紫式部と清少納言の関係性

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たられば @tarareba722

仕事が忙しすぎてまったく身動きがとれないので、百合同人の話でも呟こうかと思います。。。。

2015-11-20 11:37:47
たられば @tarareba722

①平安ガチ百合文学の泰斗といえばもちろん清少納言先輩ですが(なにしろ『枕草子』は3ページに1回くらい(体感)「中宮定子さますごい」「定子さま最高」「定子さま超キュート」とある世紀のラブレター)皆様ご存じ『源氏物語』にも相当な百合要素が織り込まれているのは古典クラスタには常識です。

2015-11-20 11:38:53
たられば @tarareba722

②なにしろ『源氏物語』主人公・光源氏初恋の相手にして永遠の思い人、理想の女性として描かれ続ける義母・藤壺中宮。このモデルこそ、当時平安京御所のうち「庭に美しい藤が植えられていた」という理由で「藤壺宮」と呼ばれていた飛香舎に住まう、中宮・藤原彰子(=紫式部の上司)その人でした。

2015-11-20 11:39:30
たられば @tarareba722

③もちろん当時の殿上人は姓名など呼び合いません。呼称はだいたい住んでいる場所と身分。つまり「藤壺宮」と聞けば誰だって「こ、これは彰子さま……」とわかるわけです。なんてこった。平安文学を、いやいや日本文学を代表する大サーガ『源氏物語』は最強のナマモノ同人だった。なにしてんだ君たち。

2015-11-20 11:39:45
たられば @tarareba722

④ご承知のとおり、ライバル・清少納言が記した『枕草子』とは、自らの主人である中宮定子について「いかに優れた人物か」を、当時の美意識や習俗を見事に織り込んで磨き上げた随筆です。その圧倒的に美しい筆力、描写力は後世に多大な影響を与え、今も日本語の情景描写の節々に脈々と息づいています。

2015-11-20 11:40:27
たられば @tarareba722

⑤ではいっぽう『源氏物語』とは何か。これもまた紫式部の主人・中宮彰子を褒め称える政治文学と読み解くこともできるのです。比較的ストレートに「定子さま」を美しく描写する『枕草子』を読んだ紫式部は、そこに自分と同等の凄まじい文学的才能を感じ取ったはずです。同じことをやって勝てるのか。

2015-11-20 11:40:59
たられば @tarareba722

⑥紫式部は「わたしは別のやり方でやる」と決心したのではないか。直接その美しさを描写するのでなく、最高の家柄と容姿と教養、声、筆、手の美しさ(←当時のイケメン絶対条件)を持つ主人公の「忘れられない人」として藤壺=主人を描いたわけです。こういう手法、マンガで読んだことありますよね。

2015-11-20 11:41:41
たられば @tarareba722

⑦紫式部と清少納言はいろいろな意味でセットで考えたほうが面白いとつくづく思っています。何より千年単位で後世に影響を与える作品を残したこの二人が、同じ時代の同じ場所に居たということが面白い。人間の才能・可能性は、生得的なものよりも社会環境のほうがよほど大事だと実感できますね。(了

2015-11-20 11:42:22
たられば @tarareba722

蛇足)なお個人的には、藤原道長の権力を背景に、紫式部を筆頭に和泉式部、赤染衛門、伊勢大輔といった凄まじ王朝文学サロンを築いた彰子さま&紫式部先輩コンビより、一族の政争の果てに夭折した定子さま&それを知りつつ華やかに描き続けた清少納言先輩コンビのほうが好みではあります。

2015-11-20 12:02:50
たられば @tarareba722

蛇足2)ただこれも、一族の命運がかかる閨房政治のライバルであった定子さまが若くして亡くなったあと、その忘れ形見である息子を彰子さまが我が子のように大切に育てて、父・道長と対立するにまで至るとか、いろいろドラマがあってですねー。いやーたまりませんなー。

2015-11-20 12:10:30
たられば @tarareba722

多くの学問がそうであるように、古典も入口は機械的な暗記が基本なんですよね。それを乗り越えると、単調な文字列でしかなかったものが有機的につながって物語を生み出し、抜群に面白くなっていく。そこまでどう自分を連れて行くかっていうのが難しいんだよなー。

2015-11-21 15:59:41
たられば @tarareba722

例えば「『枕草子(清少納言)』=をかし、『源氏物語(紫式部)』=もののあはれ」って文字列に、それだけで面白さを感じるのはどうやったって不可能なんですよね。でもその文字列をなんとなくでも機械的に暗記しておかないと、その先にあるスリリングな世界の彩り深さは味わえないという。

2015-11-21 16:06:38
たられば @tarareba722

ちょっと時間ができたのと、タイムラインの人が少ないのを見計らって、ここのところちょくちょく書いてた清少納言と紫式部の話の総括的なツイートを呟いてみます。ちょっと長いので、ご興味薄い方はミュートかリムーブをお願いします。さてではつらつらと。

2015-11-21 21:43:47
たられば @tarareba722

①「紫式部は清少納言を嫌っていた」という有名な話があります。確かに『紫式部日記』にはハッキリと「あいつは気に食わない」と書かれていて、並んで評されている和泉式部や赤染衛門に対してはやや辛口ながら長短合わせて歌風を紹介する丁寧な批評スタイルなのに、清少納言にはいきなり辛辣一辺倒。

2015-11-21 21:48:47
たられば @tarareba722

②紫式部いわく、清少納言は得意顔で偉そう、教養をひけらかしていて感じ悪い、よく読むとちょくちょく間違いも書いてる、自分を特別だと思っているが本性はすぐにバレるものだ、退屈な時でも「何か面白いことがあるはず」とガツガツしていて浮わついた態度、ろくな末路を辿らない。2ちゃんねるかよ。

2015-11-21 21:50:27
たられば @tarareba722

③では紫式部は清少納言を見下していたのか。それともあの痛烈な批判は「自分が仕える中宮彰子のほうが(清少納言が仕えた)定子より格上だ」と示すための単なる政治的配慮なのか。残念ながら明確な回答は残されていません。しかし紫式部が清少納言の表現力をどう捉えていたか暗示する史料はあります。

2015-11-21 21:51:36
たられば @tarareba722

④ここでやや横道に逸れますが、『枕草子』が世に出た当時、それを読んだ都人たちにとって最も衝撃的だったのはどんなところだったでしょうか。四季折々の特徴を捉えた美しい描写力? 和歌の様式を超えた伸びやかな随筆の筆致? 平安期における殿上人の趣向や習俗を巧みに切り取る観察眼? 百合?

2015-11-21 21:52:21
たられば @tarareba722

⑤すべてありそうな話ですが、私の考えは「春はあけぼの」という、誰でも知ってるこの『枕草子』冒頭の一節の革新性に尽きます。 春は、あけぼの。 これ、当時の文学的な状況を見てみると、だいぶおかしいんですね。

2015-11-21 21:53:21
たられば @tarareba722

⑥万葉集や古今和歌集といった『枕草子』発表当時の王道的作品には、「あけぼの」という表現は一語も出てきません。そもそも「春」と言えば梅であったり桜だったり山吹だったり、生命の萌芽と躍動を象徴する彩り豊かでかぐわしい草花。あるいはウグイスの美しい鳴き声、そして春霞や春雨が常識でした。

2015-11-21 21:54:12
たられば @tarareba722

⑦つまり「春ならでは」なものを取り上げていたわけです。当然ですよ。春なんだから。なんですか「あけぼの」って。365日見られるじゃん。百歩譲って(?)類語である「あさぼらけ」という表現なら、古今集や後撰集に用例が見られます。春とは関係ない場面でだけど。五文字で和歌に使いやすいし。

2015-11-21 21:54:49
たられば @tarareba722

⑧「あけぼの」の勅撰集での記述は(この時点では)なし。辛うじて蜻蛉日記に一例だけ登場しますが、竹取物語にも伊勢物語にも用例はなし。日常用語としては使っても歌語としては認識されていなかった。当時の人々が『枕草子』の冒頭を読んで、顔をしかめた姿は容易に想像出来ます。なんだこれ、と。

2015-11-21 21:55:48
たられば @tarareba722

⑨しかし少なくとも一人、確実にこの「春はあけぼの」という一文に強い衝撃を受けた人物がいました。はいそうです、紫式部先輩です。花でも鳥でも気象でもない、「事象」ではなく「時間」を切り取ることでその空間を丸ごと描写する斬新さ。その革新的な表現手法に感銘を受けた。こいつ只者じゃねえと。

2015-11-21 21:57:02
たられば @tarareba722

⑩才気うごめく宮中にて、紫式部はこの「春=あけぼの」という表現に、その後千年に渡り人々にありありと焼きつくイメージが見えたのでしょう。つまり京都盆地(平安京)中心部から見て真東に臨む大文字山、そこに薄紫の雲がかかる夜明けの鮮烈な光景、そして何より「あけぼの」という語感の切れ味。

2015-11-21 21:58:10
たられば @tarareba722

⑪その証拠に、それまでほとんど用例がなかった「あけぼの」という表現(なにせ『枕草子』でも冒頭の一回しか使われてない)が『源氏物語』には14カ所も登場します。しかもうち3つは「春のあけぼの」。どんだけ気に入ったんだ。源氏物語中盤の名シーンである「野分」では、大変印象的に使われます。

2015-11-21 21:59:36
たられば @tarareba722

⑫光源氏の長男夕霧が、好奇心に負けて庭の木々の隙間から屋敷を覗き見たその先に、まだ幼さの残る義母であり物語の超ヒロイン・紫の上の姿を捉えるシーンです。その美しさと気高さを「まるで春のあけぼのの霞の中で、美しい樺桜が咲き乱れているさまを見たようだ」と評すわけです。美辞麗句乱れ打ち。

2015-11-21 22:01:20