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無分別とは無反省のことではない。無分別は思いやりを意味するが、無反省は暴力を意味する。

禅宗が言う「無分別」とは「相手の立場や心境を目一杯慮るなかで自然と我が忘れられてゆくこと」を言うのであって、「自分が思ったことを無反省にただそのまま言ったり為したりすること」ではないと思うのですが(それは単なる暴力でしょう。)、禅者と呼ばれる方のなかにはこの区別を全然為していないようにしか見えない方が多くいらっしゃることに無念さを覚えずにいられません。
哲学 思いやり 全体性 他者 無分別 無反省 暴力
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大角 康(宗純) @koukaku0811
このツイートが大きな反響を呼んでいるのは当然だと思います。 「相手が自分とは異なる人格を持っている」という、当たり前であるゆえに忘れがちの前提を忘れて世界を見る時に、私が見る世界はすべて「私の思いの反映」となり、そのような「私の世界」においては他者の為す言動が自分の思いや twitter.com/tabusa/status/…
大角 康(宗純) @koukaku0811
思考のパターンに当てはめられて考えられてしまいます。 「私の世界」から人を見ることに慣れてしまうと、自分に都合の悪いことを相手が為した際においても、 「相手はどういう事情と思いでこのようなことをしたのだろう?」 という思考が為されないまま自分の怒りをぶつけることに疑問を覚えなく
大角 康(宗純) @koukaku0811
なります。 禅者にはこういう方が多い印象がありまして、しかもそういった傾向が強い方ほど「無分別」などと仰います。 無分別とは「自分のことを考えない」ということであり、「自分のことしか考えない」ことではないと思います。 他者を忘れた思考は必ず暴力を孕むと思うのです。

コメント

änö @QZoTItbZ 14日前
これ面倒なのは主語が「俺」ではく「男」に置き換わることで正当化するところ。でも声をかけるって行動から逆算して左と思い込むならそれもまた無分別ではないとおもわれ。純粋に相手を知りたいからいつもと違う様相の理由が気になっただけかもしれない。