JCLU5月例会 柴田鉄治さん「原発報道の検証〜メディアはなぜ、福島原発の欠陥を伝えられなかったのか?〜」

JCLU((社)自由人権協会)の5月例会「原発報道の検証〜メディアはなぜ、福島原発の欠陥を伝えられなかったのか?〜」で、元朝日新聞社東京本社社会部長・科学部長・論説委員の柴田鉄治さんのお話を、私(丸山紀一朗)がまとめたもの。質疑応答はメモが不完全なため省略。
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丸山紀一朗 @ki_chiro

12日18時から虎ノ門ビルで開催された、JCLU(自由人権協会)5月例会「原発報道の検証~メディアはなぜ、福島原発の欠陥を伝えられなかったのか?~」の内容を連投します。回線トラブルでtsudaれなかった分。講師は元朝日新聞社東京本社社会部長・科学部長・論説委員の柴田鉄治さん。

2011-05-13 00:09:01
丸山紀一朗 @ki_chiro

柴田さん(以下敬称略)「今回の福島第一原発事故について。誰が事故処理の指揮をとっているのか、未だにはっきりと分からない。例えばアメリカではスリーマイル事故の際、ハロルド・デントン元米原子力規制委員会原子炉規制局長が、1日2回の大統領への報告、1日1回の記者会見をした」

2011-05-13 00:14:25
丸山紀一朗 @ki_chiro

柴田「菅さんがやんなきゃいけないのは、司令塔を任命することだったが、それをやらなかった。また、メディアも、それが誰なのかを激しく迫るようなことがもっとできたのではないか。『黒子』では困る。国民の前に立って、出てきてもらわないと」

2011-05-13 00:16:09
丸山紀一朗 @ki_chiro

柴田「今回、原子力安全委員会が指揮を取るのかと思ってたら出てこない。一方、原子力安全・保安院はどんどん出てくる。これは経産省内に位置しており、どちらかと言えば原発の推進派」

2011-05-13 00:17:13
丸山紀一朗 @ki_chiro

柴田「想定外なんてありえない。これは、これまでものすごい甘い安全対策、設計を許容してきたということ。日本の原子力報道は失敗だった。その象徴が今回の事故だと言える」

2011-05-13 00:18:20
丸山紀一朗 @ki_chiro

柴田「もちろん、報道の責任じゃなくて政府の責任と言えるかもしれないが、これは、報道が社会に対するチェック機能を働かせてこなかったということ。この事故だけを見て、報道が失敗だったと結論してもいいくらい」

2011-05-13 00:19:23
丸山紀一朗 @ki_chiro

柴田「震災後12日目にしてやっと原子力安全委員会委員長が姿を見せたとき、メディアは一斉に『もっと前面に出てこい』と言ったが、もっと早め、3日目くらいに言えなかったか。強い言い方をすれば、ダブルチェックをおいたのに、ダブルチェックという名のチェック無しになってしまったのではないか」

2011-05-13 00:25:05
丸山紀一朗 @ki_chiro

柴田「日本の原子力開発始まったのは1954年3月。予算の組み替えを急遽やったときに、原子炉開発のための予算(2億3500万円)をつけた(改進党・中曽根)」

2011-05-13 00:26:14
丸山紀一朗 @ki_chiro

柴田「日本国民は当時、原発に賛成が多かった。平和利用ならば、ということで、圧倒的に賛成が多かった。原子力にバラ色の夢を抱いていた」

2011-05-13 00:27:00
丸山紀一朗 @ki_chiro

柴田「その空気を主導したのがメディアだった。例えば、1955年の新聞週間の用語は『新聞は世界平和の原子力』。これで、『原子力』がどのくらいのプラスイメージを持った言葉だったか、ということがわかると思う」

2011-05-13 00:29:25
丸山紀一朗 @ki_chiro

柴田「私はその頃のことをよく『バラ色一色だった』と言う。この話を学生にすると、『そんなの嘘でしょ、信じられない』と言われる」

2011-05-13 00:30:33
おおさきてつや/インタビューライター @tetsu_hachi

@ki_chiro 柴田氏の話。なかなか興味深い。しかしいつも(自戒もこめて)思うが、反省しても次への財産になりにくいのがマスコミの体質。そこをどうするか言及しているのかな

2011-05-13 00:31:27
丸山紀一朗 @ki_chiro

柴田「国民が当時抱いた原子力への期待感は、今の学生にはわからないだろうが、それはこういうことだったのではないか。つまり、ヒロシマ・ナガサキはもうゴメンだと思ったが、逆にあのすごいエネルギーを平和利用できたら、と」

2011-05-13 00:32:43
丸山紀一朗 @ki_chiro

柴田「日本はエネルギーが無い国だし、平和利用できれば素晴らしいと考えたとすると、その事自体はおかしいことではない。あとは、宗教に近いような、原子力への『信仰』があっただろうと思う」

2011-05-13 00:34:33
丸山紀一朗 @ki_chiro

柴田「原子力は軍事利用したら大変だから、そちらの歯止めさえかければ、と。メディアがそれを煽り、そういう方向に引っ張っていった、というのが当時の状況だったのではないか」

2011-05-13 00:35:13
丸山紀一朗 @ki_chiro

柴田「大体の技術は、先にプラス面が宣伝されて、そのうちにマイナス面が出てきて、やめようっていうことになる。しかし、原子力はマイナス(原爆)からスタートして、それを平和利用したら素晴らしいだろう、という形の技術だった。原爆は悪、原発は善という二元論に陥ってしまった」

2011-05-13 00:37:05
丸山紀一朗 @ki_chiro

柴田「『原子力にはこういうマイナスがあるんだよ』ということを、もっと強くアピールすること。メディアはそういうことをするためにある」

2011-05-13 00:38:11
丸山紀一朗 @ki_chiro

柴田「『原子力にはこういうマイナスがあるんだよ』ということを、もっと強くアピールすること。メディアはそういうことをするためにある」

2011-05-13 00:38:11
丸山紀一朗 @ki_chiro

柴田「原発反対運動が出てきたのは明確に1970年代から。日本だけじゃなく、世界的に公害問題が一斉に火を噴く、現代文明の分岐点だったと思っている。それまでは公害に甘い社会だったが、このままいったら地球はもたない、というところまで一気に議論が進んだ」

2011-05-13 00:42:02
丸山紀一朗 @ki_chiro

柴田「科学技術は人間を苦しめる可能性もあるよ、と人間は公害・環境問題から悟ったと思う。私の仮説は、1969年に人類が初めて月に着陸した時に月から見た地球の映像が環境問題に火をつけた、と思っている。このままでは、あの小さな地球環境そのものが持たないんだ、と」

2011-05-13 00:45:19
丸山紀一朗 @ki_chiro

柴田「最初の原子力反対意見は、放射性廃棄物が溜まっていくということ。その後、事故を起こせばどうなる、という議論も出てたが、それでも反対意見が出てきたとはいえ、80年代半ばまでは世論調査をすれば賛成の方が多かった」

2011-05-13 00:48:05
丸山紀一朗 @ki_chiro

柴田「その後、1986年のチェルノブイリ事故で、世論が完全に逆転し原発反対の方が多くなった。しかしまたその後、賛否が接近。これは原発による電力が全体の約3分の1になってきて、『なくしたら大変だ』となってきたからだと思っている」

2011-05-13 00:51:32
丸山紀一朗 @ki_chiro

柴田「1970年代に反対運動が起こり、反対派が推進派に対して『絶対安全か?』と迫ったら、推進派が『絶対安全だ』と言ってしまった。これが推進派の最大の誤りだった。それによって原子力災害を考えることができなくなり、防災計画などを立てられなくなってしまった」

2011-05-13 00:53:49
丸山紀一朗 @ki_chiro

柴田「防災計画や避難計画を立てると、『何だそんなに危ないのか』と反対派に言われてしまう。メディアは、推進派の『絶対安全』に対して『本当か?』と言うべきだった。最初の時点で厳しい姿勢をとらなかった罪は重い。70年代は『反対派の言い分は非科学的で感情的』という反対派叩きも多かった」

2011-05-13 00:57:31
丸山紀一朗 @ki_chiro

柴田「スリーマイル事故が起きて、万が一のための防災計画は立てられるようになったが、しかし本当の反省ではなかった。1980年代には原発の事故隠しが相次いで明らかに。80年代は原子力の悪い面がたくさん出てくる」

2011-05-13 01:00:13