異文化交流について。たとえば、教習所に通っているあいだは車に乗ってる人がやたらとすごく見える。という話をしたあとに、田舎者に対して、あ、でも違うか。田舎は乗れるようになってから免許とるもんね?だからそういうのあんまり分からないか。田舎だもんね。田舎だからね、田舎^^。と、煽るとき、
2019-08-12 13:51:35誰が田舎もんや、ええかげんにせいっ!w みたいなリアクションを期待しているのに、ガチで凹ませてしまった、とする。こういうとき、私は、向こうが勝手に傷ついた、と自然と思うし、そう表現してよくな理由はないだろう。あるとすれば、郷に入っては郷に従え、を私が理解していないのがわるい、
2019-08-12 13:54:07かもしれない。ここで一歩踏み込んで、そうじゃないと主張したい。郷に入っては郷に従え、なんてもんは、異質なものに対しての不寛容にほかならない。なんかそれちょっと違う、というのは、異物を同化するか退けるかの二択しかないことを示唆している、と思う。だから、私はやっぱりわるくない。
2019-08-12 13:56:44わるいのは向こうで、異質なものに対する配慮や尊重が欠けているのである。それをそのままにしようという発想がない点で、劣っていると言わざるを得ない。じぶんのとはちがう世界が広がっている、ということを知らないのだろう。世界が狭い。わるいのはやっぱり向こうで、私はわるくない。…ではない。
2019-08-12 13:59:38もう一歩踏み込もう。そうやって、人間関係の問題を文化や社会に求めるばかりなのはとてもよくないことだと私はつねづね思っている。あいつは関西人だから仕方ないよね、とか、食中にゲップをするネパール人に、ネパールだから仕方ないよね、は、一見すると異文化を尊重しているようにもみえるが、
2019-08-12 14:01:25それはあくまで異文化の尊重であって、他者というその個人そのものへの尊重ではないのである。文化はその人を殺す。生身の人間との付き合いでは、必ずその人という個体があって、それをこそ尊重せねばならないと思と私は思う。…というのもあるけれど、まだもう一歩踏み込もう。人は気分を殺す。
2019-08-12 14:04:33ある1人の人間のなかにあるひとつの性格が備わっているだとか、ひとつの頭にはひとつの考えが入っている、だなんてことは決してない。私もかなりの気分屋である。私に性格や考えなるなにかがあるとすれば、それは、ある人に見せたごく一面を、相手が勝手にそうまとめあげた、ものにすぎないだろう。
2019-08-12 14:07:02