「超自己中心主義」「共鳴」「質が変わること」について

1.「超自己中心主義」について。 2.楽器の共鳴状態と合気道を例にして、敵をつくるのではなく、バラバラでいるよりもお互いに楽でパフォーマンスが上がった状態=「共鳴状態」をめざそうという考え方について説明しています。
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糸井 重里 @itoi_shigesato

「人のため」とか「社会のため」とか言わないで、「じぶんの勝手」としてやってるんだと思えるかどうか? そこが大事だという気がしてます。「じぶんはいやなんだけど、人のためにやってる」なんてことには、人間は向いてないもの

2011-05-09 03:07:31
糸井 重里 @itoi_shigesato

なんにつけても「じぶんの勝手」としてやってるんだと思ってる人なら、同じことをしてない人を責めたりもしない。‥‥なんてことを、ぼくが言ってるのも、ぼくを生きやすくするために言ってるわけで。それが、他の人のよろこびと重なるところが多ければ、よろこばれたりもする。

2011-05-09 03:31:17
carmine @carmine_RR

「自分のため」と「誰かのため」が一致しているときが一番力を発揮できる。自分では「超自己中心主義」と言ってる。QT @itoi_shigesato: 「人のため」とか「社会のため」とか言わないで、「じぶんの勝手」としてやってるんだと思えるかどうか? そこが大事だという気がしてます。

2011-05-09 03:32:18
carmine @carmine_RR

自分に嘘をついてでも誰かのために動くことは大事だけど、続かない。しんどいし、本当の力にはならない。 そして、誰かのために動いてるときは、不思議に力が湧く。エネルギーを供給してもらってるみたい。自分のためにだったらやめてしまうようなことでも、がんばれる。

2011-05-09 03:39:39
carmine @carmine_RR

「超自己中心主義」という馬鹿みたいな響きのことばに込めた意味は大きく分けてふたつある。ひとつめは「自分のため」を通常の自己中心主義を超えて大きく捉えようということ。

2011-05-09 04:00:42
carmine @carmine_RR

結局その方が自分のためでもある。情けは人の為ならず。局所的な自己利益の最大化を図る者は結局あまり幸せになれないと思う。

2011-05-09 04:03:06
carmine @carmine_RR

そしてもうひとつは、相手と分かり合えていない状況では自分を中心にして考えるしかない、ということ。現実には相手の心の中が分からない場合がほとんど。踏み出すには「自分のため」と思って動くしかない。「相手のため」にしたことの結果は、相手のせいにしてしまいやすい。

2011-05-09 04:14:55
carmine @carmine_RR

もちろん、厳密に捉えた場合の話。自分、他人などのことばを使って行為の意味を考えるとき、自分のためだといえない行為は嘘だと思う。ほんとは何にも考えずにスッと動けるのが理想。

2011-05-09 04:20:37
carmine @carmine_RR

というわけで、超自己中心主義=めっちゃ、自分中心で考えようぜ/つきつめたら自分中心で考えるしかないないやん、という考え方でした。

2011-05-09 04:25:34
carmine @carmine_RR

自分の考え方の基本は、お互いハッピーになるにはどうしたらいいか。

2011-05-09 04:33:24
carmine @carmine_RR

自分のためにならないことをするのは、そして不毛な対立や争いになるのは、より良い状態を知らないから、まわりがそうしているから、目先の小さな状況、欲求に囚われるから。

2011-05-09 04:36:38
carmine @carmine_RR

滅茶苦茶乱暴にいえばバカだから。本質を分かっていない。(本質って何とかはとりあえず置いとく)でも目の前の自分の置かれた状況の中ではそういう行動を取る方が有利だから、気付きにくい。

2011-05-09 04:42:58
carmine @carmine_RR

いったん状況のストレスから解放することが重要。余裕をつくる。ひたすら環境の要求に応えるのに精一杯の状態では難しい。余裕がなければ動けないし、試せないし気付けない。

2011-05-09 04:47:30
carmine @carmine_RR

いろいろやっているうちにふっと質が変わっていることに気付く。たとえ見た目は変わらなくても、あ、いま私なんか楽だな、いい感じだな、と感じる瞬間が来る。

2011-05-09 04:52:57
carmine @carmine_RR

たぶんほんとは以前から経験はあったのだけど、気に留めていなかった。けれどその違いに気付くことがとても重要。

2011-05-09 05:02:26
carmine @carmine_RR

そろそろ一般化した言い方だと抽象的すぎてしんどくなってきた。楽器の練習の話にしちゃおう。

2011-05-09 05:04:48
carmine @carmine_RR

大事なのは質の変化、違いに気付くこと。良い感覚を知る(意識化)→自分の身体で再現出来るようになる(身体化)→その感覚が当たり前になる(無意識化)という流れの繰り返し。

2011-05-09 05:11:42
carmine @carmine_RR

普通は意識しないけれど、現実世界では通常単一のメカニズムで系がふるまうことはなくて、複数のメカニズムのふるまいが重なり合っている。単一のメカニズムで動くのは頭の中だけだ。現実が必ず計算どおりにはいかない理由のひとつはこれだと思う。

2011-05-09 05:25:25
carmine @carmine_RR

楽器でいえば普通は複数の鳴り方が同時に鳴っている。いろんな鳴り方のブレンドの変化は音色や体感の変化として感じられる。しかしそういう変化は目で見えないため、普通は地続きで全部同じだと認識される。耳の癖(認識の癖)でいちばん耳につきやすい大きい音以外は意識されない。

2011-05-09 05:33:34
carmine @carmine_RR

つまり見えているのに見えない、聞こえているのに聞こえない状態。認識されないものは意識の中では無いのと同じ。例えば倍音がそう。常に鳴っているけど自分は教えてもらうまで気付かなかった。

2011-05-09 05:40:15
carmine @carmine_RR

昨日の続き。先に話の大枠を示すことにします。最終目的地は、お互いハッピーになること。関わっているものにとって、お互いが楽でかつパフォーマンスが上がるようになること。そのためには「質が変わる」という捉え方と「共鳴」が大事。

2011-05-09 18:50:12
carmine @carmine_RR

「共鳴」について。ここでは特殊な意味で使っています。とりあえず「関わっているものにとって、お互いが楽でかつパフォーマンスが上がっている状態」を指していると思って下さい。

2011-05-09 19:25:25
carmine @carmine_RR

たとえば複数人で楽器を弾いているとき(Vn3人でドミソとか、全員ドとか)音程が合っていてもバラバラに聞えるときがあります。そういう状態だとお互いの音がぶつかり合っているので、ひとりで弾いているときよりも頑張らなければ聞こえないし、しんどい。鳴る空間を取り合っている感じ。

2011-05-09 19:34:22
carmine @carmine_RR

でもうまくいくと、ふっと楽になってお互いがお互いの楽器を鳴らし合っている状態になり、ひとりで弾いているときより楽に弾いているのにパワーが増し、豊かな音が出るようになる。感覚としては自分で鳴らしている割合が減り、自然に勝手に鳴っている感じが増える。

2011-05-09 19:41:09
carmine @carmine_RR

ぶつかり合っていた自分から相手へのベクトル、相手からベクトルが消えて、みんなでひとつなんだけどバラバラで自由に動けるという不思議な感覚。ダメなときはひとりひとりの境界が痛くて固い砂粒みたいだったのが、お互いがはみだしあって重なっている感じ。

2011-05-09 19:46:15