帝国の昭和 有馬学

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GMBO2008 @GMBO2008

蠟山は「生命線」という言説が創られたものであることを、「民族的国民的生存というイデオロギー」と述べることで的確に指摘した。しかし蠟山にとって、問題はイデオロギーの暴露で終わるものではなかった。なぜなら、彼にとって同時代の国民感情は、心理的「事実」だったからである。 「帝国の昭和」

2019-06-21 23:19:39
GMBO2008 @GMBO2008

(中略)そこには、蠟山が国民感情という心理的要素を「事実」として否定しきれなかったような、ナショナリズムの新たな展開が存在したのである。ナショナリズムの時代は、大衆の生活を向上させることが社会の進歩であると信じてきた知識人や政治家、社会運動家をも巻き込んでしまう。 「帝国の昭和」

2019-06-21 23:19:40
GMBO2008 @GMBO2008

というより、彼らこそがナショナリズムの表現に新しい形式を与えることになるのである。 「帝国の昭和」 有馬学

2019-06-21 23:19:41
GMBO2008 @GMBO2008

1930年代における日本の代表的なグラフ雑誌が、いずれも『USSR in construction』に学んだということは、次のような意味を含んでいるだろう。すなわち、ソ連の五ヵ年計画を成果としてとらえる視点と、日本のナショナリズムとは並存が可能だということだ。 「帝国の昭和」 有馬学

2019-06-21 23:28:00
GMBO2008 @GMBO2008

そしてこれらのグラフィズムに、両者を接着する技法としてのモダニズムという性格を見いだすことも可能なのである。 「帝国の昭和」 有馬学

2019-06-21 23:28:01
GMBO2008 @GMBO2008

日本社会の特徴は、「資本主義が帝国主義の威服の下に屈して居る」ことなのだ。日本はまだまだ資本主義国家として普遍化されていない、その意味で後進国として意識されていたのである。言うならば吉野の見解も講座派の議論も、二つながらに〈日本特殊論〉である。 「帝国の昭和」 有馬学

2019-06-21 23:51:14
GMBO2008 @GMBO2008

そして、〈特殊論〉という構造の言説は、一定の条件の下ではナショナリズムに転化するのである。 「帝国の昭和」 有馬学

2019-06-21 23:51:15
GMBO2008 @GMBO2008

このようにして、満州事変とともに確立した「生命線」というイデオロギーは、一方で歴史を動員すると同時に、現在の国民生活救済、国民の生活権確立と結合されたのである。この「国民生活」を介しての現在との結合という論理は重要である。 「帝国の昭和」 有馬学

2019-07-06 23:17:57
GMBO2008 @GMBO2008

なぜなら、先に見た蠟山の議論にあらわれているように、事変の以前においては、ともかくも事実ではあっても不合理で危険なものであった「国民感情」が、「生活権」と言い換えられることで、誰にも批判できない正義に転換していくからである。 「帝国の昭和」 有馬学

2019-07-06 23:18:07
GMBO2008 @GMBO2008

調査局はその後、林内閣時代に企画庁に、近衛内閣にいたって企画院に昇格し、国策立案の花形官庁となっていく。そしてここに集まった官僚たちは、革新的と目された政策の立案を通して、革新官僚という集団を認識させることに成功するのである。 「帝国の昭和」 有馬学

2019-07-31 23:17:04
GMBO2008 @GMBO2008

(中略)彼らが立案する政策が一面では大衆政策、社会政策的な側面を含むことから、これら革新官僚と社会大衆党などの大衆運動との関係も発生するのである。それは蠟山が言う社会進歩主義が、時代思潮として共有されていくあり方でもあった。 「帝国の昭和」 有馬学

2019-07-31 23:17:06
GMBO2008 @GMBO2008

彼らの好きな草莽はほんらい野にあり地方にいるはずなのに、地方にいては参加できない「革命」とは何か。もちろんそれは、決起がクーデターだからである。彼らは、軍と政治の中枢への一撃が事態を打開するというイメージに支配されていたのだ。 「帝国の昭和」 有馬学

2019-07-31 23:25:31
GMBO2008 @GMBO2008

そこには同時に、「帝国」の政治的意思の中枢そのものとしての「東京」が、支配力を持つ観念として存在したのではなかろうか。つまり、農本主義と親近的に見える青年将校運動は、実は「帝都東京」というメタファーと、より強く共鳴する存在だったのである。 「帝国の昭和」 有馬学

2019-07-31 23:25:32
GMBO2008 @GMBO2008

もっとも、戦争への政府の説明は立て前に過ぎないではないかという批判があるかもしれない。それはその通りであろう。しかし、同時にその立て前をめぐって、深刻な政治抗争が引き起こされるのである。 「帝国の昭和」 有馬学

2019-07-31 23:32:50
GMBO2008 @GMBO2008

まことに政治は〈言葉〉を介して行われるのだ。そのような〈言葉〉を、ここではイデオロギーと表現したいのである。 「帝国の昭和」 有馬学

2019-07-31 23:32:51
GMBO2008 @GMBO2008

日本の戦時体制とは、このようなテクノクラート的知識人に活躍する場を与えた。彼らがかかわったのは「国策」であったが、それが政策手段としての「調査」や「計画」という理念の成立と一体であったことは重要である。 「帝国の昭和」 有馬学

2019-08-11 23:19:53
GMBO2008 @GMBO2008

国家や社会のさまざまな側面を管理し、統制し、制御する政策、その様な政策立案を可能とする調査や計画の知的技法、それに適合的な思考方法をもった新しいタイプの知識人。これらを前提に、「国策」の時代が到来する。だがそのとき「国策」とは何か。 「帝国の昭和」 有馬学

2019-08-11 23:19:55
GMBO2008 @GMBO2008

この発言は、当時の政策立案に参与する立場にいた知識人が、戦争目的とされる理念に自信を持っていなかったことを示している。「八紘一宇」や「共栄圏」では打破できないのは何故か。アメリカの主張と比較して、彼ら自身が「八紘一宇」では説得されないからである。 「帝国の昭和」 有馬学

2019-08-11 23:35:30
GMBO2008 @GMBO2008

逆にいえば、いずれ「大東亜共栄圏」には、指導的日本人によって、彼ら自身を説得してくれる内容が求められることになる。それば帝国主義や植民地主義ではないことを具体的に示す方策、すなわち東亜諸民族の「独立」によるほかない。 「帝国の昭和」 有馬学

2019-08-11 23:35:32
GMBO2008 @GMBO2008

だがそのとき、かの「東亜共同体論」が孕まざるを得なかった構造がふたたび表面化する。それで東亜や世界が説得できるのか。説得されるのは「共栄圏」を語るものの内面でしかないのではないかという構造である。 「帝国の昭和」 有馬学

2019-08-11 23:35:33
GMBO2008 @GMBO2008

この観点からするならば、太平洋戦争期の日本の対外態度も、国際関係の原理としての「植民地主義」が否定された第一次大戦後という、歴史的文脈の中で考える必要があるのだ。たしかに実態レベルで、「新政策」における「独立」を文字通り受け取るのは、児戯に類する。 「帝国の昭和」 有馬学

2019-08-15 21:37:57
GMBO2008 @GMBO2008

そこでは満州国だって「独立」国なのだ。そこに《欺瞞》を読むのは簡単なことである。だが満州国という存在自体が、それがいかに奇怪に見えても、第一次大戦後の世界的な風潮たる植民地主義否定と関わるが故の奇怪な存在であったことは、事実なのである。 「帝国の昭和」 有馬学

2019-08-15 21:37:58
GMBO2008 @GMBO2008

爆弾は炸裂した瞬間しか爆弾ではない。あとは、唯の火事ではないか。唯の火事を、君は消さうともせずに逃げだすてはあるまい。 「戦時下標語集」 #帝国の昭和

2019-08-15 21:49:13
GMBO2008 @GMBO2008

召集を受けた勇士を、「一死奉公立派に働いてくれ」と君は励ました。一旦風雲急となった時、この都市を、護るのは今度は君の番なのだ。英霊は君の奮闘を待ってゐる。 「戦時下標語集」 #帝国の昭和

2019-08-15 21:49:14
GMBO2008 @GMBO2008

〈戦時〉が重視するのは日々の日常であり、〈機能〉である。このファッションはそこに〈美〉を持ち込んだ。日常をリアルに見る視線こそが、美を生み出す。あるいは日常性の中に美を構築できる視線こそが、リアリティを持ちうる。 「帝国の昭和」 有馬学

2019-08-15 22:04:30