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toshi3636_1
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子どもはまだ小さいから、「死」ということから最も遠いような気がするけれども、案外、子どもの方が、「死」についていろいろなことを考えているところがある。それもそのはずで、なにしろ生まれたばかりだからだ。
2019-09-01 07:49:31![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
子どもは、ついこの前まではこの世に存在しなかったわけだから、自分の「存在」というものがなまなましくて、自分が「存在」していること自体が不思議なのである。それが、大人になると、ずうずうしくなるというか、自分がこの世に存在していることが当たり前に思えてきてしまう。
2019-09-01 07:50:15![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
たとえば3歳の子どもだと、つい3年前まではこの世に存在しなかったわけだから、今自分がこの世界にいて、いろいろなものを見たり聞いたりしているということにまだ慣れていなくて、だから初々しくて、いろいろなことを新鮮に受け止めている。存在すること自体に感激がある。
2019-09-01 07:51:32![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
おとなになると、存在することに慣れてしまって、なにしろ暇だから、いろいろなことに手を出したり、こだわったりするけれども、本当は存在すること自体が不思議なのだから、時には子どものころの存在が当たり前じゃない心というか、その感激を思い出してみればいいのではないかと思う。
2019-09-01 07:52:31![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
子どもは未完成な大人だと思いがちだけれども、ほんとうは大人の方ができそこないの子どもという側面も大きい。子どもはどんな子どもでも見どころがあってすばらしい。大人が陳腐になってしまうのは、いろいろなことを忘れてしまうからである。世間や経験で曇らされてしまうのだ。
2019-09-01 07:53:33![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
以上、連続ツイート2320回「子どもは存在することにまだ慣れていないから、存在すること自体に新鮮な感激がある」をテーマに5つのツイートをお届けしました。
2019-09-01 07:54:21