「艦娘へようこそ」 横須賀艦娘学校で教官を取りまとめる〈室長〉が、軽巡洋艦娘〈大井〉を横に立たせて歓迎のスピーチをしている。今日は艦娘基礎課程の開始日だ。
2019-08-08 15:03:47もちろん瞳は、横の〈大井〉に釘付けだ。腕に携えた大砲や、脚に装着された推進装置※6、背中に背負った艤装構造物と、そこから上へと伸びるマスト、見張り台。そして何より…それを纏う十代後半程度の年嵩の少女。私達は〈室長〉の説明にあわせて動く彼女の、一挙一動に見入っていた。
2019-08-08 15:04:30並んでいる艦娘候補生の殆どは、〈大井〉と同じくらいか、それより若く見える若年隊員。艦娘になるために入隊した者達で、序列は最下級。私と同じ元からの軍人は、数人いるかいないか。これでは私の階級がどうあれ、相対性によって序列は押し上げられる。
2019-08-08 15:05:34当時、艦娘に志願する軍人は殆ど居なかった。軍人から艦娘になる者の多くはいわくつきで、何らかの不祥事を起こしたか、能力的にどうしようもなくて他の配置から弾き出された者だ。
2019-08-08 15:06:11たぶん私もこんな配置に好き好んで行くということで、いわくつきに分類されたことだろう。〈中尉〉はその人脈や影響力を、私をここへ送り込むことより、真っ当な部下を閑職に追いやったと言う、風評への対処に使うことになった筈だ。
2019-08-08 15:06:11私は子供の頃からひたすら軍艦に乗ることを夢見た。林檎の有名な地域の生まれで、庄屋の娘だった。もともと機械を眺めたり構造を想像したりするのが好きで、港を出入りする軍艦には特に興味を持っていた。
2019-08-08 15:07:24地元にはとても大きな軍港があって(入隊してから知ったが、主要軍港では最も小さな港だった)、私はそこに停泊する大小様々な軍艦のきらめきに夢中だった。あまり女の子らしくない趣味だ。
2019-08-08 15:07:24また軍港がある関係で、街ではよく海軍の軍人さんが歩いていた。セーラー服の水兵に、詰め襟の士官。特に海軍士官の制服と言えば地元では最も洗練された特別なファッションで、私は街を颯爽と歩く彼らのきらめきにやはり夢中だった。こちらは女の子らしい趣味だ。
2019-08-08 15:08:01女学生の大半は彼らに夢中だったし、友人とは街で見かけたイケメン士官の話題で盛り上がった。「お嫁にいくなら海軍さん」と歌われたように、当時の私達にとって、彼らは存在自体が素敵な夢だった。
2019-08-08 15:08:02友人達は彼らとお付き合いする夢を見ていた。たぶん地面の上で。でも私は、彼らと共に艦橋に立つ空想で頭の中がいっぱいだった。
2019-08-08 15:08:18しかし真の夢に目覚めたのは、地元に一隻の戦艦が広報に来たときのことだ。私は大喜びで見に行った。乗り気でない母を家に置いて、父と一緒に。
2019-08-08 15:08:37普段港を出入りしている軍艦と比べて、この戦艦は圧倒的に大きく、力強かった。父も私と同じ趣味者だったからか、このときばかりは興奮して、これがどれほど凄まじい戦艦かまくしたてていた。
2019-08-08 15:09:07難しくてほとんどよくわからなかったけれど、海に浮かぶ勇ましい姿に胸がときめいた。世界最大の41cm連装砲が4基。そこだけは今でも覚えている。
2019-08-08 15:09:08巨大な戦艦の中を冒険するのは楽しかった。あちこち駆け回って、案内についた水兵を困らせた。一歩歩くごとに、妄想が具体的な形を得ていくような気分だった。
2019-08-08 15:10:11格好良く決まった制服を見て、私もいつか着てやるんだと思った。艦橋で舵輪を回して、こんな強大な船を思うままに動かすのはどんな気分なんだろうと想像した。
2019-08-08 15:10:12勉強のかいあって、海軍の下士官を養成する学校に女性枠でなんとかもぐり込んだ。「女が戦争に行くなんて」と皆は怒ったが、私は嬉しかった。海軍に入ってしまえば、何かしら艦艇に関わる部隊に行けるだろうと考えていたからだ。
2019-08-08 15:10:56海軍もまた、女を戦争に行かせることに抵抗があったのだ。というか、思いもよらなかったのだろう。戦争どころか、戦闘に関わるあらゆる配置、特に艦艇部隊に女性の居場所はなかった。地上の後方支援部隊の要員として考えていたのだ。
2019-08-08 15:11:37唯一の例外が新設された電子兵器の試験部隊で、彼らは電波を飛ばしたり受けたりするのを戦闘と自認していたが、他の誰もそうは思っていなかったので女性枠があった。私は希望しそこに配置されたが、実際に行える仕事は肝心の電子兵器とは無縁のお茶汲みだった。
2019-08-08 15:11:37私が後方部隊で無為な日々を過ごしているうちにパールハーバーが吹き飛ばされて、前代未聞の戦争が始まった。世界最大の海軍が、まさか怪異の類いに叩きのめされるなんて、一体誰が想像しただろう?
2019-08-08 15:11:55それは途方もない悲劇の始まりで、叩きのめされた合衆国だけでなく、帝国も、しまいには全世界を巻き込んだ災厄の序章だった。たくさんの人々が不幸になった。海が断たれ、世界は隔たれ、あらゆる国家の活力は干上がった。直接の戦火だけでなく、不況で、飢饉で、多くの人々が苦しみ、死んでいった。
2019-08-08 15:12:14