「超自己中心主義」「共鳴」「質が変わること」について
- carmine_RR
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3人でドミソみたいに協和音を弾いている場合は、お互い鳴らし合う状態かつ、うまくバランスがとれると、その瞬間ふっと空間の色が変わるように感じられる。(ここまで行ったのは今まで数えるくらいだけど…)いったん合った感覚が分かれば、そこを目指せるので音程が格段に合いやすくなる。
2011-05-09 19:52:45少し話が飛びます。普通のスポーツでは相手が弱いほどいい。しかし武術的な発想ではそうではない。合気道では敵の動きが厳しいほど、身体感度が高いほどきれいにわざがかかるそうだ。これは良い楽器ほど反応がよく弾くのが楽なのと同じ。
2011-05-09 20:32:35合気道では相手の身体との「共身体」をつくり、その共身体の必然的な動きの流れに沿って動くこと=技がかかることらしい。これは楽器と自分、あるいは奏者同士でも同じだと思う。アンサンブルなら参加する奏者が一種の共身体をつくって、自然な流れに沿って動くとき、音楽が生まれる。
2011-05-09 20:39:57大事なのは相手(敵)を自分のパフォーマンスを下げるものと捉えるか、自分のパフォーマンスを上げるものと捉えるか。相手と共鳴状態に入ると、ひとりのときよりパフォーマンスは上がる。この原理は実はどんなものについても言えるのではないか。これが基本的なアイデアです。
2011-05-09 20:45:39共鳴するには、まず「耳をすます」こと。これは自分に余裕がないとできない。待てないし、聴けない。目に見える成果、結果を急いでしまう。そうすると先入観が外れず、質的な変化は起こりにくい。自分の聴きたいものだけ聴いてしまう。自分の感覚を無視し、外部の基準に見た目だけ合わせようとする。
2011-05-09 21:31:57失敗できる状況をつくる。余裕をつくり、自分の感覚に素直になること。耳をすませる。そうすると、今まで聴こえなかった音が聴こえ、見えなかったものが見え、感じられなかったものが感じられるようになる。いままでノイズだったところにシグナルを見出す。
2011-05-09 21:35:51