【ありがとう】高松平家物語歴史館 2019年3月24日閉館【ございました】
*日本最大級のろう人形館「高松平家物語歴史館」が2019年(平成31年)3月24日をもって閉館されるそうです。 2010年(平成22年)の訪問時に撮った写真とともに簡単にご紹介させてくださいませ。 pic.twitter.com/lNwOuzzbIU
2019-02-10 20:26:49*第 1景 「平忠盛、鬼をとらえる」 『平家物語』巻六 「祇園女御」より 雨が降る中、怪しい者が出現!?刀を構える平忠盛。 pic.twitter.com/4mO9eJXCy6
2019-02-10 20:32:12白河院らに緊張が走りました。 忠盛がその者を捕らえたところ法師だったのでした。 白河院は褒美として寵愛していた“祇園女御”を忠盛へ下賜します。 ・・・この時、“祇園女御”は白河院の子を身ごもっていました。 生まれた子がのちの平清盛となったのだとか。
2019-02-10 20:32:12*第 2景 「平家にあらずんば人にあらず」 『平家物語』巻一 「禿髪」「吾身栄華」より 平家一門は繁栄します。 清盛の妻の兄である平時忠は「平家にあらずんば、人にあらず」と広言。 51歳で出家した平清盛。法名は、浄海(じょうかい)。 pic.twitter.com/02meBEdwvk
2019-02-10 20:35:12*第 3景 「仏御前、祗王を訪ねる」 『平家物語』巻一 「祗王」より 平清盛に寵愛された白拍子の祗王。 しかし寵愛が仏御前に移り、妹の祗女や母とともに尼になります。 やがて嵯峨の山里にある庵を訪ねる仏御前の姿が。 仏御前も世の無常を悟り出家したのでした。 pic.twitter.com/fRt8BUJFtU
2019-02-10 20:39:17*第 4景 「清盛の孫、摂政・基房を辱める」 『平家物語』巻一 「殿下乗合」より 1枚目:平清盛の孫<重盛の次男>である資盛(すけもり)。13歳。 2・3枚目:摂政 藤原基房の行列を襲う平家の家来たち。 pic.twitter.com/o5pByVyPxe
2019-02-10 20:42:35*第 5景 「俊寛のみ赦されず」 『平家物語』巻三 「赦文」「足摺」より 「鹿ケ谷事件」の発覚によって、 平康頼・藤原成経・俊寛は鬼界ヶ島に流されました。 やがて、康頼と成経は京に戻ることが赦されましたが俊寛は赦されませんでした。 pic.twitter.com/EKSpyPFFBp
2019-02-10 20:45:59俊寛のみを島に残して迎えの船は出て行きます。 半狂乱になって船を追う俊寛。 pic.twitter.com/zHHIa6w3Qo
2019-02-10 20:45:59*第 6景 「物怪(もののけ)」 『平家物語』巻五 「物怪之沙汰」より 福原への遷都後、怪異のものが現れることが多かったのでした。 中庭に現れた大量の髑髏のかたまりをにらむ平清盛。 ※写真右側に見える白壁にはぼーっと巨大な顔が不気味に浮かび上がります。 pic.twitter.com/rrXUz3VxFI
2019-02-10 20:49:21*第 7景 「平家軍、富士川で大敗」 『平家物語』巻五 「富士川」より 治承4年(1180年)、源氏と平家は富士川を隔てて陣を張りました。 決戦前夜、水鳥の羽音に驚き平家軍は敗走。 pic.twitter.com/wfxtrWBIjd
2019-02-10 20:51:42*第 8景 「平重衡、大仏を焼く」 『平家物語』巻五 「奈良炎上」より 治承4年(1180年)、平重衡の命令によって点けられた火は広がり、東大寺大仏殿まで焼き尽くします。 pic.twitter.com/YDVeT3gSH3
2019-02-10 20:56:14*第 9景 「清盛、高熱を発して死去」 『平家物語』巻六 「入道死去」より 治承5年(1181年)、平清盛は熱病で死去。 「頼朝の首を墓前に供えよ」と言い遺します。64歳でした。 清盛の最期を看取る宗盛<清盛の息子>と時子<清盛の妻>。 pic.twitter.com/n8c8RG3mDz
2019-02-10 20:58:38*第10景 「一の谷の合戦」 『平家物語』巻九 「坂落」より 寿永3年(1184年)、一の谷の合戦において 源義経と武士たちは鵯越を駆け下ります。 平家側は多くの武将を失い、四国へ。 ※この展示では馬の足音やかけ声が館内に響き迫力ありました! pic.twitter.com/t8Tyoflmt2
2019-02-10 21:29:55*第11景 「平敦盛と熊谷直実」 『平家物語』巻九 「敦盛最期」より 一の谷の合戦で、平敦盛は熊谷直実によって討たれます。 直実は自身の息子ほどの年齢で美しい敦盛の姿に 助けたいと思うもののやむをえない状況でした。 pic.twitter.com/OYZJZmBAMO
2019-02-10 21:32:16熊谷直実は、敦盛の腰に錦の袋に入れた横笛がささっているのを見つけ、出家の志を強くします。 pic.twitter.com/Dv8faiCTjG
2019-02-10 21:32:17*第12景 「那須与一、扇の的を射る」 『平家物語』巻十一 「那須与一」より 元暦2年(1185年)、屋島の合戦において夕暮れになり戦は中断。 平家は扇の的を出して、源氏側を手招きします。 源義経に命じられた那須与一は決死の覚悟で扇の的を射落とすのでした。 pic.twitter.com/TBy2HtLXb4
2019-02-10 21:36:24*第13景 「安徳天皇、入水」 『平家物語』巻十一 「先帝身投」より 元暦2年(1185年)、3月24日、壇ノ浦の合戦が始まりました。 始めは平家軍が優位でしたが、次第に戦況は悪化。 平家は敗れます。 二位尼<平時子>は幼い安徳天皇を抱いて入水。 pic.twitter.com/KhraQhA5mM
2019-02-10 21:39:11*第14景 「平教経、凄壮な最期」 『平家物語』巻十一 「能登殿最期」より 源義経を追った平教経(たいらののりつね)でしたが義経を討つことはかないませんでした。 源氏の武士を海に蹴り込み、自らは安芸太郎と次郎の兄弟を両脇にはさみ入水。 pic.twitter.com/87PInHXj2c
2019-02-10 21:43:08第15景 「平家滅亡」 『平家物語』巻十一 「内侍所都入」より pic.twitter.com/LBQL79xIzU
2019-02-10 21:44:50*第16景 「祇園精舎の鐘の声」 『平家物語』 「灌頂巻」より 左/典侍の局(すけのつぼね)=安徳天皇の乳母 右/阿波の内侍(ないし) pic.twitter.com/KQOFaJkKw1
2019-02-10 21:49:44建礼門院徳子 大原の里の寂光院のそばの庵室にて わが子、安徳天皇と平家一門の菩提を弔う建礼門院徳子。 pic.twitter.com/9yLmgKeD2n
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