フェミニストとトランスセクシャルの闘争の歴史。アメリカのラディカルフェミニズムの歴史。

現在フェミニズムは女性の社会進出という形で政府によって推進されています。 その裏で、公に採用されなかったり、表の歴史から抹殺された隠れたフェミニズムがあるのです。 これはそんなフェミニズムの一つ、 「トランスセクシャル排斥のフェミニズム」をまとめてみました
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星を見るゴリラ @pratula_twi

( ´_ゝ`)フッフッ 嘗てはLGBT系の失言をすると「男社会だから理解がない」という罵詈雑言が飛んできた。 今回それがないのは、フェミニストがLGBT政治闘争の本質を身をもって知ったのだな

2019-01-05 19:40:32
星を見るゴリラ @pratula_twi

1970年代から1990年代にかけてアメリカで第二派フェミニズムが勃興した。 その中でレズビアン分離主義という、女性のみのコミュニティを形成しようという運動が起こる。

2019-01-05 19:55:41
星を見るゴリラ @pratula_twi

で、その中で1970年代後半から、 レズビアン分離主義者から、トランス女性への排斥の動きが起こる。 「男性の身体を持つトランス女性は、女性として認められない」という運動。 これは保守側からも「女子トイレに、”心は女”というだけで男を入れるのか?」として問題にされた

2019-01-05 19:56:59
星を見るゴリラ @pratula_twi

代表的な批判者が Janice Raymond radical femministであり、レズビアン。 つまりレズビアン分離主義者だ。

2019-01-05 19:57:56
星を見るゴリラ @pratula_twi

Janice Raymondは、同じくレズビアン分離主義のradical femmnist 、Mary Dalyに学んでフェミニズムを収めている。

2019-01-05 20:07:47
星を見るゴリラ @pratula_twi

このMary Daly、ボストンカレッジでフェミニズムを教えていていた人物なのだが、 男子生徒に授業を履修させるのを拒否したり、お気に入りの男子生徒を個人的に教えていたり、かなり問題児だったようだ 1999年に、男子学生の履修を拒否し、退職

2019-01-05 20:08:58
星を見るゴリラ @pratula_twi

そんな、 Mary Daly監修でJanice Raymondが著したのが、 「The Transsexual Empire: The Making of the She-Male(トランスセクシャルの帝国:シーメイルの創造」

2019-01-05 20:10:20
星を見るゴリラ @pratula_twi

その中でJanice Raymondは 「トランスセクシャルというのは、家父長制神話と男性の母性信仰、そして、男性の考える女性幻想に基づいている」 「全てのトランスセクシャルは、女性の身体を人造物におとしめ、それを自分たちのために流用するという形で、女性の体をレイプしているのだ」 とかなり批判

2019-01-05 20:14:24
星を見るゴリラ @pratula_twi

あと、「フェミニストとしてのアイデンティティ、文化、政治主張を植民地化し、侵略している」とも

2019-01-05 20:15:49
星を見るゴリラ @pratula_twi

あと 1979年のアメリカのフェミニスト Gloria Steinem は「全てのfemministは、トランスセクシャリズムについて、不愉快だ、と感じる権利を持つ」 「靴のサイズが合わないからと言って、足を取り換える?」 と述べている

2019-01-05 20:27:34
星を見るゴリラ @pratula_twi

こういう風にトランス女性とラディカルフェミニストの政治闘争はちょこちょこ会ったんだけど、 最も問題になったのは 1990年の早期 Michigan Womyn's Music Festivalでトランス女性が会場から追い出された事件

2019-01-05 20:32:10
星を見るゴリラ @pratula_twi

Michigan Womyn's Music Festivalはもともと、 第二派フェミニズムから生まれた、フェミニズム・アートの文脈から登場したイベント。

2019-01-05 20:34:29
星を見るゴリラ @pratula_twi

女性の女性による音楽イベント」を標榜していたイベントだったんだが、そこにいたNancy Burkholderというトランス女性が会場から追い出された事で、 トランスセクシャル団体と、フェミニズム団体の全面的な闘争になった

2019-01-05 20:34:37
星を見るゴリラ @pratula_twi

結局、これは司法の判断により、 トランス女性はフェミニズムイベントに出席できる権利を有するとなったのだが、 これ以降、女子トイレや女子風呂など、 「女性専用のスペース」をめぐって、トランス女性とレズビアン分離主義女性はたびたび衝突をする事になる

2019-01-05 20:39:09
星を見るゴリラ @pratula_twi

現在でもトロント当たりでは、 「LGBT票」と大きな集票となっていたものが、 トランスセクシャル票と、レズビアンフェミニズム票に分離し、 お互いの指示議員を議会に当選させようと逃走している・・・ らしいぜよ。

2019-01-05 20:39:13
星を見るゴリラ @pratula_twi

レズビアン分離主義とトランスセクシャリズムを含めたクィア理論では、 現在の所、クィア理論の方が優勢だし、政府や司法に採用されやすい理論になっている。 何故かはわからない。 女性分離主義は公共の場では採用されにくくなっている

2019-01-05 20:41:10
星を見るゴリラ @pratula_twi

おおよそ、アメリカでは1970年代後半から、現在にかけて、 「トランスセクシャルの権利を認めよう」という話になったので、 このまま行けば、レズビアン分離主義は、およそ、30年ほどかけて敗北する事にはなると思う

2019-01-05 20:44:37
星を見るゴリラ @pratula_twi

フェミニズムのスタートは、 「性差には、生物学的性差(セックス)と社会的性差(ジェンダー)が存在し、ジェンダーはなるべく失くしていこう」とする運動だったんだけど、 ジェンダーフリーが進めば進むほど、女性専用スペースが減ってしまい、 フェミニズム的には利権が無くなってしまう

2019-01-05 20:42:55
星を見るゴリラ @pratula_twi

個人的には、これを「女子風呂のジレンマ」と呼びたい

2019-01-05 20:43:13
星を見るゴリラ @pratula_twi

こんな感じ。 まぁ、この闘争の結果は既にアメリカが出しちゃったからね

2019-01-05 20:45:48

当時のレズビアン分離主義の様子

当時の若い女性の熱烈な歓迎を受ける
レズビアン・分離主義の作家
Ti-Grace Atkinson

男性は生物学的に必要と思わない。男性は私の許しがたい敵
女性は種族的に優位性がある」と述べている
そして
「団結する事により、男性への怒りが女性に対する抑圧を打破する
とインタビューに答えている

https://www.youtube.com/watch?v=szFMtenUX0g&t=232s

アメリカで最初のレズビアン・コミューン
The Furies Collective

元・所属者が現在を語る
https://www.youtube.com/watch?v=V1tz9L6NNk0&t=12s

※ 当時はベトナム戦争に端を発するヒッピー文化、
黒人の公民権運動など、
アメリカで市民活動が活発化していた時代でした

拙訳

「私たちは当時若かった。
私たちはいいアイデアを思い付いたと言って、レズビアン・コミュニティを作る事に決めた。

私たちはワシントンD・Cからコミュニティを始めたが、各地から人が集まって来た。
ニューヨーク、ワシントン、コミュニティは次第に大きくなっていった

組織は力強く団結していた

そして、レズビアンというのは女性性の再発見であると思っていた。
私たちは多くの女性のメインストリームから外れ、一部の人からは「頭がおかしい」とさえ言われた。

だが、
子供の面倒や夫の面倒をみなくてよい。私たちは自立している。 私たちは最高にクールだ。
私たちみんながそう思っていた。

私たちはレズビアン野球チーム。レズビアンサッカーチームを作り、
機械工学も学んだ。

私たちは仕事に付き、お金を稼ぐことが出来た。
私たちの政治的意見を発行する新聞を発行し、またそれも売れた。
そうするうちに、NGO団体などが立ち上がり、私たちを支援する人まで現れた。

その内に「選択的レズビアン」という人が現れた。
何でも「ヘテロセクシャルだが、レズビアンである生活を選びたい」という
「私たちは違う違う、レズビアンは選ぶものではない」と説得したが、結局、私たちは彼女を受け入れる事にした。

その内に、私たちはパートナーを作るようになった。
レズビアンの内、一人が一人を選び、特別な関係を持つ。

外の人達は私たちをクレイジーと呼んだ。

私たちは新聞で様々な事を話し合った。
ジェンダー、人種、国籍様々な事をだ。

だが、1972年の春、組織は急激に瓦解し始めた。

私たちは完全に失敗した。
誰が組織のリーダーになるかで権力争いが起こったのだ。
誰が「最も政治的に正しい人物」か「誰が最もリーダーに相応しいか」で争いが起こった

OK、この話はここまでだ。

私は正しかったとは言えなかったかもしれないが、
私はあのコミュニティに居たことを後悔はしていない。

だが、分離主義は正しいやり方ではなかった。