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はくえー@インド本譲渡(固定ツイ参照) @tomoshibi6o6o
風呂上がったら今日こそ「ベリー公ジャンから見た中世の様相~暗黒の時代だったか?」について語るぞー(フラグ)
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今回の主役はベリー公ジャン。 国王シャルル5世の王弟であり、シャルル6世が幼くして王位に就くと兄弟と共に摂政を担った。 しかし早々と摂政職から手を引いて主導権を譲り、代わりに南仏のラングドックとギュイエンヌの統治権を得た。 結果、最盛期でフランス王領地の3分の1の統治権を得る。 pic.twitter.com/l8Q7PoM6Ui
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後世、シャルル6世の子シャルル王太子がイングランド側から廃嫡されると、シャルル王太子はパリを追われてブールジュへ逃亡した。 このため彼を蔑んで「ブールジュの(田舎町の)王」と呼ぶが、しかしブールジュは田舎だったのか?
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現在は人口7万にしかならない街も、シャルル王太子の時代は栄えていた。 豊かな街だったのである。 何故なら、ブールジュこそ大叔父のベリー公ジャンの、財産を注いで運営された街だったのだ。 1360年ベリー公となったジャンは1415年に没するまで55年間、莫大な遺産をこの街に捧げた。
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ベリー公ジャンは街の防壁を頑丈に築き、戦乱から逃れた商人や技術者がブールジュに集ってきた。 ジャンは集まってきた人々を使って、城館を建築する。 ブールジュの館の大広間はパリ王宮に匹敵する広さで、縦横50メートル、高さ24メートルにも及ぶ大建築だった。
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城館の建築が盛んになれば、聖職者も彼らを雇って教会の建築も盛んになる。 そうするとステンドグラス職人や彫刻師が集められ、更に技術者が集まった。 1391年、ジャンによって建てられた聖堂は先祖ルイ聖王を凌ぐ豪華さであり、こうした技術育成のために初の彫刻学校が建築されている。
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百年戦争(1337-1453)は「中世の暗黒時代」の代表的な出来事ともいわれる。 この時代は戦乱だけではなく農民反乱、ペストなど疫病が流行り悲惨な時代と思われがちだが、一方で豊かな消費文化の時代でもあった。 ベリー公に代表されるように、建設と芸術による贅沢の時代でもあったのである。
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ベリー公ジャンは南仏の各地を支配しており、その城のいくつかは近代的特徴を既に備えていた。 ポワティエの城は、城壁こそあるものの守られていない部分が見られ、戦闘に対して構えている様子が感じられない。 pic.twitter.com/Y51gvYLoHb
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職人はそれまで諸国を遍歴する生活を送っていたが、この頃このように建築や彫刻などを行う需要が増加した結果、一部は定住してそれなりの豊かな生活を得ることができた。 ベリー公のような権力者が、互いに競って「美しい物を所有することが権力と富の証」だと崇敬のため立派な物(建築・芸術)を求め→
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それに続いて職人(技術者)身分にも金が入るようになり、彼らを受け入れる街にはその金が落とされる。こうして金が上から下へと落ち、回って豊かになっていく。 この代表例がベリー公ジャンであった。彼は生涯に17の城館を築き、それは「いとも豪華な祈祷書」に登場させている。
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ベリー公の祈祷書は「いとも豪華な時祷書」が有名だが、他にも「ベリー公の美わしき時祷書」「ベリー公の美わしき聖母時祷書」など、6冊のバリエーションがある。
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このベリー公の領地の特徴から見て、中世の悲惨な暗黒時代と呼ばれる様相も、そして「ブールジュの王」とシャルル王太子(7世)を蔑むことは、再評価しなければならないのではなかろうか。
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ベリー公ジャンは長命であり、75歳で没した。 1401年に先に息子ジャンが没すると、自棄になって財産を浪費したりせず、むしろ「自らの国」を守ることに固執した。 そしてジャンが亡くなると、その遺産の大部分はシャルル王太子----シャルル7世へ受け継がれる。
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パリを追われ、ブールジュに来たシャルル王太子は、荒れ始めていたとはいえ大叔父の残した豊かな国を見ただろう。 そしてそれが、百年戦争終結後の統治ビジョンに影響を及ぼした可能性はなくもない。

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