満員電車でレインコートの下に何も着てない不審者と密着させられ、しかもちょっと匂うやつだった場合

そもそも通勤・通学がない方がもっといい。
12
帽子男 @alkali_acid

満員電車なんか隣に誰が乗ってるかわかんないし、女性とか専用車両に乗れず、ぎゅう詰めで押されまくったあげく、コートの下に何も着てない不審者に密着させられるとかもあり得るやで…。

2019-02-20 22:04:47
帽子男 @alkali_acid

想像するだにぞっとする。 焦って選んだ車両に入ったら、二メートルぐらいあるレインコートの不審者にいきなりぐいぐい後ろの人波に押されて、あ、こいつコートの下何も着てないんじゃ、と気づく。 しかも匂う。

2019-02-20 22:06:55
帽子男 @alkali_acid

怖いから身をもぎ離そうとするが、後ろからの肉圧は増すばかり。 「すいま…ぜん…ちょっ…」 何か言おうとしてもそのまま変な感触のする灰色の布地に頬を押し付けられ、もう不審者がどうとか以前に潰れて死ぬのではみたいな勢いでこう。

2019-02-20 22:09:18
帽子男 @alkali_acid

とうとうずぼっとめり込む。 コートのボタンがはじけ飛んで前が開き、一陣の風が吹き抜けたと思うと、そのまま中へ入ってしまう。 そんですっころぶ。

2019-02-20 22:10:27
帽子男 @alkali_acid

落としたコンタクトレンズを探して手探りすると柔らかい毛の感触がある。 絨毯。やっと薄く透明な樹脂を拾い上げて拭いてから目に嵌めなおす。 「あれ?」 思ったより混んでない。というか人がいない。 車内にあれだけ大量にみっしりつまっていた乗客が。

2019-02-20 22:12:47
帽子男 @alkali_acid

どこかのホテルの待合室のような空間。でもそんなに広くない。長方形。 ハイヒールから振動が伝わる。多分まだ電車だ。 でも、豪華なんとかという雰囲気だ。 数歩離れたところにソファーと丸いテーブルがあって、男性がひとり、足を組んで座って新聞を読んでいる。珍しい紙の新聞。

2019-02-20 22:14:47
帽子男 @alkali_acid

「あの…」 恐る恐る声をかける。振り返ったのは三十代前半ぐらいだろうか。要するに五歳ぐらい上。眼鏡をかけた中肉中背のこれといって特徴のない背広の、多分会社員。ただ目つきがきつい。 「出口は、あそこです」 長方形の端に、緑の非常口のランプが点灯している。

2019-02-20 22:16:27
帽子男 @alkali_acid

顎をしゃくってみせた会社員は、また新聞に視線を戻そうとして、円卓上の金木犀の盆栽、としか言いようのないもの、の匂いを吸い込み、咳ばらいをする。 「あなたは通勤中に貧血で倒れ、譫妄で夢を見ている」 「はあ」 「あの出口を抜けると、目が覚めます」

2019-02-20 22:21:46
帽子男 @alkali_acid

そちらへ向かいかけて足を止める。とりあえず気を落ち着かせようと携帯電話をカバンから出す。圏外。 「ここ、電波はつながらないんですね」 「夢ですからね」 「なるほど」 ブラインドの下りた車窓へ近づき、一気に引き上げる。 外の景色が見えた。 水だ。波立たぬ水がどこまでも広がっている。

2019-02-20 22:24:11
帽子男 @alkali_acid

半ば沈んだ線路の上を、列車はすばらしい速さで走っていた。 遠くをキラキラした青と緑の翼と、赤く長い足をした鳥の群が羽搏いている。 「あの」 「想像力が豊かですね」 窓を開ける。しめった温かい風が吹き込んで来る。

2019-02-20 22:26:19
帽子男 @alkali_acid

「…夢、じゃないですよねこれ」 「ほかにどう説明がつくんです」 「説明はつきませんけど、夢じゃないですよね」 「貧血で倒れるのは初めてですか?」 「高校の頃、朝礼でありましたけど、こんなこと全然起きませんでした」 「なるほど」

2019-02-20 22:27:48
帽子男 @alkali_acid

眼鏡の会社員がめんどくさそうに黙ってまた経済欄を読みふけり始めたので、しかたなく向かいの椅子に回る。 「ここ、すわっても良いですか」 「そろそろ降車駅では?」 「私、あと一時間半ぐらいかかります」 「ご苦労様です」 携帯の時刻が正しければ。位置情報は見失っている。

2019-02-20 22:30:07
帽子男 @alkali_acid

「あの、ここに住んでるんですか?」 「僕ですか?いえ」 「どこかで降りる?」 「そうですね。乗り換えがあるので」 また沈黙。バッグをあさって名刺を出す。 「木花(このはな)と申します」 眼鏡の会社員は一瞬迷惑そうな表情をしてから、すぐ自らも名刺を出した。 「岩長(いわなが)です」

2019-02-20 22:32:59
帽子男 @alkali_acid

「頂戴します」 「頂戴します」 交換を終える。勤務先はヒュウガパワーシステム。経理部。都内の会社だ。 「鹿葦津機材」 岩長も木花の会社にぴんと来てはいないようだ。

2019-02-20 22:38:49
帽子男 @alkali_acid

「ドローンて、あの、御存じだと思うのですが。道路とか橋とかの撮影に使う。あれのレンタルをやっていて」 「ああ…」 眼鏡の会社員は、コンタクトの会社員をちらと一瞥すると、渋々といったようすで話をする。 「うちは、非常用電源を卸してます。マグネシウムの」

2019-02-20 22:41:18
帽子男 @alkali_acid

岩長は説明は済んだとばかりまた口をつぐみ、緊張している木花のようすをうかがうと手で示した。 「どうぞお座り下さい」 「恐縮です」 二人が席につくと、男は女に切り出す。 「今日はどうやってこちらへ?」

2019-02-20 22:43:58
帽子男 @alkali_acid

「満員電車で…急いでて…レインコートの人の…胸に…ぶつかってしまって。気づいたらここにいたんです」 「それはお気の毒でした」 「すいません。やっぱり…これ夢とかじゃないですよね」 「夢だと考えていただいた方が面倒がないかと思いまして」 「…つまり何なんですか?」 「さあ」

2019-02-20 22:45:54
帽子男 @alkali_acid

岩長はまぶたを閉ざしてから、また開いた。 「そうですね。他言しないでいただけるなら」 「…え」 「難しいですか?」 「内容によると…思うのですが」 「内容の如何によらず、他言しないでいただきたいのですが」 「…わ、分かりました…犯罪とかでなければ」

2019-02-20 22:47:56
帽子男 @alkali_acid

男はうなずいた。 「うちの親戚に変わりものがいて、おかしなものを色々集めていたのを、形見分けで引き取りまして。その中にあなたもご覧になったレインコートがあったのです」 「あれはどういう」 「変わった見た目ですが、乗り物の一種、と僕は考えています」

2019-02-20 22:50:32
帽子男 @alkali_acid

「乗り物?」 「歩く速さは人間と変わりませんが、中に入っていると、僕の代わりに、電車に乗って目的地まで辿り着いてくれるのです」 「すいません。つまり…ええと」 「満員電車の肩代わりをしてもらっているんです」 「ずるい!」 「皆そう思うでしょうね。だから他言しないで頂きたいと」

2019-02-20 22:52:58
帽子男 @alkali_acid

木花は腕組みをして考え込むのを、岩長は新聞をたたんでじっと観察する。 「お考えは分かりますよ。レインコートをどこかの大学にでも送って調べてもらう方が世のためになるというんでしょう」 「いえ、そこまでは」 「そうすれば科学の進歩に貢献するかもしれない。ゆくゆくは満員電車の解消にも」

2019-02-20 22:55:12
帽子男 @alkali_acid

眼鏡の会社員はゆっくりと言葉をつむぐ。 「素晴らしい成果が上がるとして、十年後?二十年後?だったら今こうして通勤を楽にする方が僕には重要です」 「でも、すごいお金になるかも」 「どうでしょう。確かなのは、レインコートの中を秘密にしておけば、通勤のあいだゆっくり新聞が読める」

2019-02-20 22:59:11
帽子男 @alkali_acid

コンタクトレンズの会社員がなお不審げなのに、先客は篭絡するようなそぶりでカバンから出した小ぶりな魔法瓶から蓋のカップに熱い紅茶をそそぐ。 「どうぞ。口をつけてません」 「…ええと…」

2019-02-20 23:01:10
1 ・・ 5 次へ