- uchida_kawasaki
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全面侵略は1975年12月、キッシンジャー米国務長官がスハルト大統領を訪問した直後に開始された。キッシンジャーが米国製兵器の利用承認を含むゴーサインを与えたと言われている。
2019-08-11 19:14:471976年11月、駐ジャカルタ豪大使館のスタッフが、インドネシアが不法占領下においた東ティモールで強かん・拷問・処刑をおこなっているという報告に、手書きで「面白そう」(sounds like fun)「みんな大喜びだろう」(the population must be in ruptures)と書き込んでいた。
2019-08-11 19:15:04その手書きメモの少なくとも一つを書き込んだらしいCavan Hogueは、あとで言い訳として「もちろんアイロニーだったに違いない」と言っている。
2019-08-11 19:16:02アイロニーと言えば、「「デリヘルを呼ぶ」は芸術か」という問いでもない問いにまるではずしたコメントをした現代思想屋さんも、「アイロニー」だった、「それは読めるはず」とか言い訳をしていた。
2019-08-11 19:16:27ジジェクもトランプについての発言をあとで「アイロニーだった」とか言っていた。真面目にやって失敗するのではなく「僕のことわかってよ」というノリだけに基づくだらしなさは影響を考えると哀れとも言っていられないけれど哀れだ。
2019-08-11 19:17:52こちらの記事ではクリントン・フェルナンデスがコメントしている(写真付き)。 theguardian.com/australia-news…
2019-08-11 19:18:42ちなみにオーストラリアは、インドネシアの東ティモール不法占領を「併合」として認めた唯一の国だった。主にティモール・ギャップの石油欲しさでと言われている。
2019-08-11 19:23:29スアイのアベマリア教会に避難していた人々をインドネシア軍と手先の民兵ラクサールが取り囲み襲撃・殺害・教会に火を放つ。約200人が殺された。26人の遺体が西ティモール国境付近で埋められているのが見つかった。他の人たちの遺体はまだ不明。
2020-09-06 06:45:19国際東ティモール連盟投票監視団にノルウェーから参加し、直前までスアイにいたロニー・ハンソンは、ノルウェーに戻ったあと、虐殺が進行する中、アベマリア教会のフランシスコ・ソアレス神父に衛星電話をかけている。
2020-09-06 06:49:19ロニーが投票の直前にスアイを離れたときにはすでにインドネシア軍と手先の民兵の暴力を恐れた約2000人が教会に避難していた。
2020-09-06 06:50:406日のロニーからの緊急メッセージ。 「今、フランシスコ・ソアレス神父と話をした。ひどい緊張状態で怯えていた。たった今、民兵が教会を攻撃し、100人が殺された、と彼は述べた。教会を取り囲み、誰も逃れられないようにしている。」
2020-09-06 06:51:44「警察は何もしない。彼は繰り返し、状況はとても、とても悪い、誰かなんとかしてくれ、と言った。電話は「Oh no, oh no, oh no, God please help us!」という神父の言葉で切れた。」
2020-09-06 06:52:04日本政府の公式見解。 「日本政府としては、引き続きインドネシア警察が治安維持の任務に適切にあたると理解し要請しています。」
2020-09-06 06:52:35住民投票実現のために東ティモールの人たちの意向を無視して国連とポルトガルがインドネシアとインドネシアが治安を担当するということで合意してしまったことが問題の大元だった。
2020-09-06 06:52:59こういうときは日和見便乗が現れるもので、首藤信彦氏とか、それから広瀬隆氏はムスリムのインドネシアとカトリックの東ティモールといった幼稚な対立図式に押し込めようとしていた。
2020-09-06 06:59:50東ティモールでの人権侵害に抗議し連帯をしていたインドネシアの人たちのほとんどがムスリムで、東ティモールの抵抗運動の人たちも繰り返し宗教は無関係と言っていたにもかかわらず。
2020-09-06 07:01:1321年。この時期に思い出さずに過ごすことができた年が数回。あとは思い出してしまった。(「思い出す」という言葉は適切ではない。勝手にやってくる。) 季節とは不思議なものだ。
2020-09-06 07:10:45