プリズマリーンズ ブランチエピソード001「Another ordinary days」
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「はっ!?」男の人に怒鳴るように名前を呼ばれて、わたしは変な声を出してしまった。「海堂春日、貴様一体何のつもりだ?」頭を刈り上げた白人さんみたいな顔の先生がすごんでくる。ちなみに白人さんみたいだけど日本人だ。「授業中に瞑想とはいい身分だな。貴様尼さんか?」「サー、ノー、サー!」2
2019-06-29 18:48:22この先生は英語の先生で、昔パパが見てた戦争映画に出てきたこわ~い軍曹に似てる。みんなそう言ってる。先生も自分でそれをわかってる。着てるのも軍隊の服だ。先生に口をきくときは、起立して、気をつけして、言葉の前と後に「サー」をつけなくてはいけない。3
2019-06-29 18:54:39「尼さんじゃなけりゃ何だ!」「サー、女子高生です、サー!」「なら貴様の今やるべきことは何だ!」「サー、勉強です、サー!」「貴様は天才か!」「サー、ノー、サー!」「では凡人か!」「サー、イエス、サー!」「凡人が授業を聞かずに身につけられるほど英語は簡単か!」「サー、ノー、サー!」4
2019-06-29 19:01:32「では貴様が英語を身につけるのに最善の方法は何だ!」「サー、授業を聞くことです、サー!」「分かっているのか!」「サー、イエス、サー!」「では座れ!授業を聞け!」「サー、イエス、サー!」「いいか!他の奴らもだ!貴様らは坊主ではない!輪廻転生に想いを馳せる前に現世のことを学べ!(5)
2019-06-29 19:07:52分かっているのか!」『サー、イエス、サー!』……他の先生から聞いた話だと、軍隊式を始めたのは実は先生の方ではなくて、何年か前に教え子の誰かがふざけて軍隊の真似をしたのがきっかけだったらしい。そしてみんながおもしろがって悪ノリした結果できたのが、このブートキャンプというわけだ。6
2019-06-29 19:14:11それからうわさが拡散され、やめるにやめられず、先生はこの高校の名物教師になった……と、そのとき。チャイムが鳴った。「もう時間か。ではこれで授業を終了する」先生は時間に厳しいから、延長は絶対にしないし、短縮もしない。チャイムと同時に授業を始めて、チャイムと同時におしまいにする。7
2019-06-29 19:20:30授業前後のあいさつはもちろん軍隊式だ。「起立!気をつけ!」委員長の女の子が号令をかけた。「敬礼!」わたしたちが右手で敬礼すると、先生が敬礼を返す。そして先生が右手を下ろしたら、わたしたちも気をつけに戻る。この授業ではなにもかもが軍隊式なのだ。8
2019-06-29 19:26:41先生がドアを開けて出ていくまで、わたしたちは動かない。そしてピシャリとドアが閉められたら……「ふぅ……」一気に力が抜ける。椅子に座ったら体がへにゃりと机に突っ伏してしまった。四月にこの高校に入学してからだいたい3週間。あの先生の授業を受けるのはこれで2回目だ。9
2019-06-29 19:32:51けど軍隊式にはまだ慣れきってない。入学する前からあの先生のうわさは聞いてたから覚悟はしてたけど、やっぱり名指しで怒られると怖い。高校と大学で演劇やってたってうわさも聞いたけど、本当だったらあの迫力も納得だ。もしかしたら本物の軍人さんより怖いんじゃないかなってちょっと思う。10
2019-06-29 19:39:05「ねね」「なぁにぃ?」わたしがでろーんと溶けていたら、隣の席から女の子が話しかけてきた。委員長だ。ちなみに名前は清瀧院星《せいりゅういんほし》。背が高くて脚が長くて髪もツヤツヤで、たたずまいもお嬢さまみたいに上品で、わたしみたいな子どもっぽいのとは正反対の幼なじみだ。11
2019-06-29 19:45:21「ひぃ、さっきはすごい顔してたよ」しぃ──星ちゃんのことは昔からそう呼んでる──はスクールバッグに教科書なんかを詰め込んで帰り支度をしながら、からかうようなおもしろそうな口調で言った。わたしのお姉ちゃんがわたしに意地悪を言うときに似ている。「真似してみようか?」12
2019-06-29 19:51:39「どんな顔だったの?」わたしはそう応えた。ただぼーっとしているだけならあの先生にもさすがにわからないはずなのに、いったい自分がどんな顔をしていたのか気になったから。「いくよー」しぃは顔を両手で隠して、正面に向き直った。そして両手をどけた。13
2019-06-29 19:57:58まず目がお彼岸にいっちゃってる。どこを見てるのかわからない。口はちょっとだけ微笑んでるような感じ。まんま大仏だ。心なしか、髪がくるくるのボツボツになって、肌が緑色になって、顔も丸みを帯びて、後光が差してるような気さえしてくる。気がするだけだけど。15
2019-06-29 20:08:31「ぶっ」我ながら思わず吹き出した。そりゃ怒られるよねって。「ごめんね、もっと早く気付けてたら言ってあげられたんだけどさ、気付いたのが先生に見つかった時だったからさ、ほんとごめんね」しぃは笑いながら謝った。「とんでもない顔だね、わたしそんな顔もできるんだね」16
2019-06-29 20:14:42「ひぃ、ほんとにすごかったんだよ。“軍曹《サージェント》”が20回名前を呼んでやっと気付いたんだから。私ひぃがほんとに悟り開いちゃったのかと思った」「えへへ、そんなに?じゃあもしかしたらわたし尼さんの才能あるかも。将来はお寺に入ろうかな」「それも悪くないかもね」17
2019-06-29 20:20:52「ねぇ、さっきはどうして悟りを開いてたの?」教室から昇降口へ向かう道すがら、私はひぃに聞いてみた。「もう、悟りなんか開いてないよ」ひぃは苦笑いして答える。「あのときはむしろ座禅なんかとは正反対だったんだよ」「正反対?」「うん」19
2019-06-29 20:49:15「あのね、わたし、たかぶってたの」「昂ぶってた?」どういうことか飲み込めなくて、私はその言葉をオウム返しにした。そんなに“軍曹”の授業が面白かったのだろうか。「そうじゃなくって」思ったことを聞いてみると、ひぃは否定した。「じゃあ、どうして?」20
2019-06-29 20:55:20「えっとさ、わたしこのあと『はじめてのお仕事』でしょ?」「うん」「それでね、ここからはじめの一歩を踏み出すんだなって考えたらなんだかワクワクしてきて、にやけそうになっちゃったの。でも授業中にニヤニヤしてたら“軍曹”に怒られるから、がんばって心を無にして抑えようとしてたんだ」21
2019-06-29 21:01:30……あぁ、なるほど。それで涅槃に入ったような顔をしていたのか。納得がいった。ひぃは真っ直ぐで素直で感情がすぐ顔に出てしまうし、特にその時ひぃが感じていた昂ぶりはきっとここまでの人生で最高のものだっただろうから、顔も心も大仏になりきるくらいしないと隠せなかったんだ。22
2019-06-29 21:07:42「まぁ、結局“軍曹”にはばれちゃったんだけどね。あはは」ひぃは頭を掻いた。私は続けて聞いてみる。「ね、『初めてのお仕事』って何するの?」「あぁ、宣材写真を撮るんだよ」洗剤……?聞き慣れない言葉だ。「お皿を洗うんじゃないよ、宣伝の材料で宣材」「へぇ」23
2019-06-29 21:14:02