杉江松恋(from41tohomania)さんによる書評イベント告知と、書評・批評論及びそれへの反応

書評家・ライターの杉江松恋氏による、参加型書評イベント「豊﨑由美×杉江松恋「書評の愉悦」出前版(5/25)」の告知及び"書評・批評とはどのようなものか/どうあるべきと思うか"についての連続tweet及びそれへのリプライ等をまとめました。
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杉江松恋@11/12秋季例大祭こ02b @from41tohomania

作品との距離=作者との距離ではない。作者はどこか別の世界にいて、この作品を私に与えてくれた八百万の神の一柱とでも考える。書評の中で「作者」について触れることがあるが、実在の作者とは別のものだと思うようにしている。脳内彼女、ならぬ脳内作者。

2011-05-20 12:32:09
久田将義 @masayoshih

自分でもある意味無自覚だったかもしれない自著の問題点をご指摘頂きました。 RT @toyozakishatyou: 書評に関心のある方、杉江松恋さん( @from41tohomania )が素晴らしい書評考ツイートを連投しています。ぜひ、ご一読を。

2011-05-20 12:33:35
杉江松恋@11/12秋季例大祭こ02b @from41tohomania

最近の私はいつも「距離」のことを気にしている。作品と自分の距離もそうなのだけど、作者と作品の距離も気になる。作者が作品に接近しすぎていないか、ということが一つの評価軸にもなっている。こんな具合に、一つの視点を見つけたら、それを大事にして連なる書評を書いてみることも大事だと思う。

2011-05-20 12:37:42
藤田新策 @Shinsakuron

@from41tohomania バラバラ死体の夜は連載時さし絵を描いた。いいよね。

2011-05-20 12:39:29
杉江松恋@11/12秋季例大祭こ02b @from41tohomania

丸谷才一は先端の学術書を読んで、そのエッセンスを採り入れるのがいい、という意味のことを言っている。借用の仕方に芸がないといけないのはもちろんだが、触発を受けるというのは大事なことだ。先日読んだ篠沢秀夫『文体学の基礎』などは、まさしくそういう本だった。

2011-05-20 12:39:40
杉江松恋@11/12秋季例大祭こ02b @from41tohomania

「文体」という曖昧模糊としたものを篠沢は、作品を作品たらしめている要素の連なりと定義している。文体というものが先ず在るのではなくて、その作品にはその文体が授かるという考え方だ。そして個々の作品=文体の連なりの集合体の上に、作家を作家たらしめているものが見えてくる。

2011-05-20 12:41:28
杉江松恋@11/12秋季例大祭こ02b @from41tohomania

作品を独立した完成品として読むという立場からすると、この「文体学」の考え方には触発を受ける部分が多かった。こんな感じで、読んだものに感謝をこめて自分の中に取り入れていく。その作業が楽しくてたまらない。自分のための肥やしだ。

2011-05-20 12:43:43
杉江松恋@11/12秋季例大祭こ02b @from41tohomania

@Shinsakuron そういえばそうでした。切り抜いておけばよかった!藤田さんの挿絵入りで再読するとまた印象が違いそうです。

2011-05-20 12:44:46
杉江松恋@11/12秋季例大祭こ02b @from41tohomania

藤田新策さんに先日のイベントでお会いしたとき、作品の中の核になる場面をとらえて絵にする作業と、書評行為には通じるものがある、というお話をいただいた。興味深い意見で、その作品の中のここだけは伝えたい、という気持ちで書評を書くことはたしかにある。だから引用は非常に大事だ。

2011-05-20 12:47:23
杉江松恋@11/12秋季例大祭こ02b @from41tohomania

吉田豪さんのタレント本書評を私はとてもいいものだと思っているのだが、それは引用の技術がハンパではない巧さだからだ。あれを読んで本の内容の紹介だけで自分の意見がない、という人がいるが、とんでもないことだと思う。何を作品の中核だと断じ、どのように抜き出すかに十分批評性が出ているのに。

2011-05-20 12:49:37
藤田新策 @Shinsakuron

@from41tohomania 主観と客観のバランスという意味では書評と装画はとても近いと思います。

2011-05-20 12:50:06
藤原ヨウコウ @yowkow_yoshimi

これは同業者として全面的に同意。とゆうかそれが普通だと思う。 RT @from41tohomania 藤田新策さんに先日のイベントでお会いしたとき、作品の中の核になる場面をとらえて絵にする作業と、書評行為には通じるものがある、というお話をいただいた。

2011-05-20 12:51:33
杉江松恋@11/12秋季例大祭こ02b @from41tohomania

「主観と客観のバランス」というのはまた考えてみたいテーマです。非常におもしろい。@Shinsakuron 主観と客観のバランスという意味では書評と装画はとても近いと思います。

2011-05-20 12:52:30
杉江松恋@11/12秋季例大祭こ02b @from41tohomania

だいぶ連投してしまった。長々とごめんなさい。あと一つだけ。

2011-05-20 12:57:11
杉江松恋@11/12秋季例大祭こ02b @from41tohomania

書評を本業にしているレビュワーに「まとまった評論を書くべきではないか」という助言をされる方がよくいるが、「形になったものを残すことによって自身の地位を安定させてはどうか」という意図ならば、それは無用のお気遣いではないかと思う。そうではなくて(続き)

2011-05-20 13:00:44
杉江松恋@11/12秋季例大祭こ02b @from41tohomania

そうではなくて「あなたの書評を見ていると、下部に何か大系の存在を感じる。それを言語化してはどうか」という勧めならば大いに賛成だ。文体学の考えではないが、何か理論のようなものが先行し、それに基づいて書評を書いている、わけでないからである。(続く)

2011-05-20 13:02:44
藤原ヨウコウ @yowkow_yoshimi

個人的ですが。主観は基本的に排除する。しかし完全な客観はあり得ないので主観は無意識に浮上する。ボクはそれでイイと思っています。私的機能主義の根幹 RT @from41tohomania @Shinsakuron 主観と客観のバランスという意味では書評と装画はとても近いと思います。

2011-05-20 13:03:00
杉江松恋@11/12秋季例大祭こ02b @from41tohomania

そうではなくて、個々の書物に向き合い、自分というフィルターを通じてそれについて考えることによってのみ書評は成立する。書評は常に「何かの書評」だ。対象が存在する。対象について考えるうちに自らの中に生まれてきたことを言語化しておくという作業は、書評者にとって有益だと思うのである。

2011-05-20 13:04:25
杉江松恋@11/12秋季例大祭こ02b @from41tohomania

でもそれは、書評に限らず、どんな表現活動にも共通した自己研鑽の過程である。書評は批評活動の特殊な形式であり、その一部だと思われているから先のような「まとまった評論」を書くべきという意見が出てくる。でも必然的な理由がない限り評論の意味がない、という意味では他の表現活動と同じだ。

2011-05-20 13:07:29
杉江松恋@11/12秋季例大祭こ02b @from41tohomania

その「必然的な理由」を探す作業を怠っている、という批判がもしあれば、それは受けなければならないのかもしれないが。足りないことがいっぱいある。それを補おうとして本を読み、書評にする。その繰り返しで私の生活は成り立っています。たいへんだけど楽しいです。

2011-05-20 13:09:43
松永英明@ことのは#ゲニウス・ロキ @kotono8

@yowkow_yoshimi @from41tohomania @Shinsakuron 多分同じ趣旨だと思うのですが、私は「自分が客観的に述べることは不可能であり、すべて主観がにじみ出るものであることを自覚した上で、いろんな角度から見てみる」ことをテーゼにしてます。

2011-05-20 13:13:06
杉江松恋@11/12秋季例大祭こ02b @from41tohomania

@kotono8 @yowkow_yoshimi @Shinsakuron 自分の場合は、言葉という不完全なツールを使うものなので、その言葉によって自分以外の人間が同じイメージを想起しうるとは限らない、ということを念頭において用語をすることをルールにしています。

2011-05-20 13:15:02
杉江松恋@11/12秋季例大祭こ02b @from41tohomania

お昼時に長々とTL汚し失礼しました。原稿お待ちしております。会場に来られる方は、25日にCLub EXITでお会いしましょう。

2011-05-20 13:17:52
@tinyroot

@from41tohomania 興味深く拝読。私は「書評は批評の婢」的な雰囲気を文壇?に感じ、両者を分かつものは何かを考えて来ました。要は「批評」は作品を足場に哲学するから偉いってことなのか?では「書評」には評者固有の思索はないのか?それを考える上で示唆に富む呟きでした。感謝。

2011-05-20 13:25:27
藤原ヨウコウ @yowkow_yoshimi

絵はもっと不完全。とゆうかイメージを固定化してしまう危険性が高いので気をつけないと RT @from41tohomania: @kotono8 @Shinsakuron 言葉という不完全なツールを使うもの

2011-05-20 13:28:29