったです、これは私からの感謝の気持ちです。」 バウムクーヘンを置き、私は去る。 私はもう、ホールに出ることは無い。 舞台と、その外側。 その間の壁を壊すことはあってはならない。

2018-12-11 01:18:45
れんず @kari_renz

―あれから一年弱が過ぎた。 多少頻度は減ったが、今でも少女は金曜日に来る。 仕事終わりに、同僚に呼び止められる。 聞けば、第100回の聖翔祭の開催が決まったらしい。 演目は去年と同じく『スタァライト』。 今度はまた違った見方が出来るだろうか。 溢れる期待を胸に、生地をこねる力を強くした。

2018-12-11 01:23:24
れんず @kari_renz

『バウムクーヘンの女』、終劇。

2018-12-11 01:24:08