アニメ『さらざんまい』と『ユリ熊嵐』を比較考察 ~「ユリとクマの男女説」、「ユリ裁判」の意味、性差について~

最終回を最近迎えたテレビアニメ『さらざんまい』。放映終了を記念して、このタイミングで同じ幾原監督の前作『ユリ熊嵐』と、比較してみたいと思います。 とくに、今回は「ユリとクマの男女説」について、主に考察していきます。なお、ネタバレへの配慮はないので、本編視聴が前提のまとめです。
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しろうと @sirouto

「ユリ熊嵐」では、登場人物が死んでもクールな対応になっているが、それはリアルな死が描きたいというより、寓話的な表現だと解釈している。たとえば、「創作を止めた創作者」みたいなこと。

2019-06-26 21:23:17
しろうと @sirouto

ネット上では、文字であれ画像であれ、メディアに表現されたものがすべてなので、「スキを諦め」て、SNSなどの更新を凍結すれば、それは他者から見ると、一時的に死んでいるのと似たような状態になる。

2019-06-26 21:24:55
しろうと @sirouto

この辺で、ついでに解説しておこう。「ユリ熊」で、意味が分かりにくい表現の上位に、「ユリ裁判」があるだろう。これを説明してみたい。

2019-06-26 21:26:13
しろうと @sirouto

「ユリ熊」における「ユリ裁判」のキャラ(裁判官たち)は、「シャバダドゥ」などと印象的な台詞と演出が印象に残るものの、作中の登場人物と裁判以外の場で関係することは、最後までなかったはずだ。

2019-06-26 21:27:15
しろうと @sirouto

別作品になるがたとえば、『うみねこ』の「七大罪(をモチーフにした悪魔)」みたいなもので、ユリ裁判も、何かのプロセスを「擬人化」した表現なのではないか、と考えている。

2019-06-26 21:28:50
しろうと @sirouto

二千年以上昔の古代ギリシャにあった『イソップ寓話』には、「ウサギとカメ」のような、動物を擬人化した話があるから、寓話と擬人化の相性は表現史の伝統的にも良いものなのだろう。

2019-06-26 21:31:01
しろうと @sirouto

「ユリ熊」の「ユリ裁判」が、なんとなく何かを承認するプロセスなんだろう、というのは、みんな漠然と思っていて、ネットの考察記事を見ても、それは分かる。

2019-06-26 21:32:13
しろうと @sirouto

私が思ったのは、「ユリ裁判」の元ネタをたどると、宗教的な表現が起源になりそうだ、というのはある。どういうことか?

2019-06-26 21:34:08
しろうと @sirouto

「さら」の方でも、宗教画のパロディのような表現は見られた。ので、「ユリ熊」の方でも、そういう発想があったとしても、そんなに不自然ではない。

2019-06-26 21:35:18
しろうと @sirouto

では具体的に何か? 宗教的に一番典型的なのは「最後の審判」。人間が死後に裁かれる話だ。ただ、もっとマンガアニメで、テンプレ化した分かりやすい表現では、「両耳でささやく天使と悪魔」だろう。

2019-06-26 21:36:56
しろうと @sirouto

ダイエットしたいけど、ケーキが食べたいときなどに、「天使と悪魔が両耳でささやく」というのは、マンガアニメでよく見る表現だ。そういう発想の大本をたどれば、天使や悪魔が人間の前に現れる宗教画だろう。

2019-06-26 21:38:34
しろうと @sirouto

「両耳でささやく天使悪魔」と同系統の表現だと思えば、「ユリ裁判」も急に分かりやすい表現に見えてくる。自分のスキを肯定して良いのかどうか、自問自答のプロセスを、裁判の承認という形で表現したものだろう。

2019-06-26 21:40:34
しろうと @sirouto

だから、「ユリ裁判」も、既存のパターンの延長線上といえばそうなのだが、よく言われるように「今は全部パターンの組み合わせだから、新しい表現はもう一切出てこない」とまでは私は思わない。

2019-06-26 21:42:22
しろうと @sirouto

「それがセクシー」「シャバダドゥ」「キラキラッ」みたいなセリフとか、ビジュアル面の見せ方で、「ユリ熊」の「ユリ裁判」はすごい斬新な表現に見えた。だから、同じパターンでも、新しい見せ方はあるはず。

2019-06-26 21:49:56
しろうと @sirouto

「両耳でささやく天使と悪魔」とかを、何の工夫もなしそのままやったら、もちろんパターンだなとは思うけど、「ユリ裁判」みたいに見せ方を工夫すれば、新しく見えるものはできるはず。両者には違いがある。

2019-06-26 21:52:28
しろうと @sirouto

あと、ユリ裁判の続きで言うと、花の蜜をペロペロしてるシーンは、性的な隠喩だろう、という解釈が潜在的には根強いと思う。分かりやすいから。ただ、必ずしもそうとは限らない。

2019-06-26 22:05:31
しろうと @sirouto

さっきも言ったように、「ユリ熊」放映当時では、ユリクマの男女解釈を取る人がけっこういたが、「さら」のカッパとカワウソが男と女を表現している、と考える人はほとんどいないだろう。現にネットでも見ない。

2019-06-26 22:06:42
しろうと @sirouto

「さら」の漏洩に到る一連の行為に、全裸スケートのシーンがある。これを、性的な行為の隠喩である、と解釈する人もそんなにいないだろう。これは「裸の心」でつながることだと、私は考えている。

2019-06-26 22:08:12
しろうと @sirouto

もどって、なら「ユリ熊」のお花ペロペロのシーンも、必ずしも性的な引喩なのではなくて、同じような「裸の心」でつながることを表している、と見ることもできるはずだ。

2019-06-26 22:09:06
しろうと @sirouto

こうして並べてみれば、そんなに極端な違和感は覚えないと思うが、「ユリ熊」放映時には、今まで挙げた解釈が、根強かったのではないかと思う。

2019-06-26 22:09:57
しろうと @sirouto

なぜ、そうなるかといえば、「ユリ熊嵐」というタイトルに「ユリ」という同性愛の隠語を含んでいるから、というのがひとつまずある。

2019-06-26 22:10:27
しろうと @sirouto

もうひとつは、「ユリ熊」の登場人物はほとんどが女だが、「さら」の登場人物はほとんどが男だということに、原因がありそうだ。

2019-06-26 22:11:25
しろうと @sirouto

女性と性的な意味が切り離せない、という言語上での性別非対称性はある。たとえば、「男になる」と「女になる」は意味が違うように。それがフェミニズム的には良くないのだとしても、現実としてはある。

2019-06-26 22:14:27
しろうと @sirouto

「さら」の尻子玉作者や全裸スケートもそうだが、男がやるとギャグになるが、女がやるとシャレにならない、という違いは明確にある。「ユリ熊」と「さら」を比較すると、その辺の違いも浮き彫りになってくる。

2019-06-26 22:16:11
しろうと @sirouto

↑上記訂正します ○尻子玉搾取 ×尻子玉作者

2019-06-27 01:35:20