たらればさん、「紫式部村の住人…爆死」 #FGO 『惑う鳴鳳荘』動揺しつつも取り急ぎ感想。イベントを読む前に読みたい式部考察テキストも必読

たらればさんが嬉しそうでなにより
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たられば @tarareba722

最終巻「夢浮橋」は、「それでも会いたい」という薫からの手紙に浮舟が「会えません」と泣き崩れ、それを知った薫が「別の男がいる…?」と邪推するところでふっつりと終わっています。およそ100万字、作中70年間にわたる大河小説『源氏物語』の結末にしては、あまりに唐突な終幕といえるでしょう。

2018-01-03 00:54:22
たられば @tarareba722

薫の恋慕はどこへ向かうのか? 浮舟の抱える心の闇は晴れるのか? 浮舟というよりきみ薫のことが大好きなんじゃねという貴公子・匂宮の想いと即位の行く末はどうなるのか?? それらの問いに、正典『源氏物語』は答えとなる文言を何も遺していません(「あったはずだが逸失した」という説もある)。

2018-01-03 00:55:30
たられば @tarareba722

紫式部はこの結末で、何を伝えたかったのでしょうか。 私はこの「終わり方」、「物語の(閉じられたとは言いがたい)閉じ方」にこそ、この源氏物語の重要なテーマを示していると考えています。それも、そこには『枕草子』が鍵を握っている。以下、ふたつの観点からそう考える根拠をご説明いたします。

2018-01-03 00:56:41
たられば @tarareba722

まずひとつめは「当時(源氏物語執筆時)の政治的な背景」です。 『源氏物語』はまず第一義として、「一条天皇を(亡き妻である定子ではなく)中宮彰子へ振り向かせるために書かれた物語」だといえます。

2018-01-03 00:57:42
たられば @tarareba722

ご承知のとおり、一条帝の愛妻・中宮定子は実家が政争に敗れ、3人の子を遺して24歳で亡くなります。この時一条帝21歳、彰子13歳。 この状況に焦ったのは時の権力者・藤原道長です。政争には勝った。しかし一条帝は愛した定子の影を追い続けて我が娘、彰子と子供を作ってくれない。どうしよう。

2018-01-03 00:58:26
たられば @tarareba722

この頃に成立して宮中で流布していたのが『枕草子』です。同作には清少納言とその主人・中宮定子、それに一条天皇の、典雅で美しくも文化的な姿がこれでもかと綴られています。定子と清少納言は政治的な敗者ではありましたが、少なくともこの時点では、文化的には(道長と彰子に)勝っていた。

2018-01-03 00:59:43
たられば @tarareba722

この状況を打開するために、藤原道長は文化的な対抗策を必死で模索しました。なにしろ日本文学史上最高傑作のひとつ『枕草子』は、道長の政治的ライバルである定子を主人公にしています。それに対抗して一条天皇を振り向かせるには、我が娘・彰子のために文学作品を書いてくれる天才を捜すしかない。

2018-01-03 01:00:33
たられば @tarareba722

いやそんな都合よく天才がいるかよって話です。文学なめんな。それがうっかりいました。紫式部です。文学案外チョロい。男塾なみのインフレ感。 さておき、こうした政治的背景のもとで『源氏物語』は完成します。道長の思惑どおり一条天皇はこの物語に耽溺し、定子の死後7年を経て彰子は懐妊します。

2018-01-03 01:01:18
たられば @tarareba722

これまで私自身何度か呟いてきましたが、『枕草子』は清少納言が自らの主人である中宮定子の美しさとその後宮文化を永遠に留め置くために記されています。その魅力は、当時生きていた政治的存在である一条帝、道長、彰子をも巻き込みました。『源氏物語』は、そうした文脈の上で誕生しているのです。

2018-01-03 01:05:27
たられば @tarareba722

ふたつめのポイントは、「紫式部の個人的な背景」です。 これまたよく知られている話ですが、紫式部の人生には「死」がつきまとっていました。 紫式部はおそらく幼い頃に母親を亡くしています。また近い時期に姉も亡くしており、その姉替わりとして慕っていた年上の親友にも若くして先立たれています。

2018-01-03 01:06:23
たられば @tarareba722

その上で、紫式部は晩婚ながら仲睦まじく愛し合っていた夫を、結婚後わずか3年で亡くしています。史料によれば『源氏物語』が書き出されるのはこの頃、身近な人に次から次へと先立たれ、この世の儚さを思い知り、遺された一人娘を抱えてそれでも生きて行かざるをえない未亡人が書いた作品なのです。

2018-01-03 01:07:26
たられば @tarareba722

紫式部の自選和歌集に、以下の歌があります。 「心だに いかなる身にかかなふらむ 思い知れども思い知られず(どんな境遇に置かれようとも、心だけは自分の自由になると思っていた。そう思い知っていたはずなのに、悲しみも切なさも満ち溢れてしまい、自由にならないものですね)」。 いい歌ですね。

2018-01-03 01:08:54
たられば @tarareba722

さてそろそろ本稿冒頭の問いに戻ります。 『源氏物語』の結末に込められたテーマとはなんだったのでしょうか? 最愛の妻を亡くした失意に沈む一条帝の顔を上げさせるために、身近な人との別れを何度も繰り返してきた紫式部が用意した物語の結末は、何を語っているのか?

2018-01-03 01:09:54
たられば @tarareba722

私はその答えは、(『源氏物語』でなく)『紫式部集』の最終歌に込められていると考えています。いわく 「いづくとも 身をやる方の知られねば 憂(う)しと見つつも 永らふるかな(辛く切なく苦しく自分の身の置き所さえ見失って、この世を儚んで憂いても、それでも生きてゆくのが人生なのですね…)」

2018-01-03 01:11:15
たられば @tarareba722

「それでも生きてゆく」。 人は生きている者と、それでもそれぞれの「生」を生きてゆくのです。 だからこそ、何ひとつ片付かない場面で、閉じられないかたちで『源氏物語』の筆は措かれることになった。

2018-01-03 01:12:05
たられば @tarareba722

本稿中盤で述べたとおり、『枕草子』は中宮定子の美しい姿と文化をその作品内に閉じ込めました。美しい。「美」は永遠を語れます。しかし「愛」は永遠を語れません。語ってはならない。閉じこもっていてはならない。立ち上がって歩き出さねばならない。紫式部はそう言っているように思えるのです。

2018-01-03 01:13:50
たられば @tarareba722

愛しい人がもう二度と振り向いてくれなくても、大切な人が亡くなって身がちぎれるほど悲しくても、そしてこの先なにが待ち受けているかわからなくとも、それでも生きて行く。それが人生というものではないか。これこそが『源氏物語』のあの唐突な終幕に込められたテーマだと、私は思うのです。(了

2018-01-03 01:14:50

「惑う鳴鳳荘」攻略記

たられば @tarareba722

・ちょっといま、万感の思いが錯綜していて脳が混乱しているんですが取り急ぎ ・そもそも『源氏物語』には複数作者説(特に後半の宇治十条は別人説)が根強い ・シェイクスピアの「そして鳴鳳荘は平等院鳳凰堂」というセリフ、鳳凰堂は紫式部の雇い主だった藤原道長の別荘跡地(宇治殿)に建てたもの

2019-05-20 19:15:35
たられば @tarareba722

・『源氏物語』(前半部)での紫の上と光源氏の顛末はバッドエンドです ・全54帖のうち第40帖「御法」で、紫の上は失意のうちに亡くなり、悲しみに暮れて看取った光源氏はその次(「幻」)で打ちひしがれ、次帖(「雲隠」)にて亡くなったとされています ・もし本シナリオが『源氏物語』の変奏なら…

2019-05-20 19:19:37
たられば @tarareba722

おっと誰か来たようだ。

2019-05-20 19:20:00
たられば @tarareba722

(なおごくごく個人的な妄想ですが、生涯で「物語」は一作しか書かなかった紫式部が、もしももうひとつ物語を書いたとしたら、それは悲しい運命を歩んだ美しい姫君と、その姫に仕えるべく人生を捧げたすばらしい随筆を書く女房の話だったのではないかなぁ…とおもうのでした)

2019-05-20 19:31:11
たられば @tarareba722

ああええと、読み返してみて「バッドエンド」、「失意のうちに亡くなり」と決めつけるのはよくないなと思い返したので訂正します。紫の上と光源氏の最期は、読む人にとっては「解放」であったかもしれないし、「赦し」であったかもしれません。それは読み手の数だけ解釈の数がある、とすべきでした。

2019-05-20 19:46:13
たられば @tarareba722

いかんな、動揺しています。なお会食の予定をひとつキャンセルしました。推しの一大事なので。

2019-05-20 19:47:46
たられば @tarareba722

なお鳴鳳荘の投票は、 A)自分が一番読みたいと思うシナリオ B)アンケートで1位になりそうなシナリオ C)2位くらいに入りそうで1位になりそうなものよりは読みたいシナリオ 上記で悩んで(C)に入れました。開票たのしみ。

2019-05-19 09:32:05