- yamigitune9
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それからもう一人の自分を探した ドッペルゲンガーや自分のコピーがいるのではないかという説 もう一人の自分に等しい自分自身やそれに近しい知人ではないかなどと考えて探した だが、天啓にあたるもう一人の自分を探し当てられていない事は直感で確信していた
2019-06-19 01:31:07ある日、その日、何があったかはよく覚えていない ただ、自分の行為が、その時の直感自体が天啓だった事は鮮明に覚えていて、その瞬間眼を見開いて一新された世界に来たような感じがした
2019-06-19 01:31:22天啓が与えた問題は、「もう一人の自分」という感覚を、自分だけでなく相手から見た自分、自分から見た相手への自分と、全てにおいて感じ取れるようになれというものだった
2019-06-19 01:31:42例えば困っている人が居たとしたら、それはもう一人の自分であれば同じく困るだろう。それを見ていたと仮定する自分がもしその人を気にかけていても、もう一人の自分は助けてあげようと思うだろう
2019-06-19 01:31:51そして困っている人を誰も助けてくれなければ、そのもう一人の自分は何故助けてくれないのかと思うだろうし、かといって、そのもう一人の自分は誰も頼るつもりは無いと考えているかもしれないだろう。
2019-06-19 01:31:54困っている人が困っているとコチラが思い込んでいるだけなのだろうか。困っている人がいるから困るもう一人の自分が居るのではないか。 困っていると思わせれば助けてくれるだろうと思っているのだろうか。助けてくれないから困るもう一人の自分が居るのではないか。
2019-06-19 01:32:08その直感は、自分のあらゆる内面をあらゆる役にあてはめて勝手に投影した、大量の短い群像劇だった。 その場その時で、その場その時を凌ぐために自分には楽な役が即座に振り分けられ、その場の群像劇というシナリオが自分の脳みそで生成され、大体の確率できまぐれな結果に終わる。
2019-06-19 01:32:16仮にきまぐれな結果で終わらせたくないような物事があったとしたら。 自分が望むべき群像劇やシナリオがあるとしたら、もし望まれない群像劇やシナリオがあるとしたら。
2019-06-19 01:32:23